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エッセイ「鉄道員の子育て日記 ④駅までの路」

 今日は通常の勤務ではなく、応援業務として博多駅で働くことになっていた。勤務時間も変更があり、少し遅めの出社である。昼頃までに会社に着けばよいため、十一時過ぎにアパートを出ることにした。上の息子は既に幼稚園に行っているため、自宅でかみさんと三歳になる娘とのんびりと朝を過ごした。

 平日に家にいると、日ごろ見れない子供の姿を見ることになる。朝のうちはかみさんが家の掃除やら洗濯をするので、娘とテレビを見ていた。小さな子供を持つ親ならば知っていると思うが、NHKの教育番組は大人が見ても結構面白いと思うものがある。昔から続く「お母さんといっしょ」や動物・昆虫ものの番組、コンピュータグラフィック、いわゆるCGに工夫をこらしたもの、最近ではリズミカルな音楽や英語を使った番組が増えている。

 娘は音楽に合わせて体を動かすのが好きで、テレビを見ながら上手にリズムに合わせて熱心に真似をして踊っている。本人は真剣そのものに踊っているのだが、その動きはコミカルにしか見えない。娘には悪いがつい笑いたくなってしまう。

 そうこうするうちにも時間は過ぎ、家を出る時間になった。かみさんも駅の近くに用事があるというので娘も連れて一緒に家を出ることにした。最寄り駅までは大人の足で十五分程度である。今日は天気も良くとても気持ちが良い。社宅に住んでいるため、平日の昼間に家族連れで歩いているところを、知り合いの人に逢うと、男としては少し恥ずかしいなと思うが、かみさんは何やら嬉しいみたいで、娘と手をつないで駅へと向かう。娘が歩道脇にある車止めのブロックに上がりバランスをとりながら渡る。自分の運動下手が遺伝しないことを期待しながら、「おっ、じょうず。じょうず」となかなかバランスの良い娘を誉めてあげる。

 手を離した娘が今度は「おとうさんのかげふむー」と手を離して走り出した。突然のことで、最初解らなかったが、それが遊びの「影踏み」だと気づいた我が輩は、慌てて逃げることになった。たぶん、社宅の近くにある公園で誰かに教えてもらったのだろう。懸命に追ってくる娘に、少し意地悪をして本気で逃げた後に降参するようにし、ゆっくりとペースを落とす。娘が追いついてきて、「かげふんだ。」と得意げにするその姿に、女の子のかわいさが凝縮されて、とても愛しくなり、親となった喜びを改めてかみしめる。

 娘については、三歳を迎えたばかりだが、母親の行う仕草を、よく見ているもんだと感じることが多い。簡単なままごとセットを半年前に買ってあげたが、おもちゃの具材をトントントンとリズムよく包丁で切る真似をしたり、鍋にいれてふたをしめたり、誰も教えないのに結構さまになっている。これぐらいなら大して驚かないが、ピーマンの種を包丁の根元部分の刃を使ってくり抜いて、取れたであろう種を包丁から振り落とし、ごみ箱に捨てるしぐさは見事なほどである。よくテレビで年頃の女性に簡単な料理を作ってもらい、その珍回答や奮闘振りを楽しむ番組があるが、「これなら、嫁のもらい手もあるか」と、このまま料理に興味を持つように育ってもらいたいものである。男として、やはり女性には料理が上手なことを期待してしまう。

 また、小さくても女の子は生まれたときから「女」の子である。自分を着飾ることについては、年齢は関係無いみたいで、娘はとても熱心である。かみさんの化粧道具をこっそり盗んでは口紅やらローションを見様見真似で使っては、いつも怒られている。最初のうちは、口うるさく注意して解決を謀っていたかみさんであったが、「綺麗になりたい」という女性の本能で動く娘に、高価な化粧品をイタズラに使われることに対してたまらなくなり、結局降参したような形でかみさんは安い子供用の化粧品セットを与えてしまったのである。

 念願の化粧品を手に入れた娘は、自分の好きなようにその安物の口紅を自分の感性で顔に塗りたくる。さて、その仕上がりは、一時期流行った妖怪「口裂け女」のようになり、「私ってきれい?」とせまって来そうである。
 
