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ちょっと振り返る

会社を辞めて(と、いうより実質的に追い出されて)、今年の秋で丸4年経つ。
最初のnoteに書いたように、自分の意思でケジメをつけたわけじゃないし、限られた退職までに次をどうするか時間的余裕もなく、計画なんて呼べるほどのものは立てられずにいた。

今さら同業者のところを回って就職活動するの、いやだなぁと思ったこと。
だからってヨソで異業種をさがしても、58歳じゃ採用先なんて見つかるもんじゃなかろうと、最初からあきらめていたこと。
それじゃ自分で何かやってみっかと、深く考えもせず、超お気楽な個人事業主になったわけだ。

事程左様ことほどさように楽観的なタイプとの自覚はあるが、さすがに辞めて1年程度、内心では結構めげていた。現役生活を勤めた会社で終わろうと思っていたし、自分なりの中長期の売り上げ目標を設定してもいた。
正直、理不尽な気持ちをぬぐえずに過ごした。なるべく表に出さぬよう気をつけてはいたが、かなり人間不信な状態にあったと言える。
一方でそれがいかに無益な事かも、頭では理解していた。
会社で僕を不要と判断したのが、今回の全てだ。所詮しょせんはその程度の仕事しかしていなかった結果と、自らを裁定すべきだろう。

退職した翌年2月には、生涯初出場のビジネスプラン・コンテストでファイナルまで残り、人前でのプレゼンを経験する。
優勝には程遠かったものの、それなりにやれば出来るじゃん的な感触はつかめた気がする。
ただそれはあくまでコンテスト用のプランであり、実践じっせんとなれば話は別だ。

多少のはくがついたとはいえ、会社の後ろ盾がない個人としての営業は厳しく、たいがいは電話の段階で断られる。
運よく話を聞いてもらえることになり、約束の時間に出掛ければ、「いま忙しいから、資料そこ置いといて」と速攻で退場を命じられたりする。
まだ回復充分とは言えないメンタルにあって、こういう日々の繰り返しはしんどかった。

チラシを作ったり、ニュースレターにして近隣の会社に配ったりもしたが、反応はなし。だからと数10万円かけて、折り込みチラシにするなどはコスパが悪すぎる。
物ならネットで販売してみるという手もあるし、店ならまずは招待して口コミで広めてもらうやり方もあるだろう。
僕が売るものは形のないサービスだから、相手に見せるにも具体的な現物がない。「こんな形に仕上がりますよ」とイメージを伝えるくらいが、関の山だ。
最初から分かっているつもりではいたが、実際に動いてみて現実の壁の高さを感じたのだった。

だいたい、動画の撮影も編集も未経験のアラカン親父が、新しく始めようという事業である。あらゆる意味で無謀なのだ。提供できるコンテンツに自信ありなどと、とてもじゃないが言える状態にない。
しばらくは購入したミラーレス一眼をたずさえ出掛けては、動画撮影にいそしむ日々を送った。幸いにも僕が住むのは山間だし、ちょっと車で下に降りれば川も海もあり、街にだって出れる。被写体の素材は、それなりに豊富なのだ。

先生は全て、YouTubeに上がってくる(幾人かの)クリエイター・チャンネルである。映像とは言え、自分の息子くらいの年代層からものを教わる経験は新鮮だった。
彼らの動画を見ている間はなるほどと納得していても、いざ撮影する段になると何も頭に入っていないのが分かる。マニュアル撮影になかなか進めず、安定しない動画になることもしばしばあった。
かけた時間がものを言うのは、どの仕事も一緒だ。今なら日中の撮影であれば、さほど事前準備も必要なく、緊張もせずに対応可能になっている。
基本さえ外さなければひどい仕上がりにならないと、経験値から体の方が覚えているのだ。

撮影だけでも大変なのに、編集までからむから、最初に覚えるべき量はさらに増える。撮ってきた素材はすぐに MacBook に落とし込み、覚えたばかりのテクニックをそこに組み込んでは、1本の作品に仕上げていった。

今さら見れたもんではなかろうが、これもいい経験になった。やっているうちよく分かったのは、すべてが個人の感性に委ねられる世界ということだ。カメラ・パソコン・編集ソフト(Final Cut Pro X)に備わる多種多様な選択肢と能力は、己が感性をいかに表現するかの、道具に過ぎない。

そう気づいてからは、変に背伸びをすることをやめた。最低限、見苦しくない映像を撮ったら、あとは最後まで見てもらえるような編集に専念する。そこに、これまでの自分の経験が反映されていればいい。なにしろこっちは、映像クリエイターを目指しているわけじゃないんだから。
(明日に続く)

イラスト Atelier hanami@はなのす

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