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「森田一義にとって(タモリ)は何だったのか?」

太田省一著「『笑っていいとも!』とその時代」読了。お昼の伝説的バラエティ「笑っていいとも!」を軸に、50年以上に及ぶタモリの芸能人生と彼を取り巻く時代背景を切り取った芸能ルポルタージュ。

私にとってタモリは、「すでにそこにいる存在」だった。「笑っていいとも!」は「学校が休みの日に見られるレアな番組」だったし、「世にも奇妙な物語」で見せるストーリーテラーの顔からは大人の狂気と少しの色気を感じていたものだ。

もともとアナーキーな毒気を身上としていたタモリだが、「笑っていいとも!」でのブレイク以降、次第に「お茶の間の人気者」へとその姿を変えていく。「笑っていいとも!」で曜日レギュラーたちに囲まれ、時に気配を消している姿からはかつての毒気は感じられないし、「ブラタモリ」に至っては、気のいい無害なおじさんとしてのポジションに嬉々としておさまっている(もちろんいい意味である)。

イグアナやアイパッチ、4カ国語麻雀などのキーワードを挙げても、タモリと結びつける人は少ないだろう。

ここ最近、タモリの「終活」が話題となっている。MCから徐々に退きつつある中で、「ミュージックステーション」だけを最後まで残しているのがいささか意外でならない。数あるタモリのMC番組の中で、「ミュージックステーション」は最も「タモリ的ではない」番組であり、あえて言えば「タモリがいなくても成立する番組」である。

しかも、「ミュージックステーション」は未だに生放送ということで、タモリにとっても体力的な負担は大きいはずだ。

タモリ自身が芸能界からのフェードアウトを半ば認めている以上、「ミュージックステーション」終了も秒読みだろう。

しかしながら、あえて「ミュージックステーション」を残しているところにタモリなりの皮肉めいたメッセージが込められているのではないかと、ついつい深読みしてしまうのである。

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