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映画「ミッドナイトスワン」を語る時間

「ミッドナイトスワン」は、2020年9月に公開された邦画。少女と、少女をバレリーナに導いた「母親」を描く物語です。

育ての母親に暴力を振るわれ、繰り返す自傷行為。会話もままならないような少女が親戚の計らいで母親の元を離れて暮らすことに。預けられたのは、東京でひっそりと暮らすトランスジェンダー凪沙(なぎさ)の元でした。
一緒に生活していく中で、少女はバレリーナとしての才能が開花。凪沙は母親として、少女の才能を守りたいと奮闘するが…。

「ミッドナイトスワン」は、淡々と描かれるシーンの1つ1つに役者さんの演技が光る作品です。音楽も相まって圧巻としかいいようがありません。
そこでここでは、映画「ミッドナイトスワン」の魅力#映画感想文として綴っていきたいと思います。

映画「ミッドナイトスワン」がおすすめな理由

早速「ミッドナイトスワン」がおすすめな理由を次のポイント4点から紹介。観た方は、共感していただけるのではないかと思うポイントをまとめました。

  • 少女が意志を持つまで

  • 女から母親になる

  • 「あなたこんなとこにいたらダメよ。踊るのよ。」

  • 白鳥、女の元から飛び立つ

少女が意志を持つまで

最初に私が印象的だったのは、田舎に暮らす少女・一果(いちか)の死んだような目です。
大きな瞳が確かにそこにあるのに、なにも見ていない。喜びも生きがいも見出せず、なにもかもがどうでもいいといった表情が、母親の荒れ果てた生活とその元で暮らす一果の苦悩を物語っています。

そんな一果が、東京で暮らす凪沙の元でバレエ教室を発見し、自ら体験授業を受けに。荒んだ生活から逃れてもなお一果の目は死んでいましたが、踊ることには興味を見出しているのがわかります。

きっかけや環境さえあれば、少しの光でも人は希望を見出せる。
自分の人生を少しずつ切り開こうとしている一果のまっすぐな姿が、視聴者の心を惹きつける瞬間です。

女から母親になる

凪沙は、親戚に黙って東京のニューハーフクラブで働いていました。当然、田舎から出てきた子供の面倒を見ることも望んでおらず、一果に出会った際には冷たく突き放します。
指示しておいた家の掃除がされていない、編入した中学校でクラスメートを殴るなど、一果の反抗的な態度にも苛立ちを露わに。

しかしある時、ニューハーフクラブの小さな舞台に自ら上がった一果。一果が自分の意思で踊り出した姿とその美しさに、凪沙は彼女に踊りを続けさせたいと強く思うのです

1人の女として孤独に生きてきた凪沙に、母性が芽生えた瞬間でした。

「あなたこんなとこにいたらダメよ。踊るのよ。」

一果は、バレエを知ったことで瞳に光が宿ります。一果と凪沙の2人がお互いの存在に生きがいを見つけ、少しずつ変わり始めていたとき、育ての母親が現れ一果は地元に戻ることに。
凪沙は"お母さん"になる決意のもと、性転換手術を受けにタイに渡ります。

次のシーンでは、地元で生活を送る一果の姿が。私たちはその一果を見て、再び感情をかき乱されることになります。
一果の目が、また死んでいる…。視聴者は、だれもがその表情の変化に愕然としたはずです。そんな一果の前に再び現れた凪沙。

「あなたこんなとこにいたらダメよ。踊るのよ。」

凪沙は、一果の死んだ目や自傷行為により傷だらけになった腕を見て東京に連れ帰ろうとします。
このシーンは、圧巻。一果の心の声を、彼女の才能を、ずっと理解し守ろうとした"お母さん"の存在がそこにはあります。

同時に、それでもなお他人同士であることを思い知らされるシーンです。

白鳥、女の元から飛び立つ

海外のバレエ学校に通うことが決まった一果。高校を卒業したのち、凪沙の元を訪ねますが…。

海での2人のシーン。希望も喜びもなに1つ見出せなかった少女に、生きる希望を与え才能を開花させた"お母さん"と娘。
海で踊る一果は、まさに白鳥に見えるから不思議です。お母さんに寄り添い、そして飛び立つ後ろ姿の、なんと勇ましいことか…。
踊る一果の後ろ姿に向かって、凪沙は繰り返します。「ああ、綺麗…綺麗…。」

一果をここまで気高く育てたのは紛れもなく凪沙なのだと、私たちはこのシーンで確信するのです。

冷たい世で互いの"光"を信じること

才能を認められるという光

一果はバレエを知ったことで、自らレッスンに打ち込み、さらには意志を持って人と話せるようになります。
シーンの途中から、バレエにかける信念のようなものを感じますよね。彼女は、踊ることで自分の存在価値を見出したのではないかと私は考えます。

母親に否定されてきた彼女は、フィールドに立つ機会を待ち続け、それが踊りだった。才能を信じてくれた凪沙の存在により、踊りを通して初めて存在価値を認められる経験をします
それは、一果にとって人生に差し込む一筋の光だったに違いありません。

凪沙にとってもまた、一果は希望の光でした。
女としてだれに認められるわけでもなく生きていた凪沙が、"母親になる"ことで自分の希望を娘に託し、娘のために生きる。一果がバレリーナとして輝くことが、凪沙にとって最大の幸せになるのです。

「うちらみたいなんは、ずっと一人で生きていかんといけんのんじゃ。強うならんといかんで。」

冷たい世を生きる中お互いに希望の光となる2人には、共通して美しい強さが宿っているように感じます。

エンドロール後の、1カット

美しさが表現されているのが、エンドロール後の1カット。
(これから観る方は、是非ともこのカットを忘れずに観ていただきたいです…!)

一羽の気高い白鳥に成長した一果がこれからも凪沙を守り、羽ばたいていくのが暗示されているかのようなカットです。本や音楽ではない"映像美"を目の当たりにする大切な役割を担っています。

この美しさこそ、映画「ミッドナイトスワン」が長く心に残る理由の1つといえるでしょう。

終わりに

以上note第9回は、映画「ミッドナイトスワン」の映画感想文を紹介しました。

一果はバレエを知った途端みるみる輝き出して、それは目を見張るほど美しく、凪沙もまた母親として娘を守る姿には、気高さが感じられます。
世にはじかれて生きていた2人がお互いに光を見出し強く生きていく姿は、本当に圧巻です。

興味が湧いた方や、もう一度観てみたいという方は、以上のおすすめポイントもぜひ参考にしてみてくださいね。

ここまでお読みいただき本当にありがとうございます。次回は、記念すべきnote第10回です。ざっくりしていますが、また読みやすい記事を書いてみようと考えているので、目に留まりましたら次回も読んでみてください。

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