この世の私は 並行世界の私を想う
なんとなく筆がのり、こないだはちょこちょこnoteを更新しました。とはいえ遅筆なので、1つの記事を作るのに2〜3hはかかっているわけですが。そうしてゆっくりと記事を書いている時にふと思い出したことがあるのです。
私って物語を書くのが好きだった
昔々、それこそ周りから子供と呼ばれるような年齢の時に私は小説を書いていました。3匹の子豚を元にしたオリジナル作品です。記憶の中ですらあまりいい出来じゃないと思っているので完成度はお察しです。そんな作品でも当時の私に取っては全力の最高の作品でした。
それだけではなく、小学校ではクラスでお楽しみ会というのを開催してくれる先生が何人かいてくれました。その時、私は毎回友達を誘って劇をしていました。台本は私が中心となって童話を改造した作品でした。最終学年では学年全員の前でしたこともありました。
あまりしっかりと記憶しているわけではありません。しかし、学年の前でした劇で笑ってほしいとこでみんなが笑ってくれた衝撃は今でも覚えています。かなり気持ち良かったです。
他人になる魅力を知る
又、同時期ぐらいに親に連れられてバレエと劇団四季を見せてもらいました。バレエは「くるみ割り人形」を劇団四季では「west side 物語」から始まり「オペラ座の怪人」や「ライオンキング」などなどいくつかの作品を見せてもらいました。
バレエは子供の私には難しくよく分からなかったのですが(たぶん今もそう)、何作も連れて行ってもらったぐらいには劇団四季は面白く観劇していました。ストーリーが面白いのはもちろん舞台の上で演じられているキャストさんにも興味がありました。
見終わった後に舞台のそばまで行き客席を見て、ここで演じてスタンディングオベーションを貰ったらどんだけ気持ちがいいのだろう、とそんなことを考えることもありました。
今世に生きるワタシ
そんな私はその後別のものに興味が生まれ演技の道を選びませんでした。それについて後悔をしているわけではありません。ただ、ふと想うのです。あの日あの時、別の選択をしていればと。並行世界があるとすれば、演技の世界の私もいるのかもしれません。
オタクとしてオタクと絡んでいるとよく同人活動はいいぞと言われます。確かに推しを描くのは楽しいです。ボドゲを考えるのも楽しいです。楽しいだけで形にはならないですが。ただ子供の頃に私がしていた小説を台本を書く行為は同人活動とも言えるのではないでしょうか。
自分の中の推しのイメージを書き起こせば、二次創作小説。古典から物語をオマージュすればオリジナル。そういうことでしょう。
我想う、ゆえに我在り
並行世界の私をいくら想っても一つに交わることはありません。私は私です。それでも過去を振り返り、今に持ってくることはできるでしょう。作家を夢見たりしませんが、同人誌を作ることを夢見て小説を書けます。劇団四季で演じれませんが、趣味で演じることはできます。また趣味なら声劇だってできます。
これから先、ネットの片隅でどうやって生きていくかすら私には分かりません。ただあったかもしれない私に近づくのも面白いかもと思っております。急に下手な小説などが上がっても優しく見守ってください(笑)
そういや子供の頃の作品は完成してないんですよね。いい感じのとこで終わってたはず……。もうあの頃の感性じゃなくなってるので続きが書けません。いったい終わりはどうするつもりだったのか。
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