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非在の音

1980年の、たしか冬だったように記憶している。友人のKに「デレク・ベイリーが来るんだぜ」と誘われ、デレク・ベイリーが何者なのかちっとも分らんまま、ライブが開催されるジャズ喫茶という得体の知れない場所へ、同行したのだった。

いま思えばKにしたって、それほどベイリーのことを知っていたとは思えない。もしかすると、ミュージックマガジン辺りに名前くらいっていたのを覚えていたのか。ネットなんてまだ影も形もない時代。断片的な情報ですら、専門誌に頼るのみだった。

到着したのは小田急線「鶴巻温泉」駅から徒歩数分のところにある、狭い店だ。
3坪に満たない空間に、20人以上の人間が詰め込まれている。二酸化炭素の濃度が異常に高い。
裏の出口付近での立ち見だったが、それでも奏者との距離は、相当近くに感じられた。

左奥脇にあるアップライトピアノから椅子を中央に出して座り、1963年製Gibson ES-175を抱えたベイリーが、ギターをいじくり始める。
長いチューニングだと思っているうち、すでに演奏に移行していたと少し後に気づく。
翌年にはフレッド・フリスが初来日し、「変な」ギターにも耐性がついていったが、ジャズの洗礼さえ受けていない19歳の小僧に、いきなりデレク・ベイリーはハードルが高かった。

これが洋楽であれば、キッスやクイーンといったメジャーから、レインボーやイアン・ギラン・バンド、売れる前のジューダス・プリーストとか、曲者くせものトーキングヘッズやブルースの神さまマディ・ウォーターズ、キング・クリムゾン初来日まで、結構観てきている。
それなりに幅広く把握したつもりでいた僕が、この日まったく異質のサウンドに遭遇そうぐうしたのだった。

だから1時間半程度の演奏を、堪能たんのうしたとはとても言えない。
1曲(?)おわるとちょっとPAを調整したり、ホントの(?)チューニングをしたりして、すぐに次の曲(?)にかかる。つーか、どこまでがチューニングで、どこから本番なのかもはっきりしない。
ちょっと笑顔はのぞかせるものの、終始無言だから、聴く方でなにやら修行している気分にもなってくる。楽しむとか鑑賞するとかじゃなく、ぎょうを共にしているような感じか。

だからと、不快や退屈の感覚はない。それはひとえに、一音一音が持つとてつもない存在感ゆえだ。
ES-175はもともとハウリング防止のために、生鳴り(アンプに繋いでいない状態で弾いたギター単体から出る音)を抑えた構造になっている。
ジョー・パス、ジム・ホール、ウェス・モンゴメリーらも愛用したとはのちに知ったが、本来であれば極めて安定した響きとなるはずだ。

ベイリーがつむぎ出す音の一つひとつに、まぎれもない重みがある。その重さゆえ音はストンと床に落ちそうなところ、法則にあらがうように空間を漂い、そのまま虚空へと消えていく。不思議な感覚だ。

質量を伴わない重さ・深さとは、実体のない幽霊のようなものかもしれない。
本来の即興演奏が瞬間における創造行為であるとするなら、ベイリーの演奏行為はギターを触媒しょくばいとした、非在との対話にも聴こえる。
ここにらぬもの。かつて在ったか、在ろうとしたもの。これより先に、在ろうとするもの。
あるやなしやのものたちに向け、ベイリーは楽器の力を借りて語りかける。

同じフリー・インプロヴィゼーションの仲間であるペーター・ブロッツマンやハン・ベニンク達からは、ジャズの創造行為と同等のものを感じる。
現にブロッツマンを間近で体験した若い女子は「イクってこういう感覚なんですね」と感想を述べていた。
御意ぎょい
男でも女でも、何度もイッちゃうのが彼らの演奏だ。聴き手は、絶頂における快楽に等しい(むしろそれを上回る)体感を得られるのだ。

ベイリーだけは、誰と共演しようとイッたりしない。むしろ非在が「くる」。
間章あいだあきらいうところの「極北きょくほくのアナキスト」、それがデレク・ベイリーだ。

   終わらない…  誰も関心ないだろうけど、もう1日やるか。

イラスト hanami AI魔術師の弟子

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