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この戦争は、どう始まったか -ホルボノース一家(3)-ルカシフカ村
6月11日 ウクライナWEBメディア:(5,099 文字)
ロシア兵は教会でバーベキューをし、図書館に浴場を作った
ルカシフカ村は、チェルニヒウの南東15キロに位置する
2月24日までは324人が住んでいて、そのうち107人が年金受給者だった
図書館と救護所と二つの小さな商店があった
地元の人々は主に「ナポリフスキー」と「ローザ」の 2 つの農場で働いている
チェルニヒウに電車通勤する人もいるが-最寄りの鉄道駅まで5キロある
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名所は100年前に建てられた復活教会(ソ連時代に破壊された教会を修復した建物)だ
戦争が始まり、ウクライナ軍はルカシフカ村に入った
3月6~8日の間、郊外でロシア軍との交戦が続いた
ウクライナ軍は戦力不足で退却した
3月9日、敵の戦車や兵員輸送車両10両と兵士500人ほどが三方向から村に侵入した
3月末には、露軍はここと近くの村からチェルニヒウに砲撃を行った
ロシア軍の車両はすべての家の庭に入りこみ、住民たちは家、小屋、地下室を占領軍と共有しなければならなかった
3月31日、ウクライナ軍はルカシフカを解放した
ロシア軍は286戸のうち31戸の家を完全に破壊した
残った家屋の破壊の程度はまちまちである
村に残っているのはほんの数人だった
教会も破壊された
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11人の住民が亡くなり、それ以上の兵士が死んだ
一人の気の毒な女性が首を吊った
一人は心臓病で死亡
一人のガン患者が治療を受けられず死亡
四人目はストレスによる潰瘍で出血し死亡
大人二人と10代の子供二人が砲弾で死亡
車で逃げようとした男性が侵略者に撃たれ死亡
一人は防弾ベストと火炎瓶を発見され死亡
一人は胃に破片が刺さって死亡、など
全員、ただ埋めるしかなかったが、四月に、きちんと埋葬することができた
村の攻防戦では、約20人のウクライナ人兵士が死亡している
その中には、レオニード(20)とローマン(24)のブトゥシンの兄弟も含まれている
彼らはもともとロシア出身だ
ブトゥシン一家は、2014年にプーチン政権下のウラジオストクを逃れ、プリカルパッチャ(ウクライナ西部)に移住した
父親であるオレグ・ブトゥシンは、この戦争が始まり、対テロ作戦に参加しキーウ市防衛戦に参加した
オレグ・ブトゥシンの息子たちはチェルニヒウ地方を守った
オレグは4月2日、ルカシフカで息子2人の遺体を発見した
ローマンとレオニードは敵の歩兵戦闘車を焼き払い、戦車を破壊した
発見された場所は、彼らが最後まで戦い、並んで死んでいったことを示している
父親は、この地をその血で洗った子供たちをカルシュ(ウクライナ西部、カルパチア山脈の麓にある小さな都市)に連れ帰り埋葬した
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ルカシフカ村へ
現在(6月初旬)、ルカシフカとその周辺の畑や庭は、集中的に植樹が行われている
5月下旬に地雷が除去されたので、それが可能になった
アスファルトにミサイルが突き刺さっている
100メートルほど離れた道端に、刺繍の付いたタオルがまかれた十字架が立っている
ウクライナの村はずれには、このような十字架が多くある
近くには、燃えた車がある
その向かいはナポリフスキー農場だ
ナポリフスキー農場
「オークが私から種芋の袋を盗んだ」と笑うのはナポリフスキー農場主のフリホリー・トカチェンコ(Григорій Ткаченко)さん(54歳)だ
「ロシア兵はどこに行くつもりだろう?まあ、デスナ(ドニエプル川の支流でルカシフカ村の東側を流れている)を越えて、モスクワの国境を越えても、でも、どうやってあれをシベリアまで持って帰るつもりだったのだろう?」
結局、そのジャガイモは野原で焼けた戦車の近くで、地面にちらばっているのが、あとで見つかったという
白髪交じりの大柄なこの男は、村とその近辺、焼けたジャガイモがあった場所、破壊された敵の車両、破壊された住民の車、焼けた家屋などを案内してくれた
SUV のトヨタ ランド クルーザーを運転していくつかの通りを走った
ドライブは長く続かない ルカシフカは狭い
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「大きな畜産場でした
