![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/100058917/rectangle_large_type_2_9f4d78dc199defede09053dc59ab18e4.jpeg?width=800)
「ポスト・タモリ論」
『タモリ俱楽部』がついに、終わる。
どういう形であれ、40年もの長きにわたってひとつの番組が続くというのはある意味で異常なことであり、コンテンツの摩耗が激しい現代においては奇跡的ですらある。
……と書いておいて難なのだが、私自身はというと、『タモリ俱楽部』について格別の思い入れはない。子供の頃は深夜のきわどいバラエティなど到底縁がなかったし、テレビを自由に観られるようになった今でも、年に一度の「空耳アワード」をかろうじてチェックする程度である。
そこにこそ『タモリ俱楽部』の、いや、タモリの凄みはある。
私にとって『タモリ俱楽部』は、「何となく、いつもそこにある存在」であった。
『タモリ俱楽部』だけでなく、かつては『笑っていいとも!』もまた、気がついたらそこにあるものとして、暮らしの中にふっと溶け込んでいたのである。
その「いつの間にか気配を消す力」、「すぐ近くではないが、手の届く距離感でそっと溶け込む力」は、タモリ自身の才能でもあるのではないだろうか。
『タモリ俱楽部』が終焉をむかえるということで、「ポスト・タモリ論」について気ままに考えてみたいと思う。
「ポスト・タモリ」というキーワードでごく自然に思い浮かぶ芸人がいる。
それは……永野だ。
青と赤というコントラストがきつすぎる衣装に身を包み、ラッセンへの愛を堂々と訴えている、あの永野である。
こんな風に断言するとたくさんの異論が聞こえてきそうだが、タモリと永野、正反対に思える2人の芸人には、意外なほど共通点が多い。
何よりもまず強調しておきたいのは、2人とも生粋のキワモノ芸人である、ということだ。
永野のキワモノぶりは、今さら説明するまでもないだろう。21歳で芸人の道に入り、ポップ、オーソドックスから一貫して背を向け、大手芸能事務所・ホリプロから契約解除を言い渡されてもなおカルト芸人の矜持を守り続けてきた永野は紛れもなく、孤高のピン芸人である。
一方のタモリもまた、ジャズマンから芸人という異色の経歴を持ち、アングラ芸を貫き通した孤独なピン芸人である。イグアナの形態模写、4ヶ国語麻雀と、タモリの初期の芸風はキワモノ芸人そのものであり、きわどすぎるネタやルックスで全世代から嫌われていた。
その意味でも、ブレイク前のタモリと永野はよく似ている。
それだけではない。
タモリ・永野はともに博識で、多方面において深い知識と教養を持っている。
タモリの博覧強記ぶりは、もはや説明不要だろう。
ネタを見るかぎり知性の欠片も感じさせない永野だが、実は洋画・洋楽への造詣が深く、どちらの分野でもマニアを唸らせるほどの知識を持っている。
YouTubeやラジオでは少しずつマニアぶりを見せており、業界内部での評価も高い。
『笑っていいとも!』をきっかけに、タモリは変わった。
お昼の顔、という仮面をかぶることでタモリはキワモノ芸人としての本質を封印し、知識・教養を段階的に披歴することで「親しみやすい教養人」として変身することに成功した。
キワモノ芸人としてのイメージが薄れ、知識人としての一面が浸透しつつあるという点では、永野も「ポスト・タモリ化」のプロセスに入っていると言えるだろう。
数十年後。永野がポスト・タモリとして芸能界で認められているかどうかはわからない。すべては私の思い過ごしかもしれないし、そもそも永野にとっては大きなお世話かもしれない。
正真正銘のタモリ論については、こちらをチェックされたい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?