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ミュンヘンの交通博物館がクッソ楽しいので記事にする
ミュンヘンの交通博物館は素晴らしい。にも関わらず、魅力を感じる日本語記事がない。これは良くない。なので書いた。
記事の内容
ミュンヘンの交通博物館が素晴らしいという話。
機械のウンチク。
注意
ミュンヘンのドイツ博物館は、正確には「博物館群」が正しい。そして、この記事は「交通博物館分館」が正しい。「ドイツ博物館」は他の博物館なので、注意してほしい。
この記事の写真は著作権フリーとして宣言します。つまりCreative Commons CC0。好きにジャンジャン使ってほしい。そしてこの博物館に行くのだ。
簡単なまとめ
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興奮する(車両)
まずは入口ちかくにSR-500が!日本ではSR-400が標準だけど、ドイツは免許区分が違ったので、500ccエンジンを積めた。
筆者はSR-400, SRXと乗ってきた「単気筒美しい主義者」なので、最初から感動を隠し切れない🥹
この無駄がなく、美しいライン。そして実に機械的な単気筒エンジン。単気筒エンジンが生み出す振動と音。すべてが懐かしい🥹
でも、ぼくはSR-500には乗ったことないのだ。ああ!なんと、もったいない!
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そして70年代の旧車コーナー。聞いたこともないHerculesというメーカーの50cc車両が。なんと、このK50は単気筒50ccにも関わらず85km/hの最高時速が出るのだ。
50ccのクソ早マシンといえば、ホンダのRC116が有名だろう。しかし、考えてみても欲しい。RC116はレーサー車両だ。一方で、このK50は公道車両だ。こんなのが公道を走ってたとか恐ろしい。
説明によると、1980年にドイツで車両排気量の区分分けが実施され、最高時速が80km/hになったとのこと。え?最高時速が80km/hに制限?ドイツ人って速いのが好きなのね 🇩🇪
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おや・・・これはスズキのSW-1・・・かな?
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いえいえ、これはMaico Mobil 175ですよ。聞いたことねぇよ!Wikipediaにもドイツ語記事しかないぞ。
説明文とWikipediaの説明を統合すると、「1951年にコンセプトが提案。旅行するためのスクーターというコンセプト。1955年に製品化。1958年に製造終了。専門家は褒めたたえたが、重すぎる車体が原因で売れなかった」
いつの世の中も変わり種はなかなか売れないものね。スズキのSW-1も短期間で販売終了したし。
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おお・・・これは!こち亀で有名なメッサーシュミット三輪車!
こち亀 コミック 第66巻 P41. エビの看板が覆って、トラックに激突した。「エビの祟りだ!」が秀逸すぎるセリフ>
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この車両はKR175。奇抜な見た目の車両とは異なり、コンセプトはまじめにドイツの交通問題に取り組んだ設計。
説明によると「1950年代のドイツは交通事情が急激に変化。(以下は博物館の別の説明文を参照)運転に慣れない初心者も道路上で運転しはじめ、交通事情の改善と安全性の確保が急務だった。」
このメッサーシュミット三輪車KR175は「白雪姫の棺桶」なんて不吉なあだなを付けられたとのこと。5万台しか売れなかったそうな。そら、そうだわな!
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メッサーシュミット三輪車と似た思想なのが、このハインケル Kabine 400。
Kabine 400の方が横に広くって居住性は良さそうだ。Kabineもわずか2年で製造終了したとのこと。
やはり変わり種は・・・(以下略)
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おお!かっこいい!なんだ!?このカッコいいデザインは?
正解はOpel GT/J。Opelがドイツ市場とアメリカ市場の若者をターゲットに1968年に販売した1000ccクラスのスポーツカー。若者世代のバカ受けして、めちゃ売れたとのこと。そりゃあ、こんなカッコいい車だもの。デートに行くなら、こういう車で行きたいよね。
しかし残念にも、ルノーがOpelを買収した機に販売中止に。フランス人にはこのセンスがわからんのよ😤
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ん?なんだ、このミッキーマウスが乗り回してそうな車は?
正解はVictoria 250 Spatz! いやいや、知らねぇよ。いまは亡き会社。前述の2輪のHercules社に吸収されて1958年に解散とのこと。すごい古い車なのね。
なんてことはない、ちょっと可愛いだけの車。だけど、あえてこの車を紹介したかったのは説明文を読んだから「ここに展示された車両はオーナーが40年に渡って使用してきた一台」。
40年よ?すごい愛情じゃない?オーナーの機械への愛情に感動した🥹
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あらまぁ、また古い車両ですこと。これはニューヨーク-パリ間レース1908に参加した一台とのこと。
ニューヨーク-パリと言っても大西洋ではなく、アメリカ西海岸から、太平洋を渡り、ユーラシア大陸を横断し、そしてパリへ。。。いやいや、狂ってるって!!