戦前は316頭の牛を飼い、牛乳を工場に送っていました
1,500ヘクタールの耕作地で、トウモロコシ、ヒマワリ、冬小麦、ジャガイモを栽培していました
庭、車、ブラックベリーを持っていました」
トカチェンコさんは生活と仕事に必要なものは全て揃っていたと話す
トカチェンコさんが交差点で、道路脇に押し出されたチェコのハリネズミを示す
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「ここが最前線の防衛線となり、戦闘は激しくなりました
戦争初期からルカシフカを防衛したウクライナ軍は、第1戦車旅団の部隊で、総勢64名、戦車2両、装甲兵員輸送車3両、ATGM(対戦車ミサイル)1台でした
彼らのところに行くと、温かい食べ物や暖かい服、機器の修理が必要な場合の協力を頼まれ支援しました
車両の提供も頼まれたので、提供しました
ブトゥシン兄弟は、人柄の良さと指揮能力の高さが際立っていました
3月8日、オークが私たちの会社を標的にしました
彼らは搾乳場、冷凍工場を襲ったのです
妻と私は、朝から牛の乳を搾って子牛に飲ませるつもりでしたが、夜明けから激しい戦いが始まりました
2時間戦闘が続き、その後、ブトゥシンの1人から電話がありました」
「逃げろ!ルカシフカはもう守れない…」
何も持たずに車に飛び乗り、友人のいるチェルカシュ地方に行きました
ホリフリー・トカチェンコさん には 4 人の子供がいる
息子の一人と義理の息子一人が軍隊に勤務している
もう 一人 の息子と娘婿は妻たちと 6 人の孫と一緒に前日に避難していたという
「これは少年たちが亡くなった場所に建てた十字架です」
納屋の裏に大きな十字架があり、笑顔のブトゥシン兄弟の写真が飾られていた
碑文はこう書かれている
「ブトゥシンの勇敢な兄弟、ローマンとレオニードは、プーチンの侵略者との戦いの中、この場所で散った 2022 年 3 月」
近くには、4月に父親、オレグ・ブトゥシンが焦土の上に建てた小さな十字架もある
今は、ここには緑がたくさんある
村が占領されている間、トカチェンコさんは村の知人の何人かに電話をかけた
「 頻繁な連絡は取れなかった
数日に一度、生きていることを報告し、家族に伝えてほしいと言う女性もいました
彼女が地下室で缶詰のベーコンを開け、コンポートを飲んで、そんな食べ物でしのいでいることは知っていました
砲撃がないときの、特定の時間帯にしか外出できないんです
しかし、中には、あの生き物たちとの関係によっては、もっと頻繁に外に出られた人もいました
ある男が露軍部隊の動きを教えてくれたので、その情報はスカウトに伝えました
まあ、それが役に立ったかどうかは分かりませんが、他にもウクライナ軍には情報源がありましたから
私たちのドローンが飛んでいました」
3月31日、トカチェンコたちは村に帰ってきた
「 人々は疲れ果て、怯えながら地下室から出てきました
オークは逃亡した後、西の方へ向かったので、多くの人が怖がっていました
そして、1ヵ月後には村人の約90%が戻ってきました
そして、農場では恐ろしいものが待ち受けていました」
フリホリーの妻バレンティーナは、3月31日のビデオを見せるために牛舎の近くで待っていた
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膨れ上がった動物の死体、切り刻まれた死体、切断された子牛の頭が敷地内に散乱していた
ある牛は榴弾の破片で死亡し、ある牛は食用にするために撃ち殺され、最も良いとされる部位が切り落とされている
ロシア兵たちは自分たちで食べたり、隣村の他の部隊に運んだりしていた
157頭の牛が殺された
生き残った牛は死体の間をさまよい、干し草、サイロ(貯蔵庫)にあるもの、マッシュポテトを食べていた
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「牛と子牛が農場を歩き回る中で、オークたちは機関銃で牛を撃ち殺し、教会でバーベキューをしていたのです
牛が双子を産んで、その横に死んだ子牛が横たわり、片方は子宮から出てこず、足だけが出ている、そんな光景を見ました」
その声には悲しみが溢れていた
3週間の間ロシア軍に支配され、さらに二日の間は地雷除去のために、牛を埋めることはできなかった
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「村の外に掘った、100メートル×5メートル、深さ4メートルの穴に牛たちは埋められました
全部埋めてくれたんです」
バレンティーナさんは、ショベルカーのバケットで牛を持ち上げる様子を見せてくれた
「自分で体験しないと分からない」
