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生きづらい私とnote

 初めて書くなら自己紹介かな?
とも思ったけれども、割と自己紹介は後から書いてる方々も結構見かけたので、詳しくはまた今度。
簡単なご挨拶に代えさせてもらおうと思います。

 加賀見ふろんです。
 社会的な属性はアラフォー既婚
 お仕事…を挫折した主婦。無念。
 生きづらさを抱えて約40年の老舗です。
 よろしくお願いします。


悩むと検索

 私は思い悩むと 心に浮かんだよしなしごとをGoogleやXで検索して読み耽るという習慣があります。
 何ぶん生きづらさを抱えているので、検索も頻繁。何なら「生きづらい」なんて、スマホで「い」と打てば予測変換の上位5位以内に出てきちゃう。

 そこで求めているのは専門家や商業ベースの読み物ではなくて、同じような気持ちを抱えている人が思ったことを言葉にしていてくれているもの。
 プロが考えた模範解答の解決策を知りたいのではなく、同じ悩みを抱えた誰かの言葉を頼りに、自分でも上手く捉えることが出来ない自分のモヤモヤを成形していく作業をしたいのです。

 誰かに聞いてほしい、というのに近いのかもしれません。アドバイスではなく共感が欲しい。
 聞いてもらって共感してもらうのではなく、今自分が共感出来る人のところに行って、陰から勝手に共感して勝手に納得する…。
 文章化してみるとなかなか陰の者の振る舞いですね。


noterさんはみんなすごい

 そんなわけでGoogleで検索 Xで検索 インスタは…未だに直感的には使いこなせないけど。
 一番しっくりくるのがnoteでした。

 noterさん、みんなすごい。
 文章力が、パない。
 語彙力の無い自分がひっくり返しても形にできない感情を、流れるような文章にして綴っている。

 ふとした日記、思うところを徒然なるままに書き連ねたもの、ちょっとしたつぶやき…
 もちろん、完璧に同一な経験とか感情とかは無いのだけれど。言葉の一つ一つがその時の気持ちに刺さる。泣きたい気持ちに、泣いてくれている。モヤモヤしているものに、憤っていてくれる。
 そんな気持ちにさせてくれることが多くて、スマホ越しに助けられていました。


「生きづらい」大人って孤独


 多分。
 「生きづらい」って悩みは口に出しにくいのです。
 歳を経れば経るほど。

 若い頃 散々口に出してきたことで、実際に口に足した時に引き起こされるアレコレが何となく想像出来るのですよね。

 実際に口に出しても、あんまり救われない。
 正直、良くないことしか起こらない。
 だから言わない。口にしない。

「そんなこと言ったって◯歳まで生きてるじゃない何が問題なの。今まで通り生きたらいいじゃない」

 確かに、生きてはいるんです。
 でも、苦しい。

 人間関係、日常生活、仕事、うまくいかない。
 適切なものが見つからない。
 いつも似たような間違いをしたり。
 いつも似たようなことで悩んでしまったり。

 だからそっと、検索して探す。
 同じように悩んでいる人が、どこかにいるんじゃないかって。

 生きづらくない人のド正論なんかじゃなくて

 「あー!もー!生きづれぇよぉ!」とか
 「生きづらいけど何とかしなきゃクソが!」とか
 「生きづらいよ助けてよー!」とか
 
 …まぁ実際そこまで乱暴な言葉じゃなくても
 そんな気持ちの発露を探すのです。

 誰かの気持ちに寄り添って、
 一人ぼっちではないと、知りたいと。


みんなどこに行っちゃうの?

 そうやってnoteを読んでいると、時々
「すごく共感出来る!」
「この人の書く文章をもっと読ませてほしい!」
 という気持ちになることがあります。

 そしていそいそとプロフィールから記事一覧を拝読しようとすると…

 記事が、ほとんどない。
 あるいは数個で随分前に更新が止まっている。
 そんなことが結構あって…

 勝手に現れたファンなので、あくまで勝手に残念に思っているだけなんですよね。
 それでも、共感できる人だ!と思った人がもうnoteにはいないという事実に
 「うっかり悩みが解決したとかだといいな」
 「急に忙しくなっただけで元気にしてるといいな」
 なんて出逢いもしていない別れに思いを馳せてみたりするのです。

 …文章化するとだいぶ重たいな。
 自分でもちょっと怖い、私。


 

◯◯なら態度でしめそうよ ホラ

 伝えられるうちに伝えないと、伝えたい人はどっか行っちゃう。
 そんな風に思ったので、もっとちゃんとnoteに参加したいなと思ったのです。
 共感した気持ちはサクッとイイネで示したい。
 応援のフォローももっとしていきたい。
 
 そして、私がダラダラ書く文章も、いつかどこかの誰かが共感してくれたらいいなぁと思っています。

生きづらいけどさ

 最初から生きづらい生きづらいと連呼していますが、常に死にそうなわけではなく、決して楽ではないなりに、やっぱり生きてはいて。
 「少しでも生きやすくなりてぇなぁ」とも思うし
 生きづらいなりに楽しいことも探していきたい。
 そして共感できた人も、ちょっとでも楽しく生きやすくなったら良いなぁなんてボンヤリ願っていたりするのです。

 袖振りあった皆さんの明日にちょっと良いことありますように。

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