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冷たい街からやさしい街へ4 みんなが尊重される社会

誰一人置き去りにしない

私たちの社会は多数決的な発想になじんでいますが、
少数だからと言って放置するのは間違っているのと思います。
日本、世界各国が合意したSDGsの根本にある理念に「誰一人置き去りにしない」とあります。

SDGsのHPから少し引用します

持続可能な開発目標(SDGs)とは、すべての人々にとってよりよい、より持続可能な未来を築くための青写真です。貧困や不平等、気候変動、環境劣化、繁栄、平和と公正など、私たちが直面するグローバルな諸課題の解決を目指します。SDGsの目標は相互に関連しています。誰一人置き去りにしないために、2030年までに各目標・ターゲットを達成することが重要です。

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多様性のある一人一人 おなじ地球という空間に存在する動植物のすべてに配慮し 持続可能な未来を構築していこうとしていこうとするのは世界的な潮流です。

なんとなく環境に関する目標なのかと思っていたのですが、貧困 不平等 平和と公正なども含む広範なものだったのですね。

泉氏は世界的な方向性、潮流も敏感にキャッチしながら明石市という地域の施策を行ってきたわけです。

1人の人の人生をみても生まれて成長し老いていくわけですから、どのステージにいるかによっても違います。

誰もが人生で常に多数派に属するのではありません。予期せぬアクシデントに出くわし、どこかで少数の側となることは誰にでも起こ得ます。
全ての人は多数派と少数派、両方の可能性を併せ持って暮らしているのです。

多数派のための施策は。ある人が少数派に転じたとき、その人を対象外にして排除してしまいます。どこかで任意の潜を引いて分断することで、いつも誰かを置き去りにしているのです。

 本当にやさしい社会を望むなら、みんなが尊重される社会であるべきです。市民一人ひとりを「分け隔てない」発想でまちづくりをすれば、誰にとっても居心地の良い社会に近づくのではないでしょうか。

こどものまちのつくり方 明石市の挑戦

前明石市長の泉氏は数々の日本初の施策を明石市で実行してきましたが、それは何も新しく考え出したものではないとも言います。

他の国で実行されていることで成果を上げているもの、良いと思われるものを真似したり、アレンジを加えてしているだけだと言います。

泉氏はいずれの政党や団体にも支援を受けず、市民から支持された市長です。
政党や何かしらの団体の顔色を伺うことなく、市民のために良いと思うことを世界的な視野をもって実行してきました。

障害も責任も社会の側に

街中が段差だらけでは車いすの方は移動に困難があるでしょうし、行きたいお店にもいけません。
障害者が困難に直面するのは、その人に障害があるからではなく、社会環境にさまざまな壁が存在しています。

街中の段差の例であれば、段差がない方がベビーカーや高齢者にもやさしいという事になるでしょう。

障害者が社会参加するための環境整備を明石市は助成を行っています。

助成の対象は点字メニュー、コミュニケーションボード等の作成費用、
折りたたみ式スロープ、筆談ボードなどの購入費用、簡易スロープやてすりなどの工事の施工費費用などです。
一か所について数千円から20万くらいの公的助成で、明石駅構内のショッピングセンター、駅前ビルの殆どのお店が筆談ボードを置き、メニューが展示化されました。
スロープを設置するお店も増えています。

胸を張って手話を使える社会に

1900年(明治33年)ごろ、に初めて手話が学校で教えられるようになり普及しはじめたのですが、1933年に一時禁止され、再び手話が広く使われるようになったのは1990年代です。
コミュニケーションや教育の機会を奪われてしまった時期がありました。
詳しくは 手話の歴史 ページ後半 にあります。

明石市では手話言語条令の部分、手話も含めた情報・コミュニケーション保障促進条令の部分を合わせた全国初の条例を作り、市内全小学校での手話教室の実施、職員の手話研修会や手話検定受験の助成、聴覚障害児とその家族への早期支援などを実施しています。

手話通訳士を2名正規職員で採用、ろう者の市議会議員も誕生し、明石市議会の議場では常時手話通訳者がいます。

障害者団体が一つとなりホームドア設置

電車駅のホームドア、かなり見かけるようになりましたが、10年ほど前は設置されていない駅も多かったです。
明石駅でが2015年に列車と接触して一人の意思が死亡する事故がありました。
視覚障碍者団体から市議会に明石市内の各駅にホームドアを設置を求める嘆願書が出され、続いて署名活動が行われ聴覚障害、知的障害、精神障害などの団体も参加し、一緒に活動を行いました。
署名はすぐ1万人を超えました。

障害者団体は障害の種別ごとにな一つにまとまることができないのが現状の中、明石市では障害者が一緒に手をつなぎ社会を変えていくこと成功にしました。

地域総合支援センターの開設

明石市では、子ども、障害者、高齢者を一緒に地域で支援していく地域総合支援センターを市内6箇所に開設いています。
専門職による総合的で幅広い相談体制、個別訪問にも対応しています。

