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AIとの音楽的共存を考える。

AIについての知識も何にもございませんが。
昨今急速に進化しているようなので、書こうと思いました。

色々とnote内外でAIについての記事は検索しなくても、オススメやらなんやらで勝手に入ってくるようになり、あぁ、映画で観たような科学技術はもはやスーパーフィクションでなく、ノンフィクションであるとも言えますね。このスマホだってそうです。


演算力や論理力は言わずもがな、贋作力だって人間では出来ない速さでやってのける事なのでしょう。それがいけない事とは言えませんが、そこに倫理観を一つ絡めて使えるのは人間ですとは私は言い切っていいと思います。

ここから音楽的共存について、触れていこうと思いますが、知識が乱雑なモノなので、そこはご容赦ください。

まず、私が大好きな哲学者のヴィトゲンシュタイン。彼の弟子だか、講義を受けていた学生がコンピューターを作ったらしく。そこからIT革命までも、既にいろんな大事なモノをすっ飛ばして、否、紆余曲折を経てAIの出現となったわけです。その経緯を否定しても事実は小説よりも奇なりと言います、過去は変えれません。享受します。その恩恵を受けて、私のようなへっぽこアーティストでも音源を作り、配信し、少しでも人の耳に入るような活動が出来ているのです。マイペースですけども。


当たり前ですけど、使い方ですよね。
車の運転に似ている感じ。

パソコンが出来てから、今ではDTM技術もさることながら、広く一般に、コネとかなくても少しの予算があれば個人で楽曲制作が出来る時代。贋作ならAI作曲アプリだったらそらもう驚くべき速度でアレコレやるのでしょう。

ここまできて、私はやはり人の手が入った音楽が好きです。例え部分的にAI作曲の技術が使われていようが、作曲者の意思や意図が明確で必要ところに必要な音をAIにお願いするのはまぁまぁアリかなと、私は思います。

ともすれば、部分的な使用すら否定するのならシンセサイザーってどうなの?MIDIってどうなの?って疑問も湧いてきて。要らないところでは使わない、要るところでは耳が求める使い方をする。といった考え方で共存は出来るのではないかなと。

倫理観と、作曲者の意図に委ねられるわけで。
全てが有り無しの二項対立ではつまらないというか、禅問答みたいになるので。

AIがどうのこうのだと、白黒つけるのではなく、私達がどういう姿勢をもってして利用していくか。問題はその点に尽きると思います。


でも、ボケ防止のために演奏による録音活動は辞められません笑😆むしろ、パソコンに頼らないライブであれば、尚良しと私は思っています。何せ、ヴィトゲンシュタインいなかったらスマホもパソコンもネットもなかったかもしれないし、かの大哲学者を論破出来るお能力が私にはございませぬ😆

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