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〈落合陽一〉をインストールすると

僕は連日、落合陽一を読んでいるわけだが、今日は『魔法の世紀』。
おもしろかった。

落合のやっていることは、僕には不思議な手触りに感じられて、それがいつまでも拭えない。

本の感想を言おうにも、なまじかなことは言えないんだけど、なんだろう、僕がふだん考えていることとは全く別の地平のはずなんだけど、どっかで懐かしいような。

言葉づかいがこのみ。落合の『忘れる読書』でもわかるように、彼はものすごい量の本を読んでいる。いつも持ちあるく本はニーチェで、『ツァラトゥストラはこう言った』で気分を上げるらしい。で、そういう縦横無尽に本を読む人の言葉づかいは、自由で風通しがいいように感じる。僕もそうありたいと思う。

彼のYoutubeを見ていると、30分とか通しで喋っている。痛快だ。しかし、6:30から26:30まで働いているらしい。とことん疲弊しきってから見えてくるものがある、というようなことをどこかで書いていたが、すごい境地だ。

そんなふうに濃密に生きている人の知見を、僕らは本や動画で摂取することができる。すごいことだ。

彼が21世紀中に無くしたいと思っていること3つは「ゲート」、「重力」、そして「継ぎ目」らしい。事事無碍じじむげの世界だ。

ところで、読売新聞に人生相談のコーナーがあるけども、そこにはありとあらゆる問題が繰り返し現れる。とことん救いのない話もあるのだが、考えてみると、落合の書いていることのどこにもそのような人間の葛藤がでてこない。こうしたいけど、~だから無理で、だから苦しい。みたいなケースには一切触れていないと思う。僕が読んだ限りでは。

で、そういう人生の悩みが、さっきの落合が無くしたいこと3つで解消されるのかもしれないな、とふと思った。もしそうだとしたら、「ゲート」と「重力」と「継ぎ目」が僕らを想像以上に縛っていることになる。ゲートが! あの改札のゲートが! たとえばだけどね。

科学館やギャラリーでの新奇な/ 新規な体験と、僕らの、もうなじみ過ぎてる人生の相談ごとが無関係ではないという驚き。いや、僕は人生の相談ごとが何とかして解消されればいいがな、と思っているんです。


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