そう言って彼はため息を吐いた
「子牛たちは見事な子たちで、有名なカナダ産の精子で…」
そう言ってフリホリーは黙ってしまった
「以前は1日に2700リットル搾乳していましたが、今は200リットルです
何日も搾乳していなかった牛は、すぐには搾乳できません」
農場の損失は少なくとも50万ドルだという
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「4,000平方メートルの屋根を修理する必要があります
新設した穀物乾燥施設は、ウクライナ国旗を20メートルの位置に掲揚していたので、戦車で粉砕されました
草刈り機、芝刈り機など、すべての機器が破壊されました」
フリホリーは彼の所有物を見せてくれた
建物の多くは骨組みしか残っていなかった
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「燃えないものは、切り刻まれた
バッテリーは外され、コンピューターは新しい物から持ち去られた
ジョンディア社のコンバインのガラスが割れていて、修理に9万7千グリブニャもする
ノートパソコンは全部オフィスから盗まれた
でも大丈夫
少しずつ修復しています
そして、勝利の後には補償を望みます
それに、私たちのことが記事になれば、どこかの金持ちが村の復興を助けてくれるかもしれないし」
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耕耘機に乗った男が通りがかり「やあ、元気か?」と声をかけてきた
フリホリーは笑顔を返した
農園の倉庫には、ジャガイモの入った大きな箱がある
窓は無く、蛍光灯の下で、8人の女性がコンベアのそばでジャガイモを選別し、芽をちぎっている
これから植えるのだそうだ
外は晴れているのに、ここは少し寒く、全員がジャケットやセーターを着ている
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「グリシャ!」バンダナで頭を覆っている従業員が、フリホリーに向かって叫ぶ
「昨日、一杯水を飲ませてくれって男が来たよ
ズボンのすそをまくり上げて自転車に乗ってた
『イワノフカ への道を探して迷っている。私は方向音痴で』って言ってた」
教えてあげて、その男が行った後、通りがかった別の男達からも同じことを聞かれたという
「 マウンテンバイクに乗ってたよ
イワン・ザ・フールなのか、それとも神の使いか」と別の1人が言い添えた。
(注:イワン・ザ・フール ロシアのおとぎ話の「皮肉な運命」の典型的な例の1 つ。誰も注意を払わない皇帝の末っ子。トリック・スター。)
「お嬢さん、早く教えてくれてもいいじゃないですか
昨日教えてくれるべきだったよ
あのね、役所に電話しても、『どうして24時間後にダニのことを知らせるんだ』と言われるんだよ」
フリホリーは女性たちにそう言って、私に説明してくれた
「ちょうど2週間前、森で馬鹿ども、モスクワ人どもを捕まえたんです
デスナ川で敗北して、彼らはこの辺りで散り散りになってしまってるんです」
私は女性たちに、占領が終わって回復できたかどうかを尋ねた
全員「はい」と答えた
「 最初は、何をすればいいのかわからず、無念の思いしかなかった
『怖い、怖い』と考えずにはいられなかった
正気に戻るにはしばらく時間が必要だった
外に出るのが怖い、どこかに隠れているのかもしれない」
「毎日、自転車に乗って(ルカシフカの住人はほとんど自転車に乗っている)、このすべてが目に入ってくる
それなのに、どうしたら忘れることができるのでしょうか」
「ロシア人達が戻ってこないか心配しています
彼らはは『設備を修理してもっと多くの人を採用する」と言ってました」
「動物たちは怯えています
地下室で犬と猫と一緒に夜を過ごしました
今、ノックされると、犬はすぐに飛び起きます
解放されても、最初の3日間はまったく気が休まりませんでした」
「ほとんどの人が同じです
皆、地下室暮らしに馴染んでいたのでしょう」
フリホリーさんが戻って来て、一緒に耳を傾けた
「お嬢さんたち、占領されてたときどうだったのか、何があったのかを教えてください
ただ、覚えておいてほしいのは、もう良いロシア人はいないということです
優秀なロシア人は棺桶の中です」
(注:もう怖がる必要はないですよ、という意味だろう)
みんな仕事の手を止めた
ある人は腕を組み、ある人は頭を下げ、あるいはコンベヤーに肘をついて、話をしようと頭を働かせていた
みんなの顔は悲しげだった
(つづく)
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