 また、ファッションにも興味津々であり、服はもちろん、特にバッグが好きで家の中、外を問わずいつでもハンドバッグを小脇にかかえ、リュックを背中に担いでいることが近所でも有名となっている。バッグの中には、今時の女子高生と何ら変わらない持ち物、手帳、手鏡、ケータイ・・・etc。あとは子供らしく愛用のぬいぐるみや折り紙などが入っている。ケータイはショップの見本品を店員さんに頼んでもらったものなので、外見は本物と見分けることは出来ないほど本格的である。もちろんカメラがついた折りたたみ式でお気に入りのストラップもついている。

 公園に遊びに行こうとするときでも、バッグを持って行きたがるので「バッグ持ったまま遊んだら危ないでしょ!バッグも汚れるでしょ!」とかみさんが、再三に注意するのも頑として聞かず、自分なりのスタイルを崩さない。わが娘ながらお見事である。男親の我が輩は、結構そんな娘を応援しているのかもしれない。

 しかし、バッグなどが今は安物でたいして問題ではないが、そのうち世の女性と同様にシャネルやヴィトンなどブランド品と呼ばれるものの魅力に、いつかはまりはしないかと、今からヒヤヒヤしている。


 親という立場になってから、約六年が過ぎた。祖父母たちとは離れて暮らしているので、子育ては我流ではあるが、自分たちなりに考えながらやっている。自分達が子供であった時と比べると、周囲の状況はかなり変わっている。世の中の不景気が相変わらず続いたり、子供たちの競争が激しくなったせいか、テレビなどで青少年のすさんだ事件を知るたびに、「世の中、何かおかしい」と感じる日も多い。世の中には物があふれ、つい子供達には、過剰に物を買い与えているのではないかと思うこともある。また、子育てをしにくい環境ということから少子化が加速していると言われるが、子を持とうという人たちさえ少なくなっているとも感じる。

 これからどこへ向かうのか、先の分からない時代に、子供たちをどのように育てればいいかということについて明確に答えられる人などいないと思う。これといった法則などはなく、これまでのやり方もあてはまらないのであれば、その時々の状況に合わせて対策をするしかない。日頃から子供たちを良く見て、何を考えているのかを親が理解し、その時々に適切なアドバイスをしていくしかないと思っている。

 踏切の前の歩道を歩いていると、娘が「あっ、おはな。かわいい」と歩道の片隅にピンク色をした、小さな花がたくさん咲いているのに気づいた。名前も知らない花だが娘はそれを摘みだした。いつもなら、何気なく見過ごす道端の花も娘の低い視線からは、とても素敵な景色に見えるのであろう。我々大人が忘れていることを子供達は思い出させてくれる。

 途中にある踏切に来た所で、娘たちとは別れることにした。ここまで、日頃なら五分ほどで来るところだが、すでに二十分近くがたっている。仕事の都合で思いがけず生じた駅までの散歩であったが、とても素敵なものとなった。忙しく流れる今の生活であるが、たまにはこんな時間の過ごし方も良い。

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 列車で駅に降りて家まで歩く。歩くことにより自動車で通った時には気づかなかった何気ないものにも気づくことができます。便利な自動車社会でありますが、環境問題、交通事故など様々な問題がたくさんあります。
 SDGsとい観点で言えば、鉄道、バスなど公共交通と「徒歩」という移動スタイルが一番人間にはあっているのかもしれません。ガソリン価格も上昇しており、いつ今の自動車社会の終焉がくるかもしれません。
 バス運転手不足による減便が始まっていますが、公共交通を持続するためには、多くのひとが公共交通を利用するということをもっと大事にすることが求められます。
 鉄道も、地方ローカル線は存続の危機にあります。鉄道は大量輸送が可能な交通機関でエネルギー的にも、これからの地球に欠かせない交通機関です。どうすれば線路を守り、維持いや再興できるのかを考えた以下の作品も、ぜひ読んで頂きたいです。
未来に子供たちに鉄道を残せますように!


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