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「世界が100人のこんまりだったら」
こんまりこと、近藤麻理恵があらぬ形で注目を浴びている。
少々古い話題にはなるが、以下の記事を紹介しておきたい。
「心がときめく片付け術」というわかりやすいキャッチコピーをひっさげ、「笑顔の片付けマイスター」として著書は軒並み大ヒット。マスメディアからも脚光を浴びたこんまりだが、ここにきて、自身の片付け術について「ギブアップ宣言」をしたということで世界的な批判の的になっている、というのだ。
私自身、こんまりのある種狂信的な、何かに取りつかれたような片付け術、及びメディアでの発信方法には若干のアレルギーめいたものを感じていた。だからこそ、彼女の片付けメソッドに共感し、無批判に受け入れていた人たちにとっては文字通り「ハシゴをはずされた」格好になり、裏切られたという嫌悪感へと変わっていくのも無理からぬことだろう。
私がこんまりの片付け術に今ひとつ共感しきれないのは、「ときめく片付け術」のその先にある未来に、恐ろしさを感じずにはいられないからである。
立花隆という作家がいる。念のために言っておくが、何かとお騒がせの政治家ではない。
田中角栄研究で世論を覆し、亡くなる直前まで「知の巨人」として君臨した天才である。
立花隆氏の頭脳の本質……それは、膨大な蔵書にある。
立花氏は都内某所に蔵書専用の保管庫を借り、本棚には数万冊、いや、数十万冊という書籍が丁寧におさめられている。
ジャンルの幅広さも凄まじい。政治経済から金融、文学、宇宙工学に至るまで、理系・文系の垣根など関係なく、アンテナに触れるかぎり手当たり次第に手を伸ばし、蔵書という形で半永久的にストックしているのだ。
そしてもちろん、書籍から得られるすべての知識は立花氏自身の脳内に整頓され、きれいにおさめられている。
立花氏の蔵書は、こんまりの「ときめく片付け術」とは対極の位置にある。もしも、こんまりと立花氏がひとつ屋根の下で暮らしたら(そんなことはあり得ないが)、お互いに発狂してしまい、3日ともたないだろう。
いや、倒れるのはこんまりだけかもしれない。
決して、こんまり自身を批判しているわけではないし、彼女の片付け術を否定するつもりもない。
ただ……世界がもしもこんまりで埋め尽くされたら、この世界からあらゆる知性は失われるだろう。
「ときめくか、ときめかないか」という「今」のみを基準としたこんまりの片付けメソッドはある意味において短絡的で、近視眼的で、さらに強い表現が許されるとすれば、傲慢なのである。
立花氏は決して、心をときめかせるために数十万冊という蔵書を抱え込んでいたわけではない。数十年後、数百年後にまで知性という連続体を引き継いでいくため、ただそれだけのために、膨大な書籍に日々囲まれていたのである。
少々、大げさだっただろうか。
育児をきっかけにギブアップ宣言を発信したこんまり氏だが、世間がこのまま放っておくとは思えない。
数年後、あるいは数十年後、こんまりが本当の意味で多くの人々の心をときめかせることはできるのだろうか。
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