捧げられた二つのワルツ
ビル・エヴァンスを取り上げるなら、 1961年6月25日・ヴィレッジ・ヴァンガードで行われたライブ盤『Waltz for Debby』抜きに語れないだろう。
ステージにまるで意識が向かない客のざわめき、グラスの当たる喧騒とともに始まる『My Foolish Heart』。
ピアノの最初の一音に続き、ラファロのウッド・ベース、モチアンのシズルシンバルのトレモロが重なれば、美しさの極みのような響きに恍惚とさせられる。
こんな至高の演奏を前にして、平気でダべっていられる客の無神経たるや。愚かなりしは、この日の彼らである。
続く2曲目が、アルバムタイトルにもなった『Waltz for Debby』。
当時まだ2歳だったビル・エヴァンスの姪・デビイに捧げられた、愛らしいワルツの前奏。全曲からのこの繋ぎ、アルバムの構成として完璧である。
およそジャズを志すピアニストであれば、一度も『Waltz for Debby』を弾かないで過ごすのは難しくないか。こんなに快活で心浮きたたせるメロディを、よりによってあのビル・エヴァンスが作っていたなんて。
後年になってデビイは「幼い頃、よく目の前で(この曲を)弾いてくれた」と語っている。なんかもう、うらやましすぎて羨ましいぞ。
こんな絶頂期のトリオも、録音から11日後にはラファロの急死によって強制終了となってしまう。彼の人生には、いつも悲劇がまとわりつくようだ。
ビル・エヴァンスにはもう一曲、晩年に録られた有名なワルツがある。それが『You Must Believe in Spring』冒頭の『B Minor Waltz (for Ellaine)』だ。
ヘ長調の『Waltz for Debby』に対し、『B Minor Waltz』はロ短調だ。
前者が「デビイに」捧げられたものなら、後者は10年以上も彼と共に暮らした内縁の妻・エレインに捧げられている。
1973年、エヴァンスはエレインとの長年の関係にもかかわらず、ネネット・ザザラと出会い、恋に落ちる。
彼がエレインにその思いを伝えると、彼女は理解したふりをしたが、その後地下鉄に身を投げて自殺した。
エヴァンスの親族によればエレインの不妊症に対し、彼には子供を産んでほしい願望があって、これらの出来事に影響を与えたのではないかと推察している。
エレインの死から数か月後、エヴァンスはネネットと結婚する。
その事実だけをみるならば、なんと軽薄で薄情な男かと思いもするだろう。しかし一度でも『B Minor Waltz』を聴いたものであれば、この稀有なピアニストが抱えた圧倒的な孤独を前に、言葉を失う。
狂おしいほどに詩的で、この上もなく怖ろしい悲嘆に沈黙し、音に身をゆだねる他すべはなくなる。
極端に異なる表現であるはずの『Waltz for Debby』と、聴き比べてほしい。
きっとどちらも同じ人間から生み出された、極と極とが対峙する音楽と理解されるはずだから。
いつ切れてもおかしくないか細い線の上を綱渡りしていたのが、ビル・エヴァンスの生涯だったかもしれない。
薬物による「緩慢な自殺」、「史上最も時間をかけた自殺」と友人が例える彼の人生だが、薬物があったからこそ51歳まで生きながらえたとも、僕には思える。
エヴァンスは、バッハの音楽を非常に高く評価していた。それが彼の演奏スタイルに影響を与え、独特なタッチと指の独立性を得るのに役立ったという。
「バッハは、ピアノを弾くとき私の手のアプローチを変えました。若い頃は指のテクニックを多用しましたが、今はウェイトテクニックに切り替えています。バッハを演奏すると、声部はよく歌い、持続することができるようになるんです」
そのバッハにして畢生の大作が『ロ短調ミサ』だったことも、偶然とだけは言い切れない気がする。
喀血し倒れた彼を看取った、若き恋人ローリーの言葉。
「私は救われた気分で、幸福だったの。だって、ビルの苦しみが終わったんだもの」
『B Minor Waltz』を、めったに聴きたいとは思わない。間違っても、気分が滅入ったとき聴く音楽ではない。
一人の人間が抱えるには巨大すぎる孤独に向き合うなら、心も身体も充実した時がいい。
そうであっても冒頭のピアノの一音から、聴く者の心は激しく動揺させられ、強い毒が全身を駆け巡るはずだから。
イラスト hanami🛸|ω・)و
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