備忘録「ロボット学者が語る「いのち」と「こころ」」石黒浩

22  ノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロ氏(同じ名字だが親戚などではなどが、何かの機会で次のようなことを語っていた。「大人になるということは、幼いころの疑問に適当な折り合いをつけることである」。

26  基本問題とは何だろうか。当時はいつもそのことを考えていた。そして、考えれば考えるほど、その問題が「人間とは何か」という疑問と同じであると思えるようになっていった。

28 人間とは何か。これが、もっとも大切にしている基本問題だが、本書ではもう少し具体的に、「いのち」とは何か、「こころ」とは何かについて考えてみたい。
 ここで、「命」という漢字を使わないのは、人間の医学的な命だけを対象とするのではなく、あらゆるものに宿る「いのち」、我々が感じる「いのち」を対象にしたいからである。
「こころ」についても同様である。

 →若松英輔の「ことば」 

51 人間は不完全な観察を想像で補っている
 ゆえに、人間は見たり聞いたりしたことをヒントに、自分でストーリーを作り出しているのである。「いのち」もストーリーと同様だ。
(中略)
 人間は世の中をくまなく観察して行動しているのではなく、多くを想像しながら行動している。つまり、世の中で生きているのかどうかは、想像の中で生きているのかどうかによって判断されるというわけだ。

 →ノーバン始球式

64 このような、一見規則的に見えるが、実はまったく規則的ではなく、複雑に動いているもの。そういったものが、より強い「いのち」を感じさせるのではないかと考えている。

→ゆらぎ 自然そのもの

69 見かけや性能が大きく変わったことで、アイボをイヌとしてあつかっている所有者も増えただろう。しかし、決定的に生き物らしくない部分もいくつか残っている。
 それは、動く時にカシャカシャと関節の音がすることである。
(中略)
 もう一つ改良した方がよさそうなのは体の柔らかさだ。
(中略)
 このように柔らかい背骨があることが、哺乳類をはじめとするさまざまな生き物の大き な特徴である。本来動くはずの背骨がまったく動かない場合は不自然に感じられる。
(中略)
 カメの飼育者が、カメの見かけや動きをもったカメ型ロボットをペットとして飼うだろうか。おそらく受け入れる人は一部であり、多くの人はカメとの違いを気にすると思う。
 その違いの一つは、えさを食べないことである。えさを与えるとよろこぶ、もしくはえさを与えないと死んでしまうという思いからペットにえさをやり、元気に食べる様子を見てぺットへの愛情を感じるものだ。
 ゆえに、カメ型ロボットに必要なのは、「人からえさをもらい生き続ける機能」である。

86 体と脳の関係
 体のもっとも重要な性質の一つが、動くことと感じることが双方向に影響を与えるということである。専門的には相互励起と呼ぶ現象である。
 脳が何かを考え体に指示を与えることで体が動く。これは誰もが理解していることだと思う。一方で、体が動くと、それに合わせたように脳が働くという現象も起こる。体が何らかの理由で勝手に動くと、まるでそれを脳が指示して動かしたかのように、脳の状態が体の動きに応じて変化するのだ。

87  このように、脳と体は双方向につながっているのである。
その意味を発展的にとらえれば、「体で考える」という概念に到達する。 

→数学する身体

134 「いのち」や「こころ」は、人間関係の中だけではなく、人間と環境の間でも感じられる。とくに自然に対しては、人間に対して抱くような「いのち」や「こころ」を感じる。

 →アニミズム

139 「精神体」としての人間
 精神体とは、人間の体で例えると、脳の中の電気信号だけを取り出したようなイメージである。ロボットで例えると、ロボットを構成するメカと、メカを制御するコンピュータ上の情報に分けた時の後者である。
 精神体はあらゆる体に乗り移ることができる。どんな体に乗り移っても、人格が表出し、その者になることができる。このような状態こそが、体の制約から解き放たれた進化した人間の姿なのだと思う。

→エヴァンゲリオンを操縦するホーキング博士

165 すなわち、日本舞踊や能の所作は、見る者に、「こころ」を想像させるのである。
 このように「こころ」は、相手との関わりの中で感じるものだが、その関わりにおいて適切な所作をもたなければ、「こころ」は伝わらない。もちろん所作ではなく、言葉などでも「こころ」は伝わるが、適切な所作があればより効果的に伝わるのである。

→手話にジェスチャーが加わることで「こころ」が伝わる
→記事「人工知能はジェスチャーゲームをしない」参照

184 生物的進化のメカニズムは、人間の意図とは必ずしも一致しない
 すなわち、人間は他の生き物とは異なり、偶然生き残っているのではなくて、技術を積み重ねながら意図的に生き残っている。もちろん人間も生き物だから、遺伝子による進化においては、意図することなく生き残るという方法をとっている。しかし、技術による能力拡張は、遺伝子による能力拡張よりも、速度がはるかに速い。遺伝子の変化を待たずに、人間は意図的に技術を用いて能力をどんどんと拡張しているのである。

→能力をどんどんと拡張しているが、進化ではなく退化している?

208 進化の意志
 生物的進化のように、遺伝子をランダムに変化させながら、たくさんの個体を生み出し、結果、環境に適応できたものだけを生き残らせるという方法であれば、それぞれの個体が進化したいという意志を強くもたなくても進化できる。結果的に生き残ったものが進化した生き物である。もちろん、その生き残ったものが、進化したいという強い意志を抱くような遣伝子をもっている可能性は非常に高い。しかし、それもまた何も意図をもたない、造伝子によるランダムな探索の結果である。
 このような生物的進化の仕組みを継承しない、機械の体をもつ精神体としての人間においては、進化しようという強い意志をもつことが非常に重要となる。

→何を目的として、どのように進化するのだろう?


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