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「この声が届いたら」

「この空を飛べたら」という名曲がある。作詞・作曲、中島みゆき。自由へのはかない渇望を歌った1曲だが、私の場合、「この声が届いたら」とジレンマにかられるシチュエーションがわりと多い。

私には脳性麻痺にともなう重度の言語障害があり、発話によって自分の意思を直接伝えることは基本的にはできない。普段のコミュニケーションにはPCやスマホの文字入力、あるいはアナログの五十音表を使っている。

しかしながら、何らかのアクシデントによりそれらのアイテムが使えない時には、やむを得ず発話によるコミュニケーションを試みる場合もゼロではない。

中学1年のふれあいキャンプ(なつかしい言い方だ)。新入生キャンプといえばアイスブレーキング(知らないメンバー同士の交流を深めるためのレクリエーション)がつきものだ。

私たちのグループのアイスブレーキングは、「いちご・パフェゲーム」。メンバー全員が円になり、起点となるメンバーから順に「いちご・パフェ・いちご・パフェ・いちご……」と言っていく。誰か1人でも詰まったり、言い間違えたりしたらゲームオーバーである。

なるほど。単純明快でわかりやすいゲームだが、私にとってはなかなかの苦行である。

そもそも、「パフェ」の発音ができない。ただ単にパフェと発話するだけならまだしも、「いちご・パフェ・いちご」とリズムに乗っている中でタイミングよく発音するのは至難の業だ。「私のせいでリズムがとまってしまったら……」と考えるだけで、途方もないプレッシャーによって口や舌の筋肉が硬直してしまうのである。

当然、ここは見学でいいか……と、部屋の隅で気配を消していたら、指導者役のインストラクターがしっかりこちらと目を合わせて一言、

「ほら、○○君も輪に入って!」

円にはあらかじめ、電動車椅子が入るだけのスペースが空けられていた。クラスメイトの視線が集中し、不随意運動によって全身の筋肉が硬直する。

担任に助けを求めようにも、レクリエーションの間はインストラクターが教師役のため、この場にはいない。

私はいよいよ覚悟を決めた。どうやらここは、言語障害を言い訳にできる場面ではなさそうだ。万が一言葉につかえたとしても責められることはないだろう。

そう、「たかがゲーム」なのだから……。

ゲームスタート。

「いちご・パフェ・いちご・パフェ……」

先頭のメンバーからテンポよく言葉をつないでいく。数秒の余裕もなく、悪夢の順番が無情にも近づいてくる。

そして、とうとう私の番。もはや、考えている時間もない。

「……パフェ!」

一か八かだった。大げさだが、時間がとまったように感じた。インストラクターがニッコリと微笑む。

「いちご・パフェ・いちご・パフェ……」

リズムが途切れることはなく、一周したところで無事にゲームはクリア。私のせいで言葉のリレーがとまることはなかった。

「パフェ」は、伝わったのだ!

実際は言葉そのものが伝わったのではなく、「何かしら発音したらパフェと受け取ってあげよう」と、暗黙の了解でクラスメイトが言葉をつないでくれたのかもしれない。

答えはどうでもいい。

文字盤やPCを通さない「生の言葉」が、それもまだ打ち解けていないメンバーに伝わった。当時の私にとっては、それだけで充分に自信となったのである。

あれからほぼ20年。言語障害は相変わらずだが、シェアハウスのスタッフとはほとんど発話のみでコミュニケーションを取っている。

外出時、予期せぬアクシデントでメモがわりのスマホが使えない時には、降りるバス停や観たい映画のタイトルを発話によって伝えることもある。

音の組み合わせによっては伝わりやすくなることも気がついた。

時にはうまく伝わらず、空気が停滞することもあるが、それもまた経験だろう。

これからも無理のない範囲でチャレンジを続けたい。

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