フォードが会社を創立した年が1903年。たかだか10年程度の技術蓄積しかない技術で世界横断をしようだなんて。しかも、こんな小さな機械の乗り物で挑もうだなんて!
でも、当時はきっと「やればできる!」の感覚だったのだろう。実際、成し遂げたわけだし。
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興奮する(鉄道)
ミュンヘン市のU-bahn, いわゆる地下鉄車両。この車両の登場は1970年代。この時代背景には急激な都市化とミュンヘンオリンピックの開催があった。
ミュンヘン市は輸送需要の激化とオリンピック輸送需要に応えるための車両を必要としていた。そこで登場したのがこの車両。十分な広さと扉の数を備えた車両。
・・・だったのだが、あまりにも優れた設計だったのだろう。なんと、同型車両はいまなおミュンヘン市U-bahnで現役。しかも「ちょっと現役」ではなく、運行車両の60%程度はこいつ。
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つづいてはミュンヘン近郊鉄道S-bahn。ただし運行管轄はミュンヘン市ではなくドイツ鉄道。
この車両で特筆すべきことは色。現在のドイツ鉄道S-bahnはすべて赤塗装。ただし、この当時はまだ地方支局ごとにデザインをしていたとのこと。ミュンヘン、というか、バイエルンの州色は白と青。そこでS-bahnもこの2色になっていたというわけだ。
S-bahnの色に関しては、この記事が詳しく説明してる。ミュンヘンS-bahnは1984年から赤塗装を始めたとのこと。
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内装は・・というと、実は現在のS-bahnとさほど違いない。懐古的な雰囲気をまったく感じなかった。
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鉄道コーナーには蒸気機関車S3/6がある。が・・・写真を撮り忘れてしまった。あまりにもマニアックな写真ばかり撮っていたものだから。
なので、文字だけでこの蒸気機関車のすごさをお伝えしたい。S3/6の登場は1908年。日本はおよそ日露戦争の戦後。ゴールデンカムイの時代とほぼ同じ。その時代に120km/hで爆走していたのだ、このS3/6は。
博物館の説明書きによると、ミュンヘンとパリを結ぶ「ドイツ・オリエンタル急行」の運用に使われていたという。「オリエンタル急行」を名乗る車両は複数あったので、「ドイツ・オリエンタル急行」が具体的にどれなのか、それはわからない。説明書きの写真をとっておけばよかったね。
ただ、「オリエンタル急行」の名前をもつ列車は1883年には登場し、ミュンヘンも経路に入っている。1883年て、日清戦争の10年も前のこと。
ちなみに日本国産第一号の蒸気機関車は9600形というらしい。登場は1913年。最高時速は65km/h。9600形は単気筒シリンダだが、S3/6は4気筒シリンダも詰んでる。S3/6の最大動輪は2m, 9600形の最大動輪は1.25m。
うーん、ドイツってやはり鉄道大国だったのね。[1]
さてさて、S3/6の機関士室のあたりから写真を撮ってみた。ちょうど信号機の展示もあったので、信号機を見る位置で。
信号機はとても遠い。
ぼくは少し変わった趣味を持っている。それは鉄道事故のWikipediaページを読むという趣味。そして、ドイツの蒸気機関車事故で思い出すのはゲンティン鉄道事故。この事故は1939年だが、S3/6機関車がまだ現役の時代。そして事故の発生は夜の23時ごろ。考えてみても欲しい、夜間で信号機の光はこの写真ほどに明るくもないだろう。そして機関車の粉塵もある。信号機の見落としは十分に起こり得るヒューマンエラーだろう。機関士の位置に立って、そんなことを感じた。
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さて、そんな機関士の仕事について書かれた説明版。
まず給与について。平均的な生活費が年450 Talernだった時代に、機関士の年収は400 Talernだった。なので、機関士はなんらかの副業をしなければならなかった。鉄道会社は機関士家族に家を提供し、節約を促した。
この記事を書いているとき、2024年3月、ちょうどドイツ鉄道運転士組合は「たぶん2024年で3回目の」ストライキを実施していた。運転士の生活はいまも昔もそれほど良くないのだ。。。そんなことを感じた。
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[1] 9600形蒸気機関車を貶める意図はない。ぼくも技術者として、最初にゼロから設計した工業製品には敬意を持つ。それに、最初の設計は堅実で小さめな設計にすべきだろうと思う。その意味で9600形の設計は正しい。ここで言いたいのは、鉄道技術に大きな差が存在していたということ。
結論
この記事を最後まで読んだ人は、少なからず乗り物ヲタク。
この博物館に行くべき。
公式HP ↓
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