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この戦争は、どう始まったか -ミハイロ・ユルチュク

(4,173 文字)

7月、ミハイロ・ユルチュク

ウクライナの人々は毎日戦火に苦しんでいます
地雷による重傷、銃創、火傷敵の兵器は、誰を殺したか気にもしていないミサイルや爆弾は、軍人も民間人も、大人も子供も同じように負傷させている
ウクライナの医師たちは、同胞のために勇ましく戦い、最も困難な患者さえも「あの世から」連れ戻してくれています
それでも、誰もが手足を救われているわけではありません
そして、傷ついた人の数を敵に教えることになるので、その数は秘密ですが、何百人という数にのぼります
ウクライナ人には、助けなければならない仲間が何百人もいるのです

「子供の頃から軍人になるのが夢でした
名誉や義務は、私にとってただの言葉ではありません」

33歳のミハイロ・ユルチュクはそう言います
彼は空挺部隊で、2016年に兵役につきました
2022 年 3 月、彼の旅団はイジュームを防衛していました
敵の戦車小隊が向かってきました
砲弾が隣の装甲兵員輸送車に命中した
彼が、兄弟たちを助けるために走りだしたとき、被弾したのです
彼が覚えているのは暗闇だけです
ミハイロが目を開けると、腕はなくなり、足はつぶれていました
銃撃戦の中で「置いていってくれ」と言いました
しかし、仲間たちは避難所まで数キロも彼を運んだのです
そして、ミハイロは仲間の偉業に感謝し、手足を失いながらも、これからも精一杯生きていくことを決意しています

6月、彼はケガから回復しました
意志の力と最新の義肢のおかげで、歯を食いしばりながら歩けるようになりました
次は、義手です
しかし、その先の展望は、彼には受け入れがたいものでした

上肢を失った人には、通常、鉤型や美容用の義肢を装着します
前者は仕事のため、後者は道行く人が振り向かないように

しかし、ミハイロのような人たちには、バイオニックアームが手助けになるかもしれません
価格は2万〜5万ユーロと高額です
もちろん、失われた腕の代わりにはなりませんが、特殊なセンサーにより、腕の機能を再現することができる最高のデバイスとなります
切断された手足に力をこめると、その義手が反応します

信じられないことですが、ウクライナでは、ウクライナの医師がウクライナ国民のために、すでにそのようなことをしているのです

リヴィウ市の第一医療協会に基づく国立リハビリテーションセンター「Unbroken」は、大人も子どもにも、戦争で苦しんだすべての人に、救いとリハビリの機会を与えるユニークな場所です
外科医、外傷医、義肢装具士、心理療法士、リハビリテーションの専門家など、さまざまな分野の専門家が、ウクライナ人一人一人に対応します

患者は海外や複数の機関に助けを求めるのではなく、1つのセンターで治療を受けられます
心理学者によれば、慣れ親しんだ言語環境、親類の側にいることで、適応と社会化が容易になるそうです

ウクライナ人が戦闘による負傷から一刻も早く回復できるよう、「Unbroken」センターは義肢装具プログラムを開始しています

従来の義肢に加え、センターの専門家がバイオニック義肢を患者に装着するようになりました
最初の義肢を受け取ったミハイロ・ユルチュクさんバイオニック義肢は、IT企業シンフォニー・ソリューションズの資金援助を受けて設計されました
この義肢は、ウクライナのメーカーであるエスパー・バイオニクス社製です今、彼は義肢の使い方を学んでいます

「新しい腕」を充実した人生へのチケットと呼んでいます
しかし、多くのウクライナ人は彼のようには希望をかなえられず、とても残念に思っています

そこで、国立リハビリテーションセンター「Unbroken」は、チャリティープラットフォームhttp://dobro.uaと共同で、「アンブレイカブルの義肢」チャリティープロジェクトを立ち上げました
このプラットフォームによって、戦争で被害を受けた、少なくとも50人のウクライナ人に世界最高の義肢が提供されます
(目標金額1億フリヴニャで、誰でも寄付できるプロジェクトです)

「私たちの使命と願いは、ウクライナ人に最高のものを提供し、ウクライナの義肢装具全体のレベルを上げ、絶対に、それ以下に下がらないようにすることです
外国に行くほうがウクライナよりいいなんて誰にも思わせたくないし、提案されないでいいように」
国立リハビリテーションセンター「Unbroken」の義肢装具士、ナザール・バグニュクさんはそう言います

https://dobro.ua/project/unbroken/?utm_source=shotam.info

9月19日 ウクライナメディア:

「生きなければならない」 -義肢を得たウクライナ兵士、ミハイロ・ユルチュクの物語

2022年春、イジューム付近の戦闘で、兵士ミハイロ・ユルチュクは重傷を負った
その結果、男は腕と脚を失った
当初は義足だけだったが、最近、リヴィウ国立リハビリテーションセンター「Unbroken」で最新のバイオニック義手を装着した
この義手は、特殊なセンサーにより、普段の動きを再現することができるのだ
現在、ミハイロはリハビリ中です
これはリヴィウ軍第1医療地区から報告されたものです

