虐待を受けた子を育てるということ
虐待を受けた子ども達を支援する事は、普通の子育てとは少し違う。幸せな家庭に生まれても悩むことがあるのに、その上に沢山の重荷を背負っている。だから、学校に行って、勉強をして、友達を作って、就職して働いくという事をする為に解決しておかなければいけないことが多い。
虐待を受けてきたという事は、誰にも守ってもらえないどころかいつ攻撃されるかわからない、守ってくれると信じた人から攻撃を受ける事が当たり前にある世界を経験しているという事である。そして、それは
「自分を守る為に戦い、生き残れるようチューニングされて育った」
という事ではないか?と思う。
つまり、自分を守る為に常に警戒し、戦闘態勢を維持し、深く眠る事を避け、疲れを感じずいつでも動き、相手を傷つけても罪悪感や悲しみで動けなくならないよう心を麻痺させておく必要があって、それが当たり前にあるという事である。
しかし、問題は、今の世の中では通常そこまで神経をとがらせる必要がないし、基本的には戦いよりも平和の方に価値基準が置かれている事。
安全感の多い世界で、安心感を覚え、身体と心を麻痺させておかずに済むようになった瞬間、これまでの疲れや痛みや、罪悪感が戻ってきて鬱やフラッシュバックとして出てくる。でもどう対処したらよいかわからず混乱する。
また、自分を守るためであっても、戦い・傷つけ・殺す等という事は賞賛されず、不適応とみなされることが多い。
家庭では戦い自分を守らなくてはいけないのに、外に出ると戦わず協調することが求められる。
戦い自分を守る為にチューニングされた子ども達と、戦わずに平和を守る事が是とされる世界との間に「不適応」が存在する。子ども達が悪いわけでも、世界が間違っているわけでもなく、二つの間の齟齬が不都合な問題を生んでいるだけなのだと思う。
恐らく、僕らがしなければいけない事は、子ども達を矯正することでも、治療することでもない。
子ども達が平和で争いを好まない今の価値基準にチューニングを合わせ、戦いの無い世界で生きる道を確保するのを手伝うか、
ボクシングとか自衛隊とか「戦う」事で誰かの役に立つ道を見出してあげることではないだろうかと思う。
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