見出し画像

『夜行バスに乗るまえに』豆島 圭様企画参加作品 特別篇

(本文約1900文字)

「あー、どうしよう、あともう10分で出発やのに、あかんがな、あかんがな、あかんがな…… お腹痛いまま、あー」

 俺はバスターミナルのトイレで脂汗を垂らしながら、3回目のウォシュレットシャワーの禊を受けていた。ここで出なければバスに乗り遅れる。そうなれば朝一の会議に間に合わない。あかんがな、もう、あかんがな。トイレから出ないとあかんがな。

 だいたい晩御飯は外で食べるからと言って、吉岡屋の牛丼大盛りにナマ玉子をぶっかけたのが悪かった。あの玉子、なんかじゅる~っとなってたような気がするし、ガサガサほとんど噛まないでがっついた。そのあと、まだ寒いのに冷たい缶コーヒーなんか飲んだからあかんかった。

 ピーや、ピー! ネズミ捕りの誘導のお巡りさんの笛か! ピーやて。トイレですぐ治まるわと思たのに、もう10分以上この状態や、4~5回ノックされたわ! こっちもイライラして「お腹痛いねん!」って大きな声で言ってもーたやんか。ああ、とにかく出よ。ほんま間に合わへん。バスにトイレ付いてたはずや。確か付いてた…… 付いてない場合は…… いや、とにかく出すべきものは全て出した。あとは、文字通り「運を天に任せる」のだ。

 俺は腹部を優しくナデナデし、これからしばらくの間、大人しくして頂きたいお尻のイクジット部分に緊張感を保ちながらようやく便座から腰を上げた。ずっと便座に身をゆだねていたせいで腰に痛みが走る。しかしそんなことは突然のピーの恐怖に比べれば、充分許容できることだ。俺は身繕いをして扉を開けようとした。

「お客様へのご案内をいたします。23:00発、バスタ新宿行きノート交通、風林火山号は3番乗り場よりまもなく発車いたします。ご乗車のお客様は3番乗り場へお急ぎください」

 キターーーーーー! アナウンスが流れ、俺は個室を飛び出した。まだ、大丈夫だ。アナウンスを聞いて駆けつける。そんな乗客がいることを想定して案内をしている筈だ。おれはギリギリだが間に合う。俺は勝つ。※最後に愛は勝つ!

 キターーーーーー! バスへ脱兎のごとく駆けだすためのアドレナリンがイクジット部分の緊張感を一瞬忘れさせたのか、大腸あたりからの蒙古軍が大挙として移動し始める兆しを北条時宗は察知した。

 いかん! これはいかん! これではバス停まで行きつくまでに全滅だ。俺は瞬時の判断で個室に走り戻る。紙は、いや、神はまだ俺を見放していない。個室は一つ開いており、そこへ飛び込み間一髪、間に合う。

 とりあえず4回目の襲来をやり過ごし、ウォシュレットで禊ぎ、綺麗であろうこと想定してそのまま下着とズボンをあげる。そのうち乾く。汚れていなければイッツ・オール・ライト。

 俺は個室を飛び出しバス停へ駆ける、走れトシロー。竹馬の友が新宿で待っている。

 あ。

 あかん、カバン、忘れた。

 あまりの焦りに個室内にカバンを忘れた。俺はまたUターンをしてトイレ個室に戻る。
 閉まっている…… 誰かに入られた。俺はトイレのドアを猛烈にノックする。すまん、君の人生に横やりを入れようとしているのではない。俺はただその中にあるカバンを取り戻したいのだ。

「すんません、カバン取ってください。上の隙間からでいいんで、すんません、急いでるんです!!」
「ちょっと待って、今……」中から声がする。
俺は再び脂汗が、いや今度は冷や汗だろう。ピーの恐怖は今やバスのエンジンがかかる音となって、腸内ではなく脳内に響き渡る。
「すんません。早く、すんません、バスが出てしまうんです」
「いや、こっちも今、出てんねん」
「ほな、早く、発車します」
「くそ、しょーもないねん! ほれ!」
 中の人は俺のカバンをドアの上からこっちへ放り投げた。俺はそれを頭で一度受け止めてから抱え込み「すんません!」と律儀に礼を言ってからタッチダウンへ走り出す。今の俺は誰にも止められない。

 1番乗り場の横を走り抜け、コーナーを曲がり2番乗り場の乗客列の間をすり抜けた時『風林火山号』が見えた。

「ついに、俺は」と思ったとき、風林火山号の後ろ姿は遠ざかっていることに気が付く。

「嘘だ……」

 俺はスピードを緩めやがて立ち止まり、その場に膝をつく。
「間に合わなかった…… 走ったのに…… ※すまんセリヌンティウス…… 私は走ったのだ……」

 全てに敗れた俺は絶望に打ちひしがれた。これで、俺は明日の会議に遅刻が確定した。しかも明日一番の新幹線は自腹で、部長の叱責も受けねばならない。

 だが俺は、最後の恐怖がすぐそこまでやってきているのにまだ気付いていなかった。通算5回目の蒙古襲来が迫っていることと、ターミナルのトイレが鎌倉幕府軍に占拠され陣地がないことに。

おわり

※KAN 「愛は勝つ」より
※太宰治「走れメロス」より


エレファントカシマシ - 「俺たちの明日」


 豆島様、申し訳ありません。こういうのを書かないと納得して頂けない方が私の周りには若干名おられます。
お食事中の方がおられましたら、大変申し訳ありませんでした。先に注意書きを書くべきでした。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?