適応障害と鬱病だったのに、ADHDは診断されていなかった

発達障害者二人の母、co-changです。ご訪問ありがとうございます。

成人後にADHDと診断された上の子ですが、数年前に別の精神科で適応障害と軽度の鬱病と診断を受けていました。

それは私の母校でもある大学へ入学して数ヶ月後のことでした。

オープンキャンパスには一緒に行きましたが、見学に行った複数の大学の中の一校。まったくもって推していませんでした。しかも、私は文系、上の子は理系。母子で同じキャンパスに通うことを密かにうれしく思っていましたが。

華々しい入学式の後、新生活が始まりました。
しかし、5月頃から遅刻と欠席が目立ち始め、6月からは朝も起きられず、昼まで寝ていることが増えてきました。

大学までは徒歩と電車を使い、自宅から約40分。
高校よりも通いやすくなったはずでした。

授業には出ないのに夕方からはアルバイトやサークル活動、友人との外食で帰りが遅くなったり、無断外泊までするようになりました。

とにかく、遅くなる時は連絡をしなさい。

何度も何度も伝え続け、分かったと言ってはまた繰り返しました。

大学のカウンセリングセンターで紹介された精神科を自ら受診し、

適応障害
軽度の鬱病
と診断されました。

適応障害は大学のせい。
鬱病は親のせい。自分は子どもの時からカゴの鳥だった。親は話を聞いてくれない。家には居場所が無いと。

夫は激しく怒りました。  
あの日の夜は、修羅場でした。

夏休みをはさんで、後期からは頑張るからと言っていたものの、ほとんど出席できず、本人に問いただすと、単位は既に足りず留年は確定していました。

その後、新しい進路に進むため、大学は中退することになりましたが、
親には嘘ををついて深夜のアルバイトを始め、朝帰りを繰り返す昼夜逆転の生活が半年続きました。

新しい進学先でも、毎年出席日数ギリギリで学年末を終えていました。

自分で決めた新しい進路。
それなのに、何故頑張れない?
私には不思議でしかありませんでした。

適応障害と鬱病を診断した医師には、きょうだいが発達障害だと伝えていましたが、

親(特に父親)に発達障害の可能性があるかもしれない

と言われていただけで、上の子本人の発達障害の可能性には、一切触れられていませんでした。

発達障害を診断出来る医師ではなかったのです。

鬱病は発達障害の二次障害だったんだと、気づくまでは数年かかってしまいました。

私たち親の接し方が間違っていたのは否めません。特に夫と上の子の折り合いは今でも悪いです。白黒思考の夫には、上の子の不注意さは努力が足りないからだとしか映っていませんでした。

次回は夫の発達障害の可能性についてお話しようと思います。

お付き合いいただけたら幸いです。


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