小学生の頃ー逢菜ー

小学生の頃ー逢菜ー
⚠︎逢菜(あいな)という人格の過去の話も出てきます。この文章は逢菜が書いてます。小学生の頃は、周りから見たら100%わがままに見えたと思います。「この服は嫌」などでよく遅刻をしてました。小学生の頃、2年間いじめにあっていました。当時はいじめられてるなんてまったく気づきませんでした。親に「いじめられてるんじゃない?」と言われても、寝て直ぐに忘れる子でした。小学生が1番健忘が酷かったと思います。おねしょなんて当たり前でした。あの頃の自分は善悪の理解があまりなく『みんながやってる』だけで人を傷つけたりしたこともありました。もしかしたら破壊人格のせいもあるかもしれません。男の子からも女の子からもいじめがありました。いじめには気づきませんでしたがこの頃体は正直で聴力が少し落ちてました。小3~4までいじめがあり、この時《人格》は150人を超えてました。200は居たかも。らしいです。この時私(逢菜)は、姉と共に真っ暗闇を彷徨っていましたが途中から明るくなっていき、自然豊かな場所に行き着きました。そこがnoteにも書いてあるグラウンドでした。そこで《六花》という人格を見つけましたが、私達は隠れました。単純に怖かったからです。今では了承を得ないと統合出来ないようですが、昔は問答無用に統合していたようで、それが本当に怖くて逃げました。密かに情報を六花から盗み、知的障害が見つかった事を知りました。当時の担任は差別せずに真剣に考えてくれるとても良い先生でした。勉強についていけなかったのを見兼ねて勉強を教えてくれました。そのお陰で100点は取れませんでしたが、過去最高の得点を取れました。勉強もでしたが、1番は人間関係が基本を苦しめていたんだと思います。家庭環境や友達関係や学校です。家庭環境では全てが世間体を気にする親と祖父母で…なので、その頃の自分は自分意外の家族をあまり認識しないようにしていました。(無意識)なので記憶保管所にもあまり書かれてません。友達関係では友達だと思っていた子がいじめグループの一員だったことを知った頃からまた解離が酷くなったと暁家に就任した時に六花が話してくれました。統合してもキリがなかったから問答無用に統合してたようです。基本が小5になった時にいじめはなくなりました。結局いじめグループは基本が仲良かった子が欲しくていじめてたのではと私は思います。私と姉さんは機体が小3の時にぼんやり居たのは覚えてて、完全に解離したのは上記にも書いてある、仲良かった子がいじめグループだったのを知った時です。そして基本は小6の時半年不登校になりました。小6に上がった時の自己紹介であだ名を決めましょうと担任が言ったことがきっかけでした。自分の自己紹介の番の時…「なんで自分はここに居るんだろう」と基本は思ったそうです。その時も大変でした。その時も人格が増え、不登校になった途端親の暴力と暴言が始まり更に解離していきました。多分中学生時代も書くかな?と長くなりましたが、私が知ってる小学生の頃を書かせて頂きました。文才はありませんので、ご了承ください。

逢菜(あいな)

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