境界知能・発達障害と子どものような親
境界知能
知的障害は発達がゆっくり
境界知能の話をする前に知的障害について書いておきます。
最近よく聞かれるようになった発達障害は能力の凹凸があります。
ある面ではとてもよくできるのに、ある面は苦手でできないことがあるという特徴が目立ちます。
それに対して知的障害は全般的に発達がゆっくりです。
基準としてIQ値70以下が知的障害とされ、公的なサポートがあります。
(私は40年くらい前に関、このサポートの対象にあたる子ども達、青年たちに関わっていました。
その頃、精神発達遅滞 という呼称がありましたが、状態を表す言葉としては適切だったかもしれません)
境界知能
境界知能とは病名や診断名ではありません。
境界知能は、IQ(知能指数)の数値が70~84の域を指します。
一般的にIQ85〜115の範囲内が平均とされています。
「IQ値の目安が50〜70未満の軽度知的障害の人たち」と
「平均といわれるIQ85~115の人たち」との間にあるIQ値の人たちが、境界知能ということになります。
統計の理論上、人口の約14%、日本では約1700万人の人が境界知能に該当するといわれています。
35人クラスにおきかえると5人は境界知能であるということになります。
かなり多いという印象を受けます。
知的障害の定義に話を戻しますが、「IQ70未満」という知的障害の定義は1970年代以降のものです。
1950年代の一時期は知的障害は「IQ85未満」とされていました。
しかし、IQ85未満では知的障害のある人が全人口の16%もいることになり、これでは人数が多すぎて支援が追いつかないということで、知的障害の定義がIQ70未満に引き下げられたという経緯があります。
参考 しんどさに気づかれない子ども達
基準が引き下げられたといっても、
IQ70~85までの範囲にある子どもや大人に適切やサポートや配慮があったわけではなく、何もせずに放置されてきたという状態に近いと思います。
たまたま良い人間関係や環境に出会えたなら、大きな問題なく社会に適応していることもあるだろうし、そうではなかったら、大小さまざまなトラブルに巻き込まれてしまうこともあります。
宮口氏(「境界知能の子どもたち 「IQ70以上85未満」の生きづらさ」)はこう言っています。
知的障害や発達障害については研究が進んできていますが、
境界知能については海外でも研究があまり進んでいないようです。
境界知能の子どもたちは同じ年齢の子どもの8割程度の知能と考えられています。
また、境界知能の子どもたちの多くは、見る力や聞く力、見えないものを想像する力、といった認知機能(五感を通して得られた情報を整理して、様々な結果を作り出していく機能)に弱さを抱えていることが多いそうです。
学習面での課題に加えて、認知機能の弱い子どもには、感情や行動のコントロールがうまくいかないといった「社会面での課題」や、運動や手先の不器用さといった「身体面での課題」もあります。
境界知能でしんどさを抱える子どもによくあるサインに
キレやすい
あきらめやすい
お腹が痛くなる
嘘をつく
忘れ物が多い
等があります。
境界知能について知るほど、デジャブにとらわれるような感覚になります。
身近な人、それは高齢の母ですが、当てはまる部分がいくつもあると思いました。
これについては、また後程書くことにして次に進みます。
境界知能と発達障害との関係
発達障害は能力に凸凹があり、知的障害は全般的に発達がゆっくりと書きました。
では、知的障害とASDやADHDなどの発達障害との関係はどうなっているのでしょう。
上記の原典を読んでいないですが、子どもについて説明している図のようです。
けれど、これはこのままほぼ大人に対しても当てはまるだろうと思います。
大人の場合、環境による要因がさらに大きくなるとは想像します。
右側の発達障害とされる人の中に、高い知能の人も、知的障害の範囲に入る人も、境界知能の人もいるということです。
ここ数年、大人の発達障害は社会的にかなり認識されるようになりました。
動画サイト等で積極的に発信されている当事者の方も多いですが、そのような方は知的に正常、もしくは高い人たちのような印象をうけます。
説明や表現の仕方が上手で独創的であったり、俯瞰的な物の見方など、感心させられるところがおおいにあります。
知的障害と発達障害の人、両方を併せ持つ人は現行の社会ではサポートを受ける体制が整いつつありますが、
図の中の3の境界知能の人へのサポートは全くないと言ってもよいと思います。
少し引用をします。
境界知能と子どもっぽい親
IQ70以下で知的障害と診断されます。
軽度知的障害とされるIQ60の10歳児は精神年齢6歳くらいだそうです。
年齢に比較して精神年齢が低い、つまり精神発達が基準値に比較してゆっくりだということですね。
このゆっくりとした発達が12歳くらいの水準で止まるというのが通説だそうです。
あくまで理論や統計上の話ですべてがこの通りというわけではないと思います。
では、IQ70~85の境界知能である場合はどうでしょうか?
