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6月、アルメニア

戦争が始まり、エレバンに集まったロシア系ユダヤ人たち

アルメニアの小さなユダヤ人コミュニティーは、ロシアから逃れてきたユダヤ人約200人により強化された
ロシアによるウクライナ戦争が始まって以来、何万人ものロシア人がコーカサス地方に逃れた
その中に、エレバンに移住してきた数百人のロシア系ユダヤ人という、意外なコミュニティーのメンバーたちがいる

ロシアがウクライナ戦争を開始し、弾圧と国際的制裁の波を引き起こしてから約2週間後の3月8日、40歳のモスクワ人、ナサニエル・トラブキンはエレバンに移り住んだ
多くのロシア人と同じで、彼がアルメニアを選んだのは、それが比較的簡単だという理由だ
ロシア人にはビザが不要で、ほとんどの人がロシア語を話し、短期滞在用アパートを見つけるのも、ビジネスを始めるのも簡単だったからだ
また、アルメニアの友人も移住の手助けをしてくれた
しかし、それでも簡単にはいかなかった

「到着したとき、ポケットにあるだけしかお金を持っていなかったし、多くの人がそうだった」
とトラブキンは語る
急いで探した結果、彼は「ひどい」アパートに住むことになった
このひどい経験から、彼はエレバン・ジューイッシュ・ホームを設立し、他のロシア系ユダヤ人のアパート探し、新しい銀行口座の開設や開業支援するようになった

https://he.chabad.org/jewish-centers/118308/Yerevan/Synagogue/Jewish-Community-of-Yerevan

4月に活動を開始して以来、同団体は約200人のロシア系ユダヤ人のエレバン移住を支援してきたと彼は言う
ユダヤ人はアルメニアとの長い歴史がある
5世紀のアルメニアの歴史家Movses Khorenatsiは、紀元前1世紀にティグラネス大王がレパントの戦争により1万人のユダヤ人をアルメニアに連れ帰ったと記している

最近のインタビューで「大アルメニアは歴史的に重要なユダヤ人社会が存在した場所である」とエレバンの主任ラビ、Gershon Meir Burshtein氏は述べている

彼は、ユダヤ人が住んでいた他の多くの場所とは異なり、アルメニアではポグロム(虐殺・暴動)やその他の迫害に苦しんだことがないと述べた
「アルメニアは、このような記憶の汚れがないため、精神的、物質的な基盤を創造し統合する努力をしようと思える、希望となりやすいのです」
アルメニアのユダヤ人の大部分は、ソ連末期からソ連初期にかけてイスラエルに移ってきた
この新しい移民の波が起こる前は、アルメニアのユダヤ人コミュニティは800から1,000人程度だった
ソ連崩壊後、イスラエルはアルメニアと緊張関係にあるアゼルバイジャンと密接な関係を持った
そのため、イスラエルがアゼルバイジャンへの武器売却したり、アルメニア人虐殺を認めないことに対し、アルメニア人はたびたび不満を口にするようになった
しかし、こうした緊張はアルメニア人のユダヤ人に対する態度にまでは影響していない、とトルブキン氏は言う
「私がユダヤ人だと知っても、ここの人たちは私を特別扱いしません」と彼は言う

現在、エレバン・ジューイッシュ・ホームは、新たに到着した人たちが、共に新しいコミュニティーを形成する手助けをしている
この団体は、米国ユダヤ人合同配給委員会から資金援助を受けており、ジョージアのトビリシとバトゥーミでも同様に、起業支援をしている
この組織は、ヘブライ語の授業を始めており、新しく到着した人たちのためにアルメニア語の授業ができるように働きかけを行っている

「アルメニアとジョージアに来た多くのロシア系ユダヤ人は、ロシア国内のユダヤ人コミュニティーから切り離されてしまった」とトルブキン氏は言う
「ロシア系ユダヤ人には、ユダヤ的な繋がりを再構築することが重要です
だから今できることは、彼らが仲間の中にいると感じさせることです」
この「親密性」こそ、迫害と離散の長い歴史を持つアルメニア人とユダヤ人に共通するものだという

しかし、新しくやってきたロシア系ユダヤの人たちは孤立することなく、むしろより積極的にアルメニア社会に溶け込み、関わろうとしている
エレバン中心部の賑やかなサリャン通りから少し入った路地に、アルメニア人にはあまり知られていない2つの料理を融合させた「フムス|キムチ」というレストランがある
イスラエル料理と韓国料理だ

「妻が韓国人、私がロシア系ユダヤ人なので、まったく異なる2つの料理をミックスしたらクールだと思ったんです」と、オーナーシェフのドミトリー・シャンガロフ氏は言う
姉がアルメニア人と結婚したことでアルメニアになじみ、戦前にエレバンに移り住み、レストランを開いた
「始めの計画では、レストランを開いて地元の人を雇い、彼らに教えたらモスクワに戻るつもりでした」
「Ukraine」と書かれた黒いTシャツを着た彼は厨房から出てきた
戦争が始まったとき、彼はレストランのための機材を運ぶためにロシアを訪れていた
2月28日にエレバンに来てから、ロシアにはまだ帰っていない
「今ではユダヤ系かどうかは関係なく、4月に開業したこのレストランは、エレバンの多くの新しいロシア人、ウクライナ人、ベラルーシ人たちのお気に入りの場所になっています
特にランチタイムには、好奇心旺盛な地元の人たちが集まってくるようになりました
最初の1カ月半で黒字になるとは思っていませんでしたが、予想以上でした」
と彼は言う

また、エレバン中心部のロシア系ユダヤ人が経営するカフェ「ママ・ヤン」も人気のたまり場だ
2021年にオープンし、ディアスポラの人たちに人気があるお店だ
現在では、エレバン・ジューイッシュ・ホームの協力で、ユダヤ教をテーマにした詩の朗読やスタンドアップコメディのイベント、安息日を祝う会など、文化の発信地となっている
最近行われたオープンマイクのイベントでは、英語とロシア語が交互に使われ、ジョークが飛び交った
「アルメニア人は金の無いユダヤ人のようなものだ」とある芸人が言った
このジョークが二度繰り返され、観客の多くから複雑な反応があり、トルブキンも眉をひそめた
しかし、ロシア系アルメニア人の一人が事態を収拾した
「怒る必要はない、怒る必要はない、互いを知るチャンスだと思えばいい」
(終わり)

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