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8大文明圏の1つとしての日本文明<日本文明と西洋文明の衝突>

組織を運用する者は、

多様性をいかに担保するかを
意識しながら組織を運用する必要があります。

ベンチャー企業として始まった企業が
成功して上場を果たし、

一流大卒ばかり採用するようになると
組織内の発想が画一化する。

個々のメンバーは優秀なのに
画一化され多様性を失う事で柔軟性を失う。
そして勢いを失っていく。

多様性を失った組織は変化に弱くなる。

もちろん一流大卒のメンバーは必要ですが、
田舎の非有名大学卒や専門学校卒、或いは高卒からも
面白そうな人材を取り込んでおいた方が良いのです。

だからこそ、
それが分かっている経営者は
高校にも求人を出して
その高校で特に有望な人材を
採用するようにしている。

国家という組織を運用するに際しても、
多様性の担保を考える必要がある。

アメリカは世界中から
天才を集めているから強い。

常に多様な才能を確保し続け、
現状にとどまることがない。

アメリカは21世紀も
トップを走り続けることでしょう。

私は日本という国家も多様性を確保するために
何らかの手を打つべき時期が
来ていると考えています。

重要なのは在日の日本社会における地位です。
在日こそが日本を救う存在となるのです。

日本人という画一化した存在には
どう考えても在日という多様性が必要なのです。

1つの記事で
私の考えの全てを書くのは難しいので
何回かに分けて書くことになると思いますが、

とりあえず今回は
「文明史」について考えた事を書くことにした。

学校で習う世界史が退屈でつまらないと
感じている日本人が多いようですが、

個々の事象をバラバラに
学ぶから退屈なのです。

単なる世界史ではなく
「文明史」としての世界の歴史を考察し、

その中で日本が
どのような存在であったか?

また、これから
どうあるべきかを考察するなら、
歴史が退屈であるはずが無い。

日本の文明史について
考察するに際して、

以下の3冊の本を
参考にしつつ私の考えを書きたいと思います。

サミュエル・ハンティントン 著『文明の衝突』
中西輝政 著『国民の文明史』
西尾幹二 著『国民の歴史』

この3冊の中で
私が最も面白いと感じたのは
『文明の衝突』でしたが、

日本人なら
西尾幹二の『国民の歴史』の方が
面白く感じるでしょうね。

『国民の歴史』も
文明史を視野に入れた書き方をしており、

そこらにあふれている歴史関係の書籍とは
違った視点で日本史を楽しめると思います。

さて、本題に進みます。


地球規模のアパルトヘイトを阻止した日本


かつて
スペイン&ポルトガルの時代があった。

しかし
その隆盛も永遠ではなく、
西洋の主役の座はイギリスへと移って行った。

各文明をリードする国家は
絶えず交代する。

20世紀は、
西洋はアメリカの時代。

東洋は日本の時代だったと
言えるでしょうね。

世界の文明史として
まず一次文明が起こり、

次いで二次的な文明が周辺に派生した。

オリエント文明の蓄積から
派生したのがヨーロッパ文明であり、

黄河文明から派生したのが
朝鮮や日本の文明でした。

日本は二次的に派生した
おさらい国家の1つであったと言えます。

一次文明が文字を創り出し、

文字の概念があることを
あらかじめ知ることの出来た二次的文明は
知識の蓄積方法に苦労せずに済みました。

日本は地理的に
隣国にとても恵まれた国だったと言えますね。

サミュエル・ハンティントンは
世界を8つの文明圏に分類していますが、
特に興味深いのが日本文明です。

日本だけが
一国で一つの文明圏を形成しているからです。

例えば、ヨーロッパ文明圏は
イギリスやフランスやドイツなど複数の国々で
1つの文明圏を形成していますが、
日本は全く違う。

これは8つの文明圏の中で
日本の文明圏のみが持つ特徴であり、

ハンティントンも日本文明の特殊性に
非常に大きな関心を示しています。

文明には
強い文明と弱い文明があり、
一次文明なら強いと言うワケでもない。

むしろ二次的な文明である
ヨーロッパ文明が世界を席巻した。

弱い文明は、
たった一度 他文明に支配されただけで
多くの文化を消失する。

たった一度
ヨーロッパ文明の支配を受けただけで
土着の宗教など多くの文化を喪失した。

キリスト教文明が
強かったというのもありますが、

キリスト教文明に駆逐された文明は
元々の根っこが弱い文明だったから
消えたのです。

では、日本は強い文明か?
それとも弱い文明か?

