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SDGs・脱炭素を真剣に考えてみる

概要

SDGsの不都合な真実 編集=杉山大志、著=川口マーン惠美+掛谷英紀+有馬純ほか 宝島社 の読書所感となる。

本書に書かれている主張はざっと以下の通り

・再生エネルギーは問題だらけ(人権問題、自然破壊、災害リスク、経済リスクなど)
・SDGsは権力者による投資のお題目でしかない(つまり金儲け)
・それに追従する政治家、科学者、マスコミには分別はなく、環境問題を自己の名誉、食い扶持としてしか捉えていない。

こうやって書き連ねるとSDGsってのは一理(一利)もないということになる。

本書自体が、アンチポジションなので当然とも言えるが、内容を読むと数字に基づいた論拠で語られているので、正直これに反論するのは難しい。首肯せずにいられないのである。

「SDGsは正しいし、国ぐるみで推進しているので間違っているはずがない」

と考えている人が大半だろう。一方で、

「分かってはいるけれど、果たしてやり方はこれで良いのか??」

と、漠然とした疑問、不安を持っている人もいるだろう。

筆者もその一人だ。

しかし、本書を読むことで、そういうモヤモヤした気持ちが見事に晴れた。

爽快な読後感が薄れないうちに、考えさせられたことを書き留めておくことにする。

錦の御旗『SDGs』

社会人生活を送っている人ならば、各種メディアや仕事で「SDGs」という文字を目にしない日はない、といっても過言ではないだろう。

SDGsは社会問題、環境問題を解決する開発目標である。国連が提唱しているので、世界共通のテーマとして認知されている。

差別を無くそう、貧困を無くそう、自然を守ろう………等
SDGs自体の詳細解説はここでは割愛するが、『人類の夢』ともつかない美辞麗句が17も列挙されている。

個々の目標は100%正義の言葉なので反論のしようがない。誰もがひれ伏す錦の御旗だ。

しかし、現実と照らし合わせると、それぞれの項目は矛盾関係にあることが浮き彫りになる。

「貧困を無くせば………、みんなが豊かになって………、人口が増えて………、更なる開発が必要になって………、あれ?でも自然は守らなきゃいけないから、開発はできないんだっけ?えーっと、えーっと………」

と、少し考えただけでもすぐに行き詰まる。

だが、これらの現実は直視されることはない。

「とにかくSDGsに沿って物事を進めるのが正しいし、世の中的に評価されるんだから、どんどんやろう」

というのが世の中の風潮になっている。

展示会に行くと、各企業は挙って「ウチはこれだけSDGsを意識してやってますよ」的なアピール合戦の様相を呈している。

筆者は機械系のエンジニアだが、近年「リサイクル」、「カーボンニュートラル」関連の開発テーマが増えてきた。

もはや、企業だけでなく、個人としても、こうしたアウトプットが求められる時代になってしまったのである。

SDGsで(実質的に)飯は食えない

ここでいう(実質的に)というのがポイント。
理由は主に二つある。
一つは、SDGs関連で事業成長できる企業もあるだろうが、その陰で衰退していく産業もあるということである。
例えば火力発電所は「原油を燃やす=CO2を大量に排出する」イメージでエネルギー業界では爪はじきの憂き目に合っているが、日本はCO2を高効率で回収できる技術を開発してきたため、十分エコと言えるのだそうだ。
しかし、SDGs的には火力発電所はNGとなるため、このままではせっかくの優れた技術がお蔵入りになりかねない。

また、「ガソリン自動車=CO2を大量に排出する」イメージでガソリン自動車も悪者扱いされている。電気自動車ばかりの開発が重視されてしまうと、ガソリン自動車が長い開発歴史の中で培ってきたエンジンの機械系統(メカの部分)に関する技術が失われてしまうことになる。

SDGsのせいで技術開発の多様性が失われるということである。

もう一つは、SDGsに配慮した開発は金がかかり過ぎて、SDGsに配慮していない開発に勝てないということである。
SDGsが全世界の国に平等に課せられたテーマであれば話は別だが、実際にはそうではない。国によって数値目標が違ったり、完全に無視している国もある。
日本は前者の中でもかなり高い数値を掲げているので、新しいものを創り出すときに、かなりSDGsに配慮しなければならない。
ものづくりの開発で言えば、製造工程で電力を抑えなければならない、リサイクルされた原料を使わなければならない、といった制約がつくわけである。
このような制約がつくと、開発の自由度が低下し、開発が困難になる。投資も必要になってくる。足かせがついた状態で、SDGsに配慮しない国の開発に勝てるわけがない。

このような中で、開発者の中には短期的には喜んでいる人もいるだろう。
SDGsのお題目の元で、表向きの開発テーマを捻り出すことができるのである。仕事が無くて困っている部門では「やらないといけないことができました」的に自部門の存在をアピールできるのである。
しかし、そういった中身を伴わない開発は決して結実することはないだろう。
虚業といっても差し支えない。

だから、(実質的に)飯が食えないのである。

個人としてSDGsとどう向き合うのか

この本を読むと、SDGsなるものがとことん無意味であり、そればかりか有害であることを思い知る。
しかし、仕事上ではSDGsからは逃げられない。
「こんなこと開発しても仕方がないのに………」と、覚めてしまうと、仕事に身が入らなくなってしまう(じゃあ、普段は身が入っているのかと言われると、答えに困ってしまうが………)。

懊悩しても仕方ないのである。
しがないサラリーマン一個人でコントロールできないことだと割り切るしかないだろう。
「ソレハソレ、コレハコレ」である。

ただ、そうやって何も考えずただ世の中の流れに身を任せて生きていくのはそれはそれでつまらない。

「自分でできる本当に必要なSDGsは何か」を意識するくらいはバチが当たらないだろう。
例えば、
公園に落ちてるゴミを拾う。
割り箸は繰り返し洗って使う。
などは、自己が認めるSDGsだ。

半面、
有料レジ袋。
使い捨てプラ製品の排除(無理やりな紙製品化)。
ペットボトルキャップの回収。
などはエコではなく、エゴである。

自分流SDGsを大切にしたいものだ。

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