子どもを一人、おとなにして

この春、長男が大学を卒業して社会人になる。
もう15歳ぐらいからしっかりした自分を持っていて、
昔の「元服」というのは理にかなっていると納得した。
彼自身の力もあるけれど、そのように育ててきたとも思う。
高校卒業の18歳。もうしっかりとしたおとなだった。
けれど大学卒業の22歳。本当に見上げて眩しいほどのおとなになった。

とても残念なことなのだが、私の親は私の自立・私の人生を応援してくれる親ではなかった。
アダルトチルドレン、毒親、共依存、そんなキーワードがひっかかってしまう、よくある機能不全家庭の一つだった。
いい年になっても、ふとしたことですぐにあの頃の私に立ち戻ってしまう。
たぶんそれはもう、一生付き合っていかなければならない。そんな足枷がある。
だから、私の子育てはそういう連鎖を断ち切り、子どもたちが足枷なく、前を向き続けて歩ける、人との関係を健全に築け、自分を大切にし、他人も大切にできる人に育てたいと必死だった。

自分にない経験を与えるということは、とても大変なことだった。
あらゆる知識を動員し、私の中にある親の悪い要素を取り出して取り出して取り出してきた。
あらゆる場面で、自分が親の立場としてではっても、自分が子どもの頃にされてきたことがフラッシュバックすることとも向き合わなければならなかった。

夫はその意味でとても健全な人であり、私のお手本でもあった。
けれど、私たちは二人ともやっぱり昭和の「がんばり」世代。
なんでもかんでも全力投球。力のぬき方もなんてからないし、抜くなと育てられてきた。

なので、私の連鎖を断ち切ることに加え、「ほどほど」を体感的に覚えていって欲しいということも、途中から子育ての目標になった。
これまたとても難しかった。
今でもなんでも全力投球の両親が、子どもに「ほどほどでいいよ」というメッセージを出すと言うのは、なんとも難しい。
背中を見せられない。下手に言ってしまうと、ダブルバインドになりかねない。

それでも時代柄もあり、スポーツも勉強もなにごとも、ちゃんとそれなりに一生懸命やるけれど、ひどい無理はしない、
友人のことであれ、行事ごとであれ、自分にとって大切なことは優先できるような過ごし方をしてきていたように思う。
(親からのプレッシャーがなかったわけではないと思うだろうけれど)

賢い子で人に頼られるけれど、ずぼらなところはずぼらだし、教師や大人に媚びるようなこともしないし、いたってマイペースなしっかり者だった。
6歳離れた弟を可愛がり、とても面倒をよくみてくれた。
弟にとっては尊敬するお兄ちゃんであり、両親よりもしっかりと言うことを聞く。
「僕、**(長男の名前)のこと大好きなんだ」と、次男は小学校3年生くらいの頃、みんなに公言していた。

高校後半から、私たちも次男もすっかり長男「ファン」である。
彼の没頭するもの、世界。
私たちからはかけ離れていて、想像もつかない世界だったけど、情熱をもって打ち込む姿を応援し続けてきた。
(大学受験の直前は「勉強しなくて大丈夫なの?」という言葉を何度も飲み込んだけれど・・。それも彼のペース。)

大学4年間は演劇に打ち込んでいた。
公演は彼の演じる姿が見られて楽しみだったけれど、途中から脚本や演出も手がけるようになり、作品そのものが楽しみになった。

そして演劇に情熱を持って打ち込むけれど、ちゃんとそれ以外の生活も大切にする姿に感心しきりだった。

今日、最後に卒業公演を見てきて思う。
長男は、私が自力で見ることのできなかった世界をたくさん見せてくれた。

子どもは親に感謝しろなんてよく言うけれど、ぜんぜん理解できない。
親の方が何十倍も何十倍も子どもに素敵なものをもらってる。
こっちが感謝を言っても言い尽くせない。

彼の卒業を心からしみじみとめでたいと思う。
ありがとう。「親の青春」をくれて。
ありがとう。光り輝く世界をみせてくれて。

卒業おめでとう。




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