ところで話は急に変わりますが

私はこと人間関係において、外向きはかなり器用な方であると思います。

器用だと思う部分は、誰にでも合わせられるところです。

私自身は普通に(反抗期のせいで出席日数はギリギリでしたが)高校まで通い、普通に(短大→編入→就職浪人という多少まわり道しましたが)大学に行き、それ以降アラサーまで会社員をしていましたが、多少生い立ちや考え方が違う人と付き合ってもうまく合わせることが出来ました。

特に友人関係をみるとそれは顕著で、キャバ嬢をやってた人、まじめに大学生をやり過ぎて病んでしまって辞めた人、不倫に数年ハマってしまい悩み苦しんだ末突然幸せな結婚をした人、旧帝大にストレートもしくは浪人して入ってホワイト企業に勤める人、医者になった人、いつ連絡を取っても何をしてるのかよく分からない人、家庭に入って主婦をしている人、結婚してから一度も旦那と暮らしていない人、転職しては衝動的に辞める人、などなど男女問わずいろんな価値観の友人がいます。

職場でも苦手な人は居るものの人間関係で悩んだ事は一度もないくらいで、時に鈍感である努力をすればたいした問題は無いことばかりだと思っています。

私自身が誰とも同じでないことを認識しているので、多少羨望の眼差しを向けることはあったとしてもそれぞれの人の良さを敬い仲良くする事が出来るタイプだと思っています。

しかしながら、この私の長所は同時に恋愛においては短所にもなり得るとアラサーになってから気付いてしまいました。

誰にでも合わせられるということは、「誰でも良い」とも同義になってしまい、自分の価値観が定まらないのです。

20代の1番結婚を考えるべきであろう時期に4年近くお付き合いしていた人は、付き合う前はもともと全く好きではない人でした。むしろ生理的に無理!とすら思っていました。

ただ、私の長所を活かしたせいで、こんな人にも良いところはあるのだなぁと好きではなかった人の良いところを見つける努力をしてしまい、向こう方からのアプローチを受けるうちに、「こんなに私に嫌がられても負けない根性すごいな」という変な感心さえ湧いてしまい、付き合うことになりました。

付き合ってからも価値観が違いすぎてイライラする事は数えきれない程ありましたが、価値観が違う=私の価値観に相手が合わないというだけであって、どちらが正しいということでもない。と思い始めてから、価値観の違いを許せるようになってしまいました。

とはいえ、純粋無垢な気持ちで、結婚は価値観の合う人としたい!とも思っていました。それが彼とは結婚したいと思えなかった最大の理由でした。

そうしてその4年付き合った彼とは別れまた別の道を探すことになるのですが、今度は別な問題で結婚につながるかどうか分からない相手(不倫ではありませんが)や、その後は年齢的に結婚を考えていないような人と付き合ったりして今に至ります。

またどこかでそれらについては特筆できれば良いなと思っていますが

とにかく、許容範囲が広すぎるせいか私が結婚に何を求めているのかは依然として不明なまま日々を過ごしています。

こんな人は嫌だ、とか、こんな人がいい!という理想はとくになく、ただ価値観が合う人と一緒にいたいだけなのですが、その純粋無垢な気持ちが結婚を邪魔しているようにも思います。もっと戦略的になるべきだとか、気持ちより条件を重視すべきだとか。

前述した友人たちの中で一人、結婚はしたいけど子どもはどちらでもいいかな、と言い切る女性が居ました。その一言で自分の価値観がしっかりと定まっていることがよく分かります。なんだかむしろこっちが誇らしいです。

私はどこに向かうべきなのかなぁ…と日々考えながら模索して生きています。