高齢者、子ども、障害者も合わせて支援した方が家族全体の支援になり、コストも安くなります。
本来、厚生労働省が設計すべきことを、明石市が先行して始めています。

相談する側にとってもあちらこちらとたらい回しにされる事もなくなると思います。

被害者支援と更生支援はセットで

犯罪被害者と加害者、どちらにも支援が必要だと泉氏は言います。
泉氏は弁護士時代に犯罪被害者が放置されていることに驚いたもと言います。
被疑者の弁護士として遺族のお通夜に行ったときに、被害者遺族の側にはだれにも相談する人がおらず、法律の知識もなく、何をしていいのかわからない状態で放置されていることに怒りすら感じたそうです。

さらに触法被害者の多さにも驚いたそうです。
明らかに知的障害がある人が、それに気づいてもらえず有罪判決をうけ、刑務所に服役し、再犯を繰り返し刑務所リピーターになっています。
本来は福祉で対応するべきテーマであるはずです。

犯罪被害者等支援に明石市は自治体でできることはすべてやるという姿勢で、家賃補助、転居費用などの経済的支援、育児支援、介護支援、家事ヘルパー派遣、弁護士に酔う法律相談、臨床心理士による心のケアなど幅広い総合支援をしています。

それに加え、未解決事件の真相究明支援、被害者家族(兄弟姉妹)への配慮、性犯罪被害者支援も条例に追加しています。

加害者が再犯しないことは被害者を生まないことにつながるので、被害者支援と更生支援は両方大切なことです。

『おかえりなさい』が言える町

「子どものまちのつくり方 明石市の挑戦」から引用します。

再犯を繰り返す人の中には、軽度の知的障害の方もいます。
刑務所の入所者の4割ほどが該当するとされますが、本来あるべき支援がないまま、万引きなどを繰り返し、刑務所のリピーターんあってしまっているのです。

本人にとって不幸であるばかりか、家族にも、社会にもあまりに「大きな負担です。世間で知られていないようですが、司法手続きの時間もコストも莫大に費やされているのです。

受刑者一人当たりの念案経費は3000万円とも言われます。100円、200円の万引きで刑務所のリピーターになると、10年で3000万円、みんなの税で賄うことになります。30年、40円になれば1億円の税金を万引きや無銭飲食を続ける人のために費やし続けるのです。

これは社会にとってデメリットばかりなのに放置されつづけています。

罪を犯した人を、社会が「おかえりなさい」と再び迎え入れ、再び罪を犯さないようにする。支援をすることで被害者を生まないことにつなげ、社会に復帰した人が支え手になることh、みんなに望ましいことです。

社会の根幹にかかわる重要なテーマなのに、日本では長い間、この分野が放置され続けてきました。

寛容さは共生社会の根底にある理念です。
対極にあるのはルールを逸脱した人に「あっちへ行け」「帰ってくるな」という排外主義です。

ひとたび罪を犯した人を受け止められるか、ひとりひとりの意識が問われます。

2018年12月には、明石市において全国初となる「厚生支援・再犯防止条例」が市議会で可決され、メディアなどでも大きく報道されました。

罪を犯した人も包み込み、仲間として一緒に暮らしていくやさしいまちづくりに、明石市はすでにスタートを切っています。そして市民も市議会も、近厚生支援の取り組みを理解し、応援してくれているのです。

子どものまちのつくり方 明石市の挑戦

やさしい社会を明石から

少数者の支援は目立たず、成果が見えにくいことかもしれません。

何人の市民が対象か、そんなところにお金を使い、まち全体にどんなプラスがあるのか、もっとお金と労力を他に充てろとう反発もあるでしょう。

福祉はお金がある時にすればいい、お金がない時代には福祉が後回しになるのは仕方がないという声もあるでしょう。

けれど、税金を預かる行政が社会保障をリードする時代であり、
それが市民の暮らしを支え、持続可能な街の発展につながっていくはずであると泉氏は言います。

私は施策を進めるだけではなく、推進体制でも発想の転換を図りました。
一般の役所では、まず政策、財務など企画部門の人事が先に決まり、福祉は後回しというところが多いそうです。

でも明石市は違います。
優秀な人材を福祉部門に配属しています。
なぜなら、高齢者、障碍者、生活保護、どの部門も一人一人の市民に寄り添う個別の対応が必要な、公務員の仕事の中でも高度な業務だからです。

目ざしてきたのは、大きなまちでも、お金持ちの町でもありません。
やさしいまちです。
困っている人がいれば、いつでもみんなで助け合える、そんなやさしい街です。

明石市の施策はマニアックな施策ではありません。
世界基準のSDGsの根本理念でもある、「誰も置き去りにせず、いつまでも、みんなで助け合う」取り組みそのものです。

子どものまちのつくり方 明石市の挑戦


やさしい街は自分のため・みんなのため

やさしくあるのは自分のため&ひとのため

4回に分けて明石市の取り組みを書いてきました。
書ききれたわけではありませんが、一つ一つの施策が思いやりと愛があると感じました。

泉氏が弟さんが障害を持って生まれ、弁護士としていろいろな経験し、一人一人の困っている状況を理解し解決しようとして行動に移してきました。それを職員や市民もその思いを理解しているのだろうと思います。