研究が進んでいないので、統計も参考になる調査結果もありません。
子どもの時期から大人へと追跡した調査も、もちろんなく、これから進んでいくのを期待したいところです。
同じ年齢の子どもの8割程度の知能という説から単純に予測すると
一般的な成人とされる18~20歳ごろには、境界知能の方の場合は14~16歳ということになりますが、体感ではこうはならないという感じがします。(母との経験から)
学校時代も配慮されることなかった彼ら、彼女らは、配慮されることなく社会に出ていくことになります。
ここからは個人的な経験をもとに書いてみます。
高齢の母は境界知能で発達障害
再度、境界知能と発達障害の関係表す図を貼り付けます。
右側の楕円の発達障害2と黒い部分の境界知能3の交わり部分に、母は該当するのではないかと思います。
コミュニケーションがうまく取れないことから、母の言動を観察するようになりました。
その頃、大人の発達障害という概念がでてきたころでした。
そのあたりはこちらに書いています。
母は93歳ですが、昔(100年くらい前)は発達障害も境界知能もなかった・・・という事はないと思います(笑)
今と違い昔はやることと役割がはっきりしていたので、それなりに適応できていたのではないかと思います。
学校の勉強は指示通り、知識の暗記、軍事教練や軍事工場では同じことを繰り返す、家庭では家事。
特に応用力や新しいやり方を求められることはなかったでしょうし、むしろ決められた通り、教えられたとおりにやることが良かった時代なのかもしれません。
(現代は知識・経験に基づく判断・創意工夫・独自性・応用力・コミュニケーション力が求められる時代になり、その変化のスピードもとても速いと思います)
しかし母が優秀であったかというとやはりそうではなかったと思います。
他者を批判、非難、嫉妬することがとても多いことから、ポジティブな成功体験はあまりなかったと思います。
自己肯定感に乏しく、コンプレックスも強く持っています。
こだわりが強く、あれこれ自分の自慢をするけれど、お金の管理もできず、役場での手続きも理解できません。
その場しのぎのウソをつくことも多いです。
長年主婦として生活だったので、公的な事、苦手部分は父が補ってきたのだと思います。
また、父に指示されながらに家事は日々やっていたので、それなりに適応して生きてきたと言えます。
なので本人が生活に困ったという事はありません。
人付き合いのスキル、コミュニケーションがうまくないので、人間関係は円滑でなく、ストレスを溜め込む事も多かったのではと推測します。
私は母がいわゆる毒親ではないかと気づいた時に、発達障害だった という事で一度は肚落ちして納得しました。
最近「境界知能という生きづらさ」を改めて知り、母にとても当てはまると思いました。
発達障害に知的障害が伴うかどうかで、生じる課題や対応策は大きく違ってくると宮口氏はいいます。
家庭という閉じた社会
戦後の家族は核家族が主流となりました。
夫婦に子どもの二人が高度経済成長期の平均的なモデルです。
現代ではこのモデルはマイナーになっているようですが。
養護学校が義務化されたのは昭和54年(1979年)、
知的な障害を持った子どもも養護学校や特殊学級(今の特別支援クラス)に通うことができるようになりました。
前段に述べた通り、境界知能の人に対しては何のサポートもありませんでした。
現代とは違って、工場での単純労働、職人(親方と徒弟)も多かったので、それなりに適応できる職場をみつけることも、結婚して主婦になるという事も多く、今までは社会の中では目立った問題にはならなかったのかもしれません。
