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〈書いて叶える〉は自分へのコーディング。

落合陽一の『デジタルネイチャー』を読んでいるのだが、幽玄という言葉がしばしば出てくる。
幽玄。幽は、移ろうかすかなこと。玄は、根源的で確かなこと。
そうなんだ? 対立することを言っていたんだ、この言葉は。

「明日やること」を〈ほぼ日HON〉へ書き込んだ時点で、僕は幽玄の世界へするりと遷移する。まるで手帳をコンピュータに見立て、〈ほぼ日HON〉と僕の間にネットワークが生じるかのようだ。〈ほぼ日HON〉は僕の補助脳、補集合として機能し、僕を広大な事事無碍じじむげの世界へと誘い出す。

「明日やること」を〈ほぼ日HON〉へ書くのは、明日の僕じしんへのコーディングだ。僕は「ごはんをよくかんで、おいしくいただく」と小学一年生の献立表に書いてあるようなことを、自分のためにコードする。

そうすることで、何が起きるかを見てみたいからだ。必ずできることだから無駄にならないコードだ。

そのほか、小説のこと、仕事のことなどで、極々ごくごくシンプルな、必ずできることを書き出しておく。もちろん日中は、そう頻繁に手帳を開くことができないので、じつのところ忘れている。なので、1日の終わりに「今日の振り返り」をする時間がキモである。


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