謙遜はいけないこと?
毎日投稿にチャレンジしているから書くことを思い描くからなのか、昔のことを想い出す時間が増えました。
そもそも私は、noteに自分のこれまでのことを書き残して娘や息子が読んでくれたら良いなと思っていたのです。こんなマガジンを書いていました。
そこに戻してくれた66日ライラン、今日この投稿で残すところ後3日となりました。
私のことを私が語るとしたら、外せない3人の母のこと。
それぞれの母とのエピソードがあるなか、3歳まで育ててくれた伯母との事が一番書きにくい。
その、一番書きにくい事を書く度胸がついてきたと思います。
そんな伯母との大きなエピソードは2つありまして、エピソード2からご紹介しました。
今日はエピソード1、書いておこうと思います。
書くことで、私もスッキリさせておきたいという気持ちがあるんだなって気付けました。
noteを書いていてよかったです。
毎日投稿してみることで、書いておきたいことだったんだなと気付けたんです。
ヤスさん、重ね重ねありがとうございます✨
謙遜はいけないこと?
私は小学校では万年学級委員でした。
今日は40年前のお話。
学級委員になりたかったと思った事は1度もありませんでしたが、通っていた小学校では立候補する児童なんて居なくて、推薦⇒投票という流れでした。
なぜ目立っていたのか、わかりませんが目立っていたようで必ず推薦されてしまいました。
2人推薦が出たら投票で決めるというルール、気が重かったです。
選ばれる事によって、増えるのは雑用。
掃除しない子を注意できない、学級委員。
もう一人選ばれる男子代表の子と班長達が仕切ってるクラスでした。
「私は特別なにも出来てない」と思ってた。
そんな私の、小学校時代に起きた伯母とのエピソードを書いていきます。
伯母との電話
エピソード2でも電話がポイントでした。
声を聞きたいと言ってくる電話好きな伯母ですが、電話トラブルはパパとしょっちゅう繰り広げられていた事も覚えていて。子どもの頃は「埼玉の伯母さんから電話よ〜」とママに言われるとドキっとしたものです。
そういえば、このエピソードも母の日に絡んでいます。
伯母の母、私のおばあちゃんはパパが引き取って介護していました。
おばあちゃんは脳血栓で突然倒れ、半身麻痺のまま退院せざるを得ない状態で我が家に来ました。
入浴介助が必要なおばあちゃんを、ママ(育ての母)と一緒にお風呂に入れたり、ご飯をアーンしたり。
トイレの介助はママが全て一人でしていました。
ママって本当に愛の人、素晴らしい人です。
母の日の電話
母の日に、伯母が電話をかけてきました。
電話を受けたのは、たまたま私。
私は仕込まれているセリフで電話を受けます。
私「はい、◯◯ですが、どちら様でしょうか」
伯母「あら、love子ね。埼玉ですよ。」
(うわぁ、伯母さんだ。緊張する〜早く大人に代わらなくては。)
伯母「どう?元気にやってる?」「ママのお手伝いしてる?」「パパはお仕事かしら?」「お兄さんは野球でレギュラーになれた?」
矢継ぎ早って言うんですよね、次々と質問が飛んできます。
「はい」で答えられる質問の後にいつもならおばあちゃんに変わって、役目終了、、、なんだけど、その日はおばあちゃんがトイレタイムで、ママは介助していて。
その状況を伝えると「ママも、love子も、いつもおばあちゃんの面倒見てくれて本当にありがとうね。」
と。
思いがけない質問
(えぇぇぇ〜!!
そんな言葉くると思わなかった~)
沈黙してしまった私に「偉いわね〜聞いてるわよ。love子も手伝ってるんでしょ?」と答えを求められました。
実際に手伝ってる訳ですから
「はい」と言っておけば良かったのに。
「いいえ」と言ってしまったのです。
私の「いいえ」には、私なんて、ちょっと手伝ってるだけだもん。という気持ちがありました。
ママが中心になっておばあちゃんの介護をしているということ、おばあちゃんのママへの信頼度の高さ。そっちを評価して欲しかった。
伯母はママの能力を認めていないこと、感じてたから、私が少し手伝うくらいのことを褒めるなら、それよりママを認めてほしい。
こんな気持ちは届くはずもなく。
激怒
私の「いいえ」に激怒して、直ぐにママに代わるように言われました。
ママは「あらあら、お義姉さんごめんなさい〜」と明るいテンションで激怒する伯母を収めて、おばあちゃんに繋ぎました。
(どうしよう、ママに怒られる。)
と思いましたが、怒られることはなく「大丈夫?」と心配してくれて、なぜ「いいえ」と答えてしまったのか、を聞いてきました。
ママが何と言ってくれたか忘れてしまいましたが、その後に帰宅したパパからは
「love子、それは謙遜というものだよ。謙遜はし過ぎると誤解されるから子どもは謙遜しないほうが良いね。」
と言われました。小5の母の日のことでした。
伯母の気持ち
要介護の母親が弟の家族と暮らしていて、手助け出来る状態になかった伯母の気持ち。
気の強い、言葉もキツイ伯母の抱えてる引け目。
幼い私には、ちっとも解らなかったのです。
今なら解る、という年代になって、 母の日にお花を贈ったらの記事に書いた事が起きました。
3歳まで育ててもらった事を知らずにいた小5の母の日のエピソード、そして大人になってからのエピソード。
ずっと心に引っかかっていました。noteに書くことで心に残るエピソードになったと思います♡
3人の母たち。本当にありがとう♡
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