アグニモリーの植物観察⑩本質を言葉にしてみる編
アグニモリーの魂が何を語っているのか。
植物観察を通じて、どれだけその魂に近づけるか。
春からアグニモリーを観てきて感じたことは、植物はいつだってそこにいて語っている、ということ。私がそこにどれだけ開いていくか、それにつきるのだ。
私はどれだけアグニモリーに対して開いて、その言葉を受け取ることができたかわからない。
言ってみれば、たったの半年間、そうしてみただけだから。
それでもその半年間は、それまでの関わりとは違っていたわけで、一生懸命に親しくなろうとしてきた。仲良くなりたいと思っていた。
それはきっとアグニモリーに伝わっている。
春から続いた植物観察クラスの最後に、その植物の本質を言葉にしてみるという宿題があった。
アグニモリーは、宿題に合わせたかのように、ちょうど花が咲き、実もつき始めていたタイミング。
花を観ながら、これまでの観察記録をふりかえり、私なりにアグニモリーの魂が語っていることに繋がってみたい、と願った。
『ほんの少し、勇気を出してごらん
近づいてみてごらん
開いてみてごらん
うちに秘めたる小さき光は
親愛の伝え手
変容の火種がかくれているよ』
アグニモリーから、こんな声が聞こえた気がした。
そして、私がアグニモリーから感じた本質、エッセンスをこの言葉にこめた。
‘親愛を伝える小さき光’
アグニモリーさん、ありがとう。
観察クラスは終了し、季節も移り変わっている。花は実となり、今も種がどこかに運ばれているのだろう。私の知らないところで。
淡々とそれを繰り返している植物たちよ!