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受け入れる力



昨年は、意見や考えが違うような場に連れていかれて

ファイティングポーズの相手と向かい合うことが多かった


多くの場合は、ちょっと一緒に聞いてみてくれないと頼まれたり

自然と巻き込まれる形で聞き役になる場合などである


怒りや不満を直接ぶつけられるのは、気持ちが良いものではないし

好んでそんな場面を選びたくないが

こいつには言っても大丈夫だろうと思うのか

かなりな確率で、サンドバッグと化していた



こんな時は、抵抗は潔く諦めて

傾聴のトレーニングだと思って、聴き続ける


そして観察して分析する


この人の怒りの原因は何なのか

口にしていることが本当の望みなのか

この人は何を求めているのか、などである


ほとんどの人は、言いたいことを言い尽くすと

「聞いてくれてありがとう」と謝ってこられる


話しながら、自分の気持ちを整理して、

本当の望みを明らかにしていくのかもしれない




今朝も、ちょっと聞いてくれ、とつかまりかけたのだが

朝食時、雑煮の餅見張り番のため

きちんと話を聞くことはせず、フロア担当にお願いした



午後からは、年末年始で不安が高じた

精神疾患の利用者さんに、ずっと後追いをされた


何度も同じやりとりを繰り返し

「コーヒーが飲みたい」

「みかんをください」と訴える

自分でできることはしてもらいつつ、夕方まで共に過ごした


この二人の違いは

受け入れる側である私の心持ちが違っただけである


前者の場合には、こちら側の受け入れる環境も力も整っておらず

「ごめんなさいね、聴けないわ」となり


後者の場合は、より重度で手間暇がかかるにもかかわらず

こちら側の体制が整っており、自由に采配できる環境だったからこそ

受け入れられたのである


受け入れる力の差


これはスキルや経験だけに頼ることなく

環境が整っているかどうかが鍵になる


人的環境、物的環境、関係性とタイミング

これら全てが関わり、「受け入れる力」があるかどうかで

対応は変わってくる


いつでも傾聴、対応できる力があれば良いかもしれないが

人と人のつながりは、全てご縁と考える事もできる


どうかどうか

受け入れる力が充分チャージされた頃にお越しくださいませ








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