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思い込んだら「知らん」の道を

思い込みというのは、大なり小なり誰にでもあるものだろう。
認知バイアスというらしい。自分の思い込みや周囲の環境などによって、無意識のうちに合理的でない判断をしてしまう。
思い込みが強いと、後からどのような情報が入ってきても、最初の考え方に沿う情報ばかりが目に付くようになる。

僕などその傾向が強い方だから、常に自省するようにはしている。
論語のように「一を聞いて十を知る」なら結構だが、「一を聞いて百と思いこむ」のだから困ったもんである。

自分がものを知らないという自覚があるから、未知の分野の話を披露されるとイチコロで、真偽のほども判断せず聞き入ってしまう。
よくこのとしまで、詐欺にも合わず来れたものだと感心するが、物への執着があまりないところに救われていたんだろう。
ちょっとした投資話を持ちかけれたときも過去あったが、「そんな儲かるんなら、アンタやりなれ」と相手にしない。ものによってやれば儲かったのかもしれないが、悔んだりもしない。
日本という国の、昭和という時代に生まれ、いい音楽もいっぱい聴けたし、60歳過ぎても元気でいられる。これ以上望むのは、贅沢に過ぎると思ってしまう。

最近、僕より10歳年上の地元広報紙の編集長が、さかんに嘆くのである。
物忘れが多くなった。集中力が無くなってきた。編集作業がつまらなくなった。足が痛い(まあね😓)
だからアンタ(編集長を)代わってと、昨晩も言われた。

ご本人が自覚されているのだから、そういう傾向があるのは確かだろう。しかし物忘れ自慢なら、僕は若い頃から負けていない。
むかしは手帳だから、日程が決まったらその場で書き込むようにしていた。間違いなく忘れるからだ。ところが、その手帳をどこに置いたか覚えていない。焦って探し回るも見つからず、取引先の約束の日に穴をあけたことも一度ならずある。
今だとGoogleカレンダーがパソコンと連動しているので、このミスは解消された。しかし、スマホどこ置いたっけは日常茶飯事である。こんなんで何とかなっているのだから、物忘れを気にはしても、気に病むことまではないと思う。
忘れればその分ストレスもないんだからいいじゃないと、冗談半分・本気半分で応えるのだが、「アンタはいいよね」としらけ気味に言われるのがオチである。

人間の脳は年齢の積み重ねによって、知識や経験といった情報が記録されていく。むしろ齢を重ねるほど、知能は伸びていくそうだ。
ある程度の年齢になると、蓄積した知識を取り出すのに時間がかかるようになってくる。これも蓄積の量が膨大になったことが理由の一つで、脳が衰えたためとマイナスにだけ判断するのは早計である。
加齢により、経験を積んでいくからこそ伸びる能力があるとするなら、「もうとしだから」もまた、思い込みの一種と言える。

大人の脳を成長させたり、健康な状態を維持したりするためには、脳に「刺激」を与え続けることが重要になる。神経細胞をつなぐ情報伝達回路のネットワークは、使えば使うほど太く、丈夫になっていくからだ。

そのための3つの刺激として、脳に「好奇心」「有酸素運動」「コミュニケーション」を与える必要があるという。
「有酸素運動」か。ワシ、最初からやる気ゼロだな。一方で、「好奇心」と「コミュニケーション」なら何とかイケそうだ。

「まだまだ若いもんには」なんて感覚ははなからないが、「としだから」の思い込みはやめて、「としなんて知らんがな」と開き直るのも一案かもしれない。幾つになろうと成長し続ける要素が、人間には備わっているんだから。

逆に、知ってて知らんふりするのも、年の功と言えるかも知れんぞ。

イラスト hanami🛸AI魔術師の弟子

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