泉氏は市長就任後も意見箱を各所に設置し、一人一人の困りごとに即対応してきたそうです。
市長、職員一丸となり、市民のために最善策を実行しようとする姿勢がすごいと感じます。

明石市をみていると、少数派の困った人に手を差し伸べて予算を投じていくのは自分のためでもあると思います。

やさしい町に住む、住めるのは幸せなことです。

泉氏はお年寄りにこう声をかけられるそうです。
「ありがとう。自分の町に誇りを持てるようになった」

泉の市長就任のはじめ3~4年は四面楚歌のような状態だったそうです。
5,6年の頃から応援する市民が増え始め、10年ごろ応援に感謝が加わります。
今や霞が関あたりでも明石市の評判は良く、公共事業などに関わる保守的層からも感謝されるそうです。

子育て支援をはじめとする市民をサポートする施策に重点を置いてきた結果、経済も潤い、誰にもやさしい街として誇りを持てるようにまでなったのです。

お金がないから福祉を削る、これは全く間違った発想だと思います。
人は誰でも少数者になりえます。
自分だけでなくとも、家族の中には誰かしら少数派の人がいることでしょう。
そのような人をサポートを充実させることにより、みんなが助かり、そのために皆が潤うのだと思います。

財務や企画を担う人が優秀OR優秀な人が財務や企画を担うという思い込み

明石市では優秀な人が福祉部門に配置されているそうですが、それは市民に寄り添い、個別な対応が必要な高度な業務が必要だからと泉氏は言います。

ここに私は深い感動を覚えました。
自身の障害児教育の分野での経験ですが、一人一人障害の程度、精神年齢、心身の状況が違いますから教育内容・課題・カリキュラムはすべてオリジナルといっていいものでした。
一律にこれをやらせればいいというのは、学習・生活面での排泄介護・給食にいたるまでどの場面をとっても一つもありませんでした。
経験、観察、見通し、教える方の力量が常に問われるものでした。

行政サービスの観点から見れば、どのサービスをどのように組み合わせるか、あるいは受け入れてもらえるか、本人と家族の状況、すべてを考慮し、なるべくの最適解、最善を見つけていく作業になります。

これは本当に高度な業務だと思います。
それでいて、世間一般には結果や成果が見えにくいという性質ももっています。

相談に訪れた人が笑顔で帰っていった。
その後、生活の質が向上した。
子どもが学習に意欲をもつようになった。
母親の精神が安定し家族間のコミュニケーションも図れるようになっている。
介護で追い込まれていた家族が余裕が持て、他の家族間との関係性が良くなった。

このような成果は、税収が増えた 移住者が増加した 駅前商店街に人が集まるようになった 図書館、体育館などの大規模施設ができたなどに比較すればほぼ世間の目には触れません。

けれど大きな成果の陰にしっかりとした安心を感じさせる行政サービスがあるからこそなのだと思います。

大規模施設や商店街を利用するのは市民であり、そこに住み、税を納めるのは一人一人の市民であるからです。

泉氏は行政は市民の方を向いて仕事をするべきだと言います。
当たり前のことですが、実はその当たり前ができていないのが日本の現状です。

泉氏は市長就任当初から「初」となる施策を発案してきましたが、警戒されたり、鼻から相手にされなかったり、抵抗されたりと、すんなり運ぶことはあまりなかったと言います。

日本人は村社会意識が強いところが、初物をなかなか受け売れられないの一つです。
役所にに勤める職員にはそういう意識の強い人が多いのです。

その特徴は
1、お上意識 国からの指示待ち
2、横並び主義 他ではやっていない
3、前例主義 過去の通りにやっていくのが一番

けれど、最初は上のような意識(思い込み)ゆえに初の取り組みは抵抗が強く大変だったのですが、人口増加、税収アップなどの見える成果につながると「初」の取り組みに慣れて自信を持って仕事に取り組むようになっていったそうです。

私は泉氏の市長としての初の取り組みの数々は、今までの私たちの思い込みや諦めを変えられると証明してくれたと感じます。
誰にとってもやさしい社会はすぐに実現できるものではないかもしれないけれど、実現することは不可能ではないと見せてくれたような気がします。

市民である一人一人の私たちが主人公として意見を述べ、誰かの意見に従うのではなく、自らの意志を発揮していいのだと思います。


今回で「冷たいまちからやさしいまちへ」シリーズは終わりです。
最後までお読み頂きありがとうございました。

書いていて政治とはこむずかしくて遠いところにあるのではなく、身近な事柄なのだと思いました。
「こむずかしくて遠いところにある」これも思い込みですね。
与野党対決の不毛な争い どこかの支持者の強烈な勧誘 意見の押し付け などネガティブな思い込み、誰か当選しても生活そのものはよくならない 変わらない という諦めの数々

こういったものも過去の思い込みとして手放していけたら と思います。



自分の実体験をもとに書いています。 悩むことも迷うことも多かった、楽しんできたことも多いにあった 山あり、谷あり、がけっぷちあり、お花畑あり、 人生半分以上過ぎたけど、好奇心はそのままに 何でも楽しむ気ありありです。よろしく!!