【労働の意義】〜精神疾患で働くことの出来ない私が、労働の楽しさを知る〜

私は精神疾患になってからろくに働いていません。というより働けなかったんです。そうすると、働く気さえなくなって行きました。そんな中、働く楽しさをいつ振りだというくらいに知れたんです。

きっかけは、亡くなった祖父の実家を訪れた際に行った遺品整理でした。一室びっしり、また棚などにもびっしり、遺品がありました。棚をどかしたり、机を動かしたり、物を動かしたりととてもしんどい作業が続きます。最初はその遺品をどうやって捨てようかなと、考えているうちに、売れるんじゃないか、と思ったんです。

まず、目についたのは木箱に入った陶器でした。備前焼のようで、バブル期に最も流行っており、よく流通していて、祖父も買っていたようです。木箱は軽く30個くらいあったため収集が付かないなと思っていましたが、とりあえず、3つを近くのエコリングに持って行きました。

すると、3000円で買い取って貰うことが出来ました。それがとても私には嬉しかったんです。そして、もう一つポイントとして、エコリングに行くまでは徒歩で行きました。ダイエットにもなるウォーキングをしながら、買取をしてもらい、遺品整理ができ、お金をもらう。これは一石二鳥ですね。

そんな中、家から150mくらいの所に買取店の大吉も出来てしまいました。と、試しに、遺品整理で出て来た時計を持って行きました。すると、なんと、1万5千円だったんです!ラッキーと思いながら、帰り道はるんるんです。

そんなこんなで、遺品整理をしては、ウォーキングでエコリング、または大吉へ。

遺品整理=労働⇨エコリング≒大吉=お金

とまぁ、こんな感じで、私は労働をする楽しさを見出しました\(^o^)/


ときには、1円で買取という時もありましたが、なにせ、買取って頂いた祖父の遺品が、必要な誰かの元に届くかもしれないと思ったら嬉しくてワクワクします。まさにこれが、労働意欲の原点なのかも知れません。


以上、精神疾患で働くことの出来ない私が、労働の楽しさを知る、でした。働けない精神疾患の方や、労働意欲を見出せない人など、なにか参考になれば嬉しいです。


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