日本は明らかに強い文明です。

「日本文明が無ければ全世界がヨーロッパ文明圏で統一されただろう」
と述べる人までいるくらいに。

これは、日本人の戦いが
「地球規模のアパルトヘイトを阻止した」
と言い換えることもできる。

「文明の衝突」を考察するに際して
幕末以降の日本ほど重要な存在は他に無い。

西洋列強の圧倒的武力の前に
次々に屈したアフリカ アジア諸国。

その脅威がとうとう
極東 日本にまで及んだ時、

日本人は短期間のうちに
幕藩体制から中央集権体制に切り替えるという
鮮やかな明治維新を成し遂げた。

もし日本が存在しなければ、
地球規模でアパルトヘイトが
完成していたと予測する論者までいる。

つまり
有色人種は差別されて当然という価値観が
地球規模で固定化してしまうという状態。

もし日本が存在しなければ、
20世紀中に有色人種の独立国は
1カ国も無くなっていた。

そんな世界で有色人種に
人権など認められるはずがないのだから、
地球規模でアパルトヘイトが
完成していた可能性も確かに否定出来ない。

ヨーロッパから出発して
東回りでインド、東南アジアを制圧し、
とうとう極東までやってきた西洋列強。

白人勢力は反対方向西回りからも
アメリカ大陸を制圧し、太平洋を越え
その勢力は極東にたどり着いた。

西洋列強が各地を
制圧しつつ勢力を広げ、
残すは地球の反対側の
極東を残すのみとなった。

まさか極東の いち島国に過ぎない日本が
地球規模のアパルトヘイトを
阻止する存在になろうとは
誰が予想しただろうか?

西洋列強による
地球規模のアパルトヘイトは
もはや完成間近だった。

幕末において、
日本人は絶望的国際情勢の中に
自国が存在することを認識した。

その時から日本人の抵抗が始まった。


キリスト教勢力に対する思想的な抵抗


日本人自身は意識していませんが、

実は日本文明は
強い宗教慣習を持つ文明の1つです。

それを
山本七平は「日本教」という
言い方をしていますね。

私はクリスチャンなので、
日本人クリスチャンと
お話をする機会が多いです。

そのたびに思うのは、

「ああ、この人も日本教が基礎にある上でのクリスチャンなんだな」
という事です。

芥川龍之介は小説「神神の微笑」で
見事に日本独自の宗教感覚を指摘しています。

日本人クリスチャンは
キリスト教を信仰しているようで、
実は純粋なクリスチャンになり切れていない。

キリスト教に限らず仏教などあらゆる宗教について
日本では芥川龍之介の言う「作り変える力」が働き、
日本人に合う思想体系に変えられてしまう。

イエスですら、
日本では多くの神々の内の1人にされてしまう。

ですが、

幕末の日本人は日本教の強さを
認識していないから、
キリスト教の強さを恐れた。

開国する以上は、
信教の自由も認めざるを得ない。

日本が信教の自由を認めたなら、
「一神教という強い原理を持つキリスト教に日本全土を席巻されるのではないか?」

日本人はそう恐れた。

その心配が杞憂に過ぎないと分かるのは
ずっと後のことだった。

宗教が完全自由化された現在でも、
日本のキリスト教徒は
全人口の1~2%程度に過ぎない。

ただ
当時の世界の宗教勢力図を考えると、

幕末期の日本人がキリスト教の強さばかり
印象づけられてしまったのは
無理も無いですよね。

江戸時代の日本人には、
信教の自由など無かった。

だから信教の自由を
認めたらどうなるのかを恐れ、
キリスト教を封じる策を
考えざるを得なかった。

開国により
信教の自由を認めざるを得なくなった日本は、
キリスト教という強力な原理に
対抗するために手を打った。

それが廃仏毀釈です。

意図に反して
廃仏ぶりがエスカレートしていった面が
大きいですけどね。

日本人は
とにかく極端から極端に走る傾向が
ありますから。

本地垂迹の思想によって
神仏習合を体系的に組み込むことに
成功していた日本人が、

あえてそこから仏教を外した。

仏教は外国(インド)の宗教であり、
日本純粋の強力な原理によって
キリスト教に対抗する必要があったからです。

強力な原理を持つキリスト教に対抗する為に、
日本も強力な原理を持つ宗教を整備しなければ危うい。

そう考えられて作られたのが、
廃仏毀釈によって
仏教を切り離した国家神道でした。

よく「神道に排他性は無い」と
言ってる日本人がいますが、
この国家神道は排他性のカタマリです。

廃仏毀釈を起こす程の過剰な排他性。

多様性を失い、
純粋性を求めた日本の国家神道。

その行き着く先には
敗戦の廃墟という破滅が待っていた。

日本は、
排他性よりも多様性を担保する必要があります。

その多様性を日本にもたらす
要素のひとつが在日という存在なのです。

(続き↓)


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