見出し画像

眠れない夜

何をやるにもむらっ気があり、一つのことにじっくり取り組めない。
動画の編集など、まれに興が乗って何時間でも集中できる日もあるが、たいがいはすぐ気が散って、違う事をやっては再び再開したりの繰り返しだ。

その割にnoteは今のところ、毎日欠かさず更新している。
これだって1日でも途切れたら続かなくなる自分の性格を察知しているからで、怠けグセがあるからこその、懸命な継続となる。

例えば音楽を聴くにしても、Xなど見ていると集中的にベートーヴェンやらマーラーやらを聴き比べておられる方がいて、とてもじゃないが真似できないと思う。
全部で正味15時間以上かかるワーグナー『ニーベルングの指環』を一気に聴き込むなど、出来っこない相談である。

CD1枚分にしたって、集中して聴き続けるのはしんどい。やっぱり片面20分前後のLPレコードというのが、時間的にも理想的だったと思う。
ジャズのレコードなんか、片面聴いたら次のアルバムに差し替えるのが当たり前だった。この前はA面聴いたから、今日はB面かけてみるかとか。

そのリスニング方法だと、サッチモのあとにペーター・ブロッツマンの『マシンガン』をかけるのだって、いい気分転換になる。
20代の頃、夕方に店を開けて深夜まで営業したジャズ喫茶でずっと音楽を聴けたのも、抜群の音質と共に、レコードの持つ特性が大きく寄与していたはずだ。
若い頃からむらっ気の多さを自覚している僕にとって、CDの普及は結果的に、音楽との接点を遠ざけたのかもしれない。

そして今、音楽を聴くのはほとんど就寝時に限られる。
本を読んでいるときBGM代わりに流していても、意識が演奏の方に向いてしまって、目で追う内容が入ってこなくなる。
それでも数年前までは、横になって電気を消してから、ちゃんとアンプを通してスピーカーを鳴らしていた。

今はパソコンにリッピングしたCDの音源を、数千円のBluetoothスピーカーに飛ばし、枕元で聴く。
「いい音」とまで言えないにしろ、十分それで満足だ。
20代に店で”最上の音”を聴いてしまっているから、そんな再現が家で出来るはずもないとの、割り切りがある。本当に”音楽”を聴こうと思えば最低でもレコードプレイヤーを用意し、アナログに戻るしかない。

それももう、昔の記憶に残っている音があれば、充分な気がしている。ちょっとでもバランスを欠いたシステムを組めば、すぐに欲求不満のオーディオの泥沼にはまるだけだ。

夢の世界へといざなってくれる音楽は、たいていクラシックだ。
どうせ途中で寝てしまうから、その場合はワーグナーでもベルクの『ヴォツェック』でも構わない。
ちなみに同じベルクでも、『ルル』の第3幕や『ルル組曲』はいけない。
ルルの断末魔の絶叫(ブーレーズのこれだと5:36あたり)で、間違いなく寝入りっぱなをたたき起こされることになる。
最初聴いたとき(17歳だったか)は、マジでビビったぞ。

昨夜はモーツァルトのディヴェルティメント15番をカラヤンで聴いていたら逆に目が冴えてしまい、レッド・ツェッペリンの『アキレス最後の戦い』にするとやっぱスゲェやとますます眠れなくなり、ロリンズ&コルトレーンにしたがコレは失敗と途中でやめ、モートン・フェルドマンの弦楽四重奏曲で、ようやく夢の世界へと旅立ったのであった。
やっぱり眠れない夜は、フェルドマンだぜ。

とかなんとか。ネタを思いつかなくとも、なんとか字面じづらを埋めるのさ。

イラスト hanami🛸|ω・)و




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?