或いはなにかしらの問題は存在していたけれど、気づけなかったのかもしれません。
「ケーキの切れない子ども達」で宮口氏が明らかにしたように医療少年院にいる非行少年たちの約半数以上が境界知能領域です。
過去にも同じような状況があったと思われます。
最近、毒親や親ガチャという言葉が広く使われ、親との関係性に悩む人も多い事が周知されるようになりました。
犯罪に関わってしまう事がなくても、境界知能の人が家庭を持ち子どもを持った場合、
子どもにしつけや教育としての強制(コントロール)、虐待に近い状況もあると思います。
自分の思い通りになる玩具のように扱ったり、
思い通りにならないと子どもにキレたり、罰したり、
コンプレックス、精神年齢の幼さからくる倫理観の欠如、
応用力・忍耐力のなさなどから
常識では考えれられないような子どもへの行為
子どもへの嫉妬・子どもの生活や人生への妨害
恥という概念が強い日本(アジア?)で家族(小集団)の中で何か不都合が生じていても外部に助けを求めることはとても勇気がいる事です。
また家族の問題に他者が踏み込むこともタブーであり、家族の問題は家族でなんとかする、しなければならないという考え方が主流だったと思います。
境界知能は外見や様子からは容易にわかりません。
普通であることが、本人も周囲も苦しくなっている状況を作り出し、負の連鎖を大きくしていることもあるでしょう。
子ども時代からの負の連鎖
子ども時代からの生きづらさを抱えて生きた人が親となった時にどのような思いを抱えるか
私自身も親から負の遺産を受け継いできたので、想像に難くありません。
子育て中、苦しいこともありました。
境界知能の子どもたちの多くは、見る力や聞く力、見えないものを想像する力、といった認知機能(五感を通して得られた情報を整理して、様々な結果を作り出していく機能)に弱さを抱えていることが多い
高齢になった母ですが、現在の母も思い出せる範囲の記憶の中の母もこれにとても当てはまります。
単純に認知症で能力が低下した という状態とは少し違うように感じています。
今は介護という範疇でサービスを受けていますが、一般的な介護サービスにうまく適応していないところもあります。
コミュニケーションに難しさを抱え、相手の気持ちや言動の意味を理解することも難しく、何らかの物事に対してネガティブに捉えがちです。
90歳を過ぎた母に認知機能のトレーニングというのもどうかと思いますが、周囲に対する見方がネガティブにな面に偏るので、生きづらさは続いているようです。
自立と共生
親として適切に振る舞うことが多かった母ですが、ずっと社会の中での生きづらさを抱えてきたのだと思います。
だからと言って、子である私が母の人生を背負うことも違うと考えます。
家庭という集団にいれば誰かに苦手なことをやってもらうことができますが、それが当然で当たり前になり、誰かの負担が大きくなりすぎることもあると思います。
家庭の中で誰かが自分の人生を諦める それは今の時代においてしなくてよいことだと思います。
誰もが幸福に生きる権利があるのですから、誰かのサポートのために犠牲になる必要はないと思います。
サポートする人が健康で幸せなこと、そうであってこその共生であると思います。
最後まで読んで頂いてありがとうございました。
自分の実体験をもとに書いています。 悩むことも迷うことも多かった、楽しんできたことも多いにあった 山あり、谷あり、がけっぷちあり、お花畑あり、 人生半分以上過ぎたけど、好奇心はそのままに 何でも楽しむ気ありありです。よろしく!!