ミハイロはクメルニスキー地域の出身です
学校卒業後は、ガラス工場や家具工場で働いていました
しかし、26歳の時、プロの軍人になろうと決心した

「子供の頃から軍人になるのが夢だったんです
私にとっては、名誉と義務の問題です
最初はミサイル旅団でロケット砲を打ち、その後、下士官のための軍事大学に行き、最終的に空挺旅団に入りました」

本格的な戦争が始まり、ミハイロはドンバスに従軍した
その後、旅団はハリコフ地方に移動し、ミハイロはそこで怪我をした

「いつもと同じ、寒い朝でした
夜勤明けで寝ているときに、大規模な砲撃で目が覚めました
16台の戦車で構成される戦車部隊が迫ってきていました
目の前でBTR(装甲兵員輸送車両)が破壊されたので、中から仲間たちを引っ張り出そうと駆け寄ったたのですが、7メートルくらいまでしか行けませんでした
砲弾の風切り音が聞こえ、爆発音が聞こえ、そして真っ暗に…..
目を拭おうとすると、腕があるはずなのに骨がむき出しになっていました
足が動くかどうか、確認しようと思い、見ると、足もひどく傷ついていました
死ぬと思ったのですが、横になっているうちに、まだ死なない、生きられると思い、何かしなければと思い、止血帯をしました」

このウクライナの防人は、仲間によって砲撃から救出された

「その時は、手足を失うなら、死んだ方がましだと思いました
手榴弾を持ち出して自爆しようと思って、仲間に『下がれ』と言いました
そしたら、『いや、よかったら一緒に帰ろう』と言われ、手榴弾を隠されました
仲間たちに地獄から連れ戻され、助けられました
何度も何度も、『どこかの路地裏に置いて先に行ってくれ、生きていたら戻って来てくれ』と言ったんです
でも、「置いていかないよ」と言われて、ずっと引きずられていました
砲弾が近くで爆発していたのですが、仲間たちは恐れず、私を運び、救ってくれました
私は仲間に感謝しています、彼らを失望させるわけにはいきません
仲間に救われた命を無駄にしないために、私は生きなければならないのです」

ミハイルは病院に搬送された
そこで足を切断することになった
その後、別の医療施設に移され、状態は安定した

「麻酔が終わって目を覚ますと、手足に包帯が巻かれていて、夢ではないことに気がつきました
それまで手足のない兵士を見たことがあり、その精神の強さを誇りに思っていましたが、自分には生きていけないと思い、人生や価値観を見直すことになりました」

そして、まず、義足を着けることになった

「自分でコントロールするのは難しいのではないかと心配で、義肢装具が怖かったんです
足を踏ん張ったとき、初めてのパラシュートジャンプのようなスリルを味わいましたが、歩けるようになったことに気づき、本当に元気が出ました」

しかし、ミハイロによると、腕がないことの影響は大きかった
腕が無いため、日常生活は困難だった

「日常生活では、片手しかないのでは、靴の紐を結ぶことすら難しかった
お腹が空いていて、缶詰しか無かったこともありました
引っ張って開けようとしたのですが、どうしても開けられませんでした
食べ物があるのに、食べられなくて、飢え死ぬかもしれないと感じました」

このような場合、ほとんどは金属製のフックや美容用インプラント(注:動かない義手)を装着することになる
前者は仕事用、後者は人目を引かないためのものだ
しかし、この軍人にはバイオニック義手が提供されることになった
この義手は特殊なセンサーにより、普通の手の動きを再現することができる
切断された手足の筋肉に力をこめると、この義手が反応するのだ

リヴィウ市第一医師会の開発ディレクター、イリナ・ザスラヴェッツは次のように話す
「ミハイロはバイオニック義肢の装着を開始した最初の患者です
ミハイロはヒーローです
彼は私たちを守るために手足を失いましたが、彼に完全な人生に戻るチャンスを用意できました
義肢は決して腕の代わりにはなりませんが、腕の機能を最大限に回復させることができます
義肢を必要とするすべてのウクライナ人にチャンスを与えるために、この活動を始めることがとても重要なのです」

手足を失った人にとって、義肢は人生を充実させるためのチケットだとミハイロは話す

「逃したチャンスを取り戻せたという考え方がとても気に入っています
何はともあれ、私はラッキーだと思っています
快適な義肢を手に入れたことで、私は普通の生活に戻れるのです
使いこなせるようになりたいと思います
今の夢は、旅行やスポーツをしてアクティブな生活を送り、家庭を持つことです」

https://suspilne.media/282544-treba-ziti-dali-istoria-ukrainskogo-voina-mihajla-urcuka-akomu-vstanovili-bionicnij-protez/

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