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4月、ロシア兵の戦争体験記(3)

(4,107 文字)

後方支援の実態

軍隊のために用意された人道的援助がどう分配されてるかを伝えるのも大事だと思ってる
本国にいるときも、前線に届くものはごくわずかではないかと思っていた
ヴァルイキ(イジュームから直線距離で約120kmほどのロシア・ベルゴロドの都市)まで戻ると、ウクライナにいる部隊に輸送物資を運ぶ徴収兵たちが、煮込み肉を3箱盗み、部隊内で70ルーブルで売ったことを知った

ヴァルイキ

タバコも3箱盗んでいた
通常187ルーブルのそのタバコを、100ルーブルで我々に売っていたのだ
また、連隊の本部で、そこで働いていた女性が大きな木箱からローシェンのチョコレートを取って食べているのも見かけた
これも塹壕に行くはずのものだったのだ…
ヴァルイキでは、このお菓子やシチューの缶詰やコンデンスミルクの箱が、怠け者たちによってどれだけ盗まれていることか...
また、イジュームでは、後方勤務の者たちが、ジャッカルのように、ロシア各地からの支援物資に襲い掛かっていたと、それを見た人から聞いている
チョコレートも缶詰もタバコも、いいものは全部持ち去られ、悪いものだけが全部残り、たばこの吸い殻の灰皿になっている…
その結果、トラックに残った最後の3箱のうちの1つが私たちの752連隊に送られていた
もう1つはボグチャリー(ロシアの都市、ウクライナに行った部隊とは関係ない)に、3つ目はどこかに送られた....
リア充たちが荷物を整理しているのを見た人は、見ていてとても気持ち悪かったと言う...

私が最前線にいるときは、幸い、食料はいつもあった
しかし、まともなタバコはなかった
ただ単純に、物資は前線に送られてなかったのだ
また、基本的なレインコートも無かった
一度、3日連続で大雨が降って、みんな濡れて寝て、夜の当番に立ったことがある...
誰もがずぶぬれ、寝るのもずぶぬれ、見張りをするのもずぶぬれ..

行方不明者

もう一つ、悲劇的な問題を指摘しないといけない
我々の部隊のあの非常識な突撃で、多くの志願兵が森ではぐれてしまった
彼ら新兵は、すぐに戦場に放り出され、お互いのこともよくわからないまま、逃げるしかなかった
今、彼らは少人数で森をさまよい、逃げ回っていると聞いている
「俺の獲物だ!」と怒鳴られたら、とにかく撃ちまくってると
彼らは、どんな思いをしているだろう
寒さと空腹に耐え、森をさまよい、ウクライナの亜人の手にかかることを常に恐れている...
誰が答えを知ってる?
5月初旬、PMC(ワグナーに代表される傭兵)が、森や畑に散った兵士を回収していることを知った
まあ、これはPMCとってはついでの仕事だ
彼らの主な任務はウクライナ軍と戦うことだろうと思う
とにかく、PMCはスルゴフカ村の近くの低木で私たちの仲間を2人拾った...
食事を与え、新しい制服を与えてくれた
新人たちはスルゴフカで2週間過ごし、制服は完全にボロボロだったからだ
そうして、2人をイジュームに連れてきてくれた

無為無策

もう一つ、 5月初旬、2人のFSBの将校が来た
少佐と中尉だ FSBの武装部門だと思う
正確にどの部門に所属しているかは分からない
2人はとても礼儀正しかった
私たちを前線に戻そうと、とても丁寧に対応してくれた
私は、基本的に無意味な虐殺の中に投げ込まれていると訴えた
中尉は、全てを知っていると答えた
ドルゲンコエ村への突撃を拒否したのは我々だけではない、スペツナズもこの村への突撃を拒否したのだと言うと、
「彼らも理解し、前線に戻って頑張ってる」
「(出撃拒否したことで)あなた方を裁くようなことはしない」
彼は何度もそう言った

そして、5月6日くらいだと思うが、FSBの大佐が来た
ある男が、大佐が我々ことを「20人ずつ攻撃に肉を放り込むようなものだ」と話しているのを聞いている
 FSBは全て知っているのに、この恐怖をどうにかしようと対応しないのは何故なのか?
それとも、それが普通のことなのか?
それとも、誰もが友達、同志、親戚、飲み仲間、共犯者としてかばい合うロシアの習慣なのだろうか?
例えば、このFSB大佐の娘は、師団長の息子と結婚(または交際)してるのかもしれない
だから、事件は追及されない・・・
ただただ、悲しいことだ・・・

詐欺的採用

他にも大事なことがある
個人的に耳にしたのだが、地方の契約選考所で採用担当者が事前に運転免許レベルを見て、師団長の運転手が必要なのだと明らかな嘘をついているそうだ
運転手は殺されることが多く、誰も希望しないからそうしている
また、ロシアの他の地域から来た人たちの話では、多くの人は入隊時には、前線には行かず、検問所の警備、輸送隊の護衛、すでに占領された地域の都市や村の警備をする支援部隊になると言われているらしい
とはいえ、突撃隊を含め、最前線に行くこともあると彼らははっきり認識していたが...

