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【小説】映るすべてのもの #11

 母みゆきの鏡台が膨張していた。
注意ぶかく見れば敏感な人間にまでわかってしまいそうなぐらい膨張している。

「鏡台さん、そんなにおこってたら血圧あがるよ……」
 よわきな声かけをしたのは瑠衣の卓上ミラーだ。

「鏡でもおこったら顔がふくらむのね! わたしもはじめてしったわよ!」
おこったまま鏡台が卓上ミラーに『きっ』とふりかえった。

「あんたも見てたでしょ! なあに、あの上田かおるって子! 瑠衣ちゃんにいやなちょっかいかけちゃって!」
 ミシッと鏡台を囲っている木製のわくから音までしている。これ以上ふくらむと物理的にもまずそうだ。

「わたし、あの子がもってる百均のコンパクトミラーに文句いいにいったら『ヤバ!』だって! 百均のあいつまで態度わるいったら。ミラーがミラーなら子も子だわよ。ほーんとミラーの子はミラーなんだから!」

「それじゃモンペじゃん……。鏡のモンペなんてきいたことねえよ。たしかに連絡とばしたときから情報がはいってきやすくなったけどさあ……」
 鏡台のいきおいにおされぎみな卓上ミラーであった。

「そもそもねえ! あの連絡のときだってヒャッキンだけぶあいそうでなによってかんじだったのよ! ああムカムカする!」

「おれ、瑠衣は上田かおるをうまくあしらってると思うけどなあ……瑠衣もへんなところでつよいからおれはなんとも思わねえよ」

「瑠衣ちゃんのことだけじゃないわよ! 上田かおるはね、しょっちゅうとりまきをつかってクラスのおとなしい女の子や男の子にも、わざとちょっかいかけて群れで笑いものにしたりするじゃない! ほんと上田かおるの鏡の顔が見てみたいもんだわ!……って見てたわよ!」
 ミシミシッ木製のわくのきしむ音がいちだんとおおきくなった。

「上田かおるがいなかったら瑠衣ちゃんのクラスはきっともっと平和なんだわ!」

「──そこまでだ」

 鏡台のかなきり声を片手でせいしたのはアンティーク調の姿見鏡だった。

 鏡台の膨張がとまった。鏡部分におされていた木製のわくもほっとしたようにもとにもどった。

「ではきくが、上田かおるさえいなければ瑠衣のクラスはほんとうに平和になると思うのか? もうひとつ、学校にはひとクラスにひとりぐらい、意地がわるいとされるやつたちがおるだろう? あの配置は学校側がわざわざ考えてそうしてると思うか? 学校だけではないな。職場やママ友、大人の世界でもおなじことはよくあることだ」

「……そうだ! おれのもといた雑貨屋でも人間関係でやめていくやつ多かったな『アットホームな職場です』なんてバイト募集要項にいつも書いてたのにさ」
 瑠衣に購入された雑貨屋を卓上ミラーが懐古していた。

「しかも上田かおるはまだ高校生だ。学校でのすがたは鏡台のいったようにかかわるとめんどうなやつに見えるのも事実だが、上田かおるがいつでもどこでもああいう調子だとはわしには思えんな。これもよくあることだが……」

 姿見鏡の言葉にシュン、としながらもいかりののこっている鏡台はまだことがよくのみこめていなかった。一言も発せないままだまりこんでしまった。

「すこし突飛なこともいってもみようかの。いわゆる『いじめられっこ』たちだけでひとつのクラスをつくってみたとしても、せまい空間ではそのうちいじめっことされるやつはいずれあらわれる」

「そうかしら? 被害にあった子だけのクラスなんて見たことがないからわからないわ。やさしいこだけがあつまったクラスなんて理想じゃないの?」

「はてさて小中高でいやな目にあったことのない子どもなんてほんとうに存在していると思うか? 被害者という人間たちはみな『やさしい』のか? なんどもあるクラス替えだが教師も生徒も毎年にたような事象をあつかい、くりかえしているではないか」
 鏡台の目をのぞきこむように姿見鏡は腰をまげた。

「『わるいもの』を排除すれば問題解決できるように考えてしまうことはよくわかるが、実際はだな……鏡台よ、わしからもつたえておくが今日一日、上田かおるの家にある洗面台から通信をもらってみてはどうだ? あのヒャッキンはたしかにまだ若すぎて話になりづらい」

「……わかったわよ」


*

 夜もふけ鏡の時間らしい時間だ。姿見鏡が鏡台にかたりかけた。

「洗面台からぶじ通信はとどいたか? 天気つづきでとおりづらかったかもしれんが……」

「とどいたわ。ありがとう長老。長老はしってたの?」

 
 あれから上田かおるの家にある洗面台から映像と通信がこまかにおりまざって鏡台につたえられた。
 上田かおるの父はどこにでもいるふつうのサラリーマンで外向的な人間だったが酒ぐせが悪く酒乱といってしまったほうがはやそうだった。
 仕事からかえると酒をのみモンスター化し暴言をはく。上田かおるの母はだまってたえてみたり、やりすごしたつもりがさらに父の暴言をよんでしまうということが日常化していた。

 学校からかえった上田かおるはいそいで風呂にはいり母が用意してくれた食事をあわててとる日々だった。
 上田かおるが父となるべくあわずにすむように勉強がいそがしいと母は父に説明していた。

 じぶんの部屋で父の暴言がきこえてくるあいだじゅう上田かおるはずっとイヤホンで爆音のロックをながしていた。勉強なんかしてるはずもなかった。
 学生のあいだはおかれた環境で生きのびるしかない。上田かおるの家はだれが見てもわかりやすく安住の地ではなかった。家で安心できない子は学校でいのちの安心の場をつくろうとする。どちらもない子はひきこもったり、夜のまちでかりそめのやさしい言葉や時間で気をまぎらわせたりする子もいるらしい。
 洗面台は上田かおるやいままでに鏡同士でしりえたことを噓偽りなくつたえてくれた。

「……上田かおるもたいへんだったのね」

「一気に情報がはいってつかれたろう。さて、鏡台に今日さいごの質問だ。瑠衣のクラスから上田かおるの家の事情までをしったわけだが、いちばんの被害者はだれだ?」

「……いま、頭がまわらないのもあるけどわからないわ」
鏡台が肩をすくめ両手をあげた。

「このなかでいちばんの被害者は上田かおるの父親なのだよ。父親も娘とにたような資質をもち、にたような環境でそだってきた。いまもずっと加害者になりながらこころの奥でたすけてくれと毎日さけんでいる。どうしたらよいのかわからぬまま体だけ大人になってしまった。それはおなじように上田かおるにもいえることだ」




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