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なんとか、今日も生きる。

毎日暑くて全てがどうでも良く思えてしまう今日この頃、それでもスピッツの曲を色々聞いているからか「どうでも良い」って投げやりに振る舞いたくなるたびに草野さんの悲しげな顔が浮かんでしまい(勝手に)踏みとどまってる。なんとか。



そう言えば嬉しかったと言うか、達成感を感じた事が一つ。


子供が帰宅してひとこと「あーピアノ弾きたい‥」と言ったのだ。


私自身、習ってた時期があって、「習い事あるある」で後から習い出した子に追い抜かれたり、楽しくないし練習していかないから怒られるの繰り返しでざんねんな思い出しかなかった。
ところが二十歳すぎたあたりから適当に弾いてるうちに、コードの和音?を押さえることを覚えて。
それからは好きな曲とか良いなぁと思った曲をコード進行を探って弾くようになった。
大人になって思うのは、運指の練習とかの意味を教えてくれていたら子供なりにもう少し頑張れたかなぁと言うこと。意味もわからずひたすら同じ練習を繰り返すのは誰でも苦痛だもの。


今ではピアノを弾くことは私にとって趣味と言うより、一種の瞑想?に近いものになった。難しいクラシック曲はひけないけれど、簡単な曲でもひいてるとささくれ立っていた心が落ち着いていくのを感じる。最初はあえて強め・早めにひいて、何回かしたら意識して遅めに優しいタッチでひいてると時にはすごい眠気に襲われてひきながら寝そうになる。


なのでピアノの先生に最初にお願いしたのは、プロを目指すのではないので最低限、楽譜が読めたら良いと言うこと、出来るなら音楽の可能性?(言葉が通じなくても楽譜さえあれば誰とでも合奏できるし)音楽の遊び方と言うか楽しさを体験させて欲しいと言うことだった。

またピアノの先生が素晴らしくて、最初「なんでも良いから歌ってみて」と子どもに鼻歌を歌わせてそれに伴奏をつけてくれたのだ。ほんとどうでも良い(って言ったらよくないね)「み・か・ん・はおいしい〜みかんはおいしい〜」みたいな鼻歌がピアノの伴奏がつくとアレンジ次第でちゃんとした童謡になるんだもの。


そんなこんなで今では学校の校歌の伴奏を任されるまでになったのだけど、ある日何があったのか詳しくは話さないけれど「ピアノひきたい‥」と。



言葉にできないモヤモヤした感情を表現することで心の中が整理されていく事ってある。それはピアノや音楽に限らず文章や絵を描く事だったり、踊りだったりいわゆる芸術と言われる分野のものたちだと思うんだけど、人生いろいろある中で、ひとつのお守り的な意味で身に付けて欲しいと思ってたから嬉しかった。

これからの人生の中で何度も助けになると思う。

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