また、私のような一部の人間は、ウクライナで2週間から1カ月滞在した後は、10日間ロシアに帰り、休養させると言われていた
それも嘘だった
具体的なローテーションはなかった
2月24日にウクライナに入った契約の志願者は、今もそこにいて、ロシアに帰ることは無い
私も残っていたら、契約満了まで、つまり9月までの半年間、そこにいることになっただろう
我々の後に来た契約志願兵は、全員ではないにしろ、その多くは健康診断すらパスしていない

イゴール・ガーキン

イゴール・ガーキン

帰国後、イゴール・ガーキンのビデオを何本か見た
LPR、DPRで行われている、適切な訓練も調整もされない人々を戦場に送る犯罪的動員について、彼も話していた
大祖国戦争の最も困難な最初の数カ月間ですら、このようなことはしなかったと言ってる
(注:実は、これも事実ではない)

少なくとも少しは訓練し、お互いを知るための時間を与えられていた.. 少なくとも1週間は!
そうしないと、大きな損失につながるのだ..
実際、LPR、DPRで動員された人々の大きな損失につながった
そう、ガーギンは言ってた
こんな動員をし、それを許可した指導層は撃たれなければならないと言ってた
それに、このような動員はロシアの「黄金資産」を殺すものだとも
なぜなら、志願した人々は最もまともで正直な人々だからだ
このような扱いを受ければ、将来祖国に奉仕しようという意欲が失われてしまう、そう言っている...

752連隊の損害

我々は運悪く、いつも地獄に突き落とされるような最も残忍な部隊に配属された
比較するために、スルゴフカ村でよく見かけた、第三電動ライフル師団に属する、ヴォロネジ地方ボグチャリを拠点とする第252自動車化ライフル連隊についても話しておかなければいけない

私の考えでは、その連隊は我々の連隊よりも2,3倍戦闘態勢が整っており、訓練を受けていた
なぜそうなのかは分からない
その連隊の損失は我々と比べて3、4分の1だった
我々の隊は大損害で、常に人手不足が深刻だから志願兵の8割はうちに放り込まれていたという
それに、うちの連隊の優秀な契約兵士(彼の名前もヴィクトールだった)が、うちの隊は砲兵がメチャクチャだと言ってた
「なぜうちの砲兵はそんなに駄目なんだ?」と聞くと、
「『写真報告』のせいだ
正確に撃たずに適当に撃って、すべて順調、すべて目標に命中したと報告してるんだ」
と言っていた
別の偵察隊員が、スルゴフカ近郊で、スルゴフカ村を砲撃するウクライナ軍の榴弾砲部隊を発見したときのことを話してくれた
午前中に発見し その正確な座標を提供した
その偵察隊員は『ウクライナ軍は一日中スルゴフカを砲撃し、我々の砲兵隊も茂みにたくさん配置していたが、我々の砲撃は一発のカスすら当てられなかった』と言ってた
まさに、私がスルゴフカ村にいた頃のことだ
あるときは、一日中砲撃を浴びせられたのに、我々の大砲は何も反撃しなかったこともあった
どうして? わからない
誰も弾薬を持っていなかったのだろうか

特筆すべきことに、ヘリコプターが何度か我々を助けてくれたことがある
我々がスルゴフカ村にいたとき、敵の迫撃砲が私たちのすぐ近く(約1.5キロメートル先)まで来たのを二度制圧してくれた
ヴィクトールは、大隊と連隊、連隊と師団の間でコミュニケーションや情報交換が適切でないことがよくあると言っていた
もし本当なら、これは恐ろしいことだ

戦車や兵員輸送車両、航空機など重兵器数の推移

ザンポリート

突撃拒否をしたあと、副師団長から話しかけられたことがある
前線に戻って攻撃するよう、説得された
何が印象的だったか分かりますか?
彼が、我々がウクライナに戦いに来たのは金のためで、もしロシアで月に12万ルーブル以上稼げるのならここに来ることはないと確信していたことだ
これについて、どう考えればいいのか
そういうザンポリート(政治将校)がいて、人が物質的な利益以外の動機は持てないと確信しているのだとしたら、それは悲しいことだ
実際、大隊、連隊、師団の高級将校は皆そう思っているのだろう
(最前線で一緒に攻撃に出た中隊長は別として)
まあ、私の見るところ、そう思い込んでいるのだろう
何も驚くことはない
ロシア社会では、このようなことはずっと続いていた
そもそもロシアの人々の大多数は、マンション、車、別荘、海外旅行など、物質的な豊かさを求めているのだ
子供だったが、2000年代前半の人々の様子をよく覚えている
当時は良かった
もっと親切で、人道的で、誠実な人々が何倍もいた..
今では親切で正直で誠実な人でも、お金がなく成功もしていなければ、ロシア社会では「誰でもない人」だ...
(注:子供の目から見ればソ連時代の大人の社会の怖さは認識も理解もできなかったはずである。ソ連時代が理想社会だったというのも「嘘」であり、幻想に過ぎない。
(つづく)
参考:https://victor-shyaga.livejournal.com/840.html

参考:https://note.com/lovely_clab365/n/n3f5d2d1e4472

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