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ラブコが誕生する前のできごと(後編1)

ラブコ5周年なのでラブコ設立前のできごとをつらつらと綴っております。当時かけなかったラブコの前身、Buddyのことも。

前半の続きです。
無事に拾った子猫を我が家へ迎えることになり、大急ぎで猫可の物件を探し、辿り着いたのは地域猫活動をしている大家さんが住む賃貸マンションでした。


<野良猫は生きるのが本当に大変だと思い知る>


引っ越したマンションのエントランス内には野良猫の親子がいました。全部キジトラの子達。子猫は3頭いて、本当は4頭いたんだけど、1頭は側溝に落ちてしまったらしく、亡くなってしまったとか。大家さんはマンションの最上階に住んでいて、すでに病気の猫やら、外に戻せない猫たちを引き取っていて、10頭以上の大所帯でした(ちなみにマンション自体はペット不可でした。うちだけ特別待遇してくれたけど)。
当時は私もやっと猫を一頭保護したばかりで、エントランスの親子は大家さんがお世話しているし、大丈夫だろうと思って特に何もしませんでした。が、見るたびに子猫が減っている。
ある日とうとう1頭だけになっていました。
後に聞いた話だと、みんな車にはねられたり、カラスに襲われたりで1頭だけになってしまったとか。。。大家さんは母猫の避妊手術もして、そのうち母猫はいなくなり、残された1頭の子猫だけがマンションに住み着いていました。一度、ベランダ伝いにうちにもきたことがあったっけ。
ある日、その子の目が片方潰れていました。隣の家の悪ガキがBB弾で打ったらしい。大家さんによると、いつも憂さ晴らしに猫をいじめているようでした。生き残ったその子はどんどん大きくなり、目も片方は潰れたまま。ある日、大家さんに会うと、その子を去勢手術したいのだけど、なかなか捕まらなくて困っていると言っていて、雌猫を追いかけて道路を横切ったりするから危なくて仕方ないらしい。
それを聞いて、なんとかしなくてはと思い、どこで調達したか忘れましたが捕獲器を借りて、初めて捕獲なるものを経験しました。捕まったと伝えると大家さんが馴染みの動物病院へ連れて行ってくれました。
手術から帰るとまたいつものエントランスに姿を見せていました。
あの子、元気だろうか。。。今思えば、保護してあげればよかった。
その時、私は一頭の猫で精一杯で、そんな発想がありませんでした。


<新しいマンション、本格的な保護活動>

そうこうしているうちに、そのマンションも引っ越すことになりました。
本当は4Fを借りたかったのだけど、タッチの差で他の人に決まってしまい、ちょうど同じ間取りで2Fが空くから、と2Fの部屋を借りたのですが、目の前に建物があって、とにかく日当たりが悪かった。。。
猫は日向ぼっこが好きなのに、年がら年中日当たりが悪い部屋で過ごさせるのが不憫になり、引っ越すことにしたのです。結局、なかなか賃貸で良い物件が見つからず、なんの計画性もなく、「もう買ってしまおうか」と決めて、頭金もないままいきなり買ってしまいました。。。(リーマンショック前で審査もゆるゆるだったのです)。

友人が公園の猫を世話しているんだけど、もらって欲しいと言ってきて、まあ広くなるし良いよ、と返事をし、1頭だった猫が2頭になりました。

そしてまた引越し先の隣のお寺で野良猫を発見。この時には野良猫の過酷な一生を知っていたし、前のマンションで猫を助けられなかったことを後悔していたので、迷わずなんかしようと思いました。とりあえずはかわいそうな子が増えないうように、片っ端から不妊手術。やってもやってもどんどん違う猫がやってくる。。。不妊手術の何が辛いって、やっぱり手術した子をリリースする時です。外に戻すのが本当に辛い。人に慣れている子は保護して里親探しもしたくなり、里親さんが決まったら、また別の猫を保護して、を繰り返す。。新規の猫がきたらとりあえず不妊手術をする、の繰り返しです。

そのうちなんとなく慣れてきて、人に慣れていない子も誰かもらってくれるのでは?と考え出して、保護するようになり、慣れていないシャーシャーの子でも保護するようになりました。
猫たちの様子はブログで発信。続けていくうちに、読者も増えて、人に慣れてない、決して器量よしとは言えないおじいちゃんのエイズキャリアの子も里親さんが決まったりして。
続けていくうちに、なんとなく同じ世代の保護活動をしている友人もできて情報交換したり励まし合いながらやっていました。

長くなりすぎるので細かいことは割愛しますが、最終的には出会う野良猫全部が気になるようになり、常に洗濯ネットと猫のおやつを持ち歩いていました。時には餌やりさんとけんかになったり、猫を連れてき過ぎるという理由でだんなが家出したりとやってる中ではいろいろありました。いっときは家の中に猫が10頭以上になったりして。新築のマンションの壁もカーテンも無惨な姿に(笑)。
それにしても保護活動はお金がかかりました。野良猫に良心的な動物病院が近くにあって助かりましたが、とにかく猫の数が多いし、どうせなら不妊手術の時にワクチンとノミダニ駆除はやりたいし、で大体一頭2万円くらいかかっていたので、50頭やったら100万円です。保護していく中で、病気の子とかも出てくる。当時は会社員でそれなりに収入があり、猫の医療費もボーナスあるからいいか、みたいなどんぶり勘定でやっていました。

大変なこともあったけど、里親さんが決まり、ただの野良猫だった子達が幸せになっていく姿を見るのは本当に嬉しかったです。基本的に、保護活動は仕事が休みの日にやっていましたが、会社にフレックス制度があったのもよかった(使ってたのはほぼ私だけだけど)です。今だから白状しますが、里親募集の記事も会社でめっちゃ集中して書いたりしていました。カタログやチラシを制作する仕事もするようになったので、チラシに保護猫の写真を商品モデルに使ったりしたのが今のラブコのグッズ作りの始まりだったかも。


そんな感じで数年が経ったのですが、ある日、うちの猫の一頭がFIPで亡くなってしまいました。めちゃくちゃ落ちました。まだ2歳で、里親さんのところからで戻ってきた大きな黒猫でした。本当になんの前触れもなく、具合が悪くなって一週間で旅立ってしまいました。

葬儀の時とかは仕事を休ませてもらったけど、なんとなく休みづらく。
猫は人間より寿命がずっと短いし、今が永遠に続くわけじゃないんだなとなんか悟ったような心境になり、私の持っている時間を全部猫のために使いたいとその時に思ってしまいました。でも、保護活動にはお金がかかる。今仕事があって、それなりの給料をもらっているからできているけど、お金なくなったらどうするの?と思いましたが、とにかく猫の保護と仕事を結びつける方法なんかあるはず、と思い始め、会社をやめることにしてしまいました。
私はこれまで何度も転職していて、いつも単身一人暮らしで貯金もないのに、全然会社を辞めることに不安とかを感じない性分で。そして先が見えない=どうなるかわからない、みたいな状況になんかワクワクしてしまうところもありました。
そういうわけで、会社に退職の意思を伝えて、さあどうしようかなと思ってるところ、保護活動をしている友人から話が舞い込んできたのです。

また長くなってしまったので後半②に続きます。
次回はBuddyのお話です。



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