2023/01/19
ここまでめちゃくちゃサボった挙句、1/14分の下書きを5日後に書いている。
生徒の1人が体調不良で共通テストを受けられなかった。
塾講師なんて仕事をしていると、子どもが体調不良で塾を休んだり、学校に行けなかったり、試験を受けられなかったりということは日常茶飯事で、その度に「この子は体調を崩しやすいから」「心が繊細だから」といって子どもを極度に気遣う親の姿を頻繁に見る。
もちろん体質や諸々の問題で本当に体調を崩しやすい子はいるので、まずそういう子は堂々と休んでほしい。
「休む」と言うこと自体に抵抗感を持つ子もいて、それはそれで大きな問題である。ただそれは「(自分が傷つくのが怖くて)自分の意見を言えない」とか「他人に助けを求められない」といった、日本人の(ここまで対象を広げすぎていいか迷うが)プライドの高さを根っこに持つ問題だと思うのでこれはまた今度考えることにしたい。
今考えておきたいのは、親が「この子は心が繊細だから」と言うことによってその子が「自分は心が繊細なんだ」というありもしない現実を作り上げてしまい、本当に傷つきやすい心が繊細な子どもが増えているということだ。少なくともぼくの実感として、ぼくが中高生のころより学校に行けない子は増えている。(ぼくの中学校では学年に1人ぐらいだったが、生徒から聞く限り今はクラスに平均1人はいそうな感じ)
ただこれは、親が子どもに繊細だと言わなければいいとか、子どもにもっと厳しくすればいいんだ、とかで解決することではない。
親=大人が「この子は繊細だから」と言うとき、親=大人は子どもに、傷つきやすい自分自身を投影している。そして繊細な子どもを傷つきから守ることを通じて、自分自身が傷つくことから逃げているのだ。
そして子どもと向き合い、子どものことを第一に考えることを通じて、自分自身の人生と向き合い、生きることから逃げているのだ。
自分の目の前で勉強している姿を見たことがない親=大人に「勉強しろ」と言われても何の説得力もない。親=大人は自分自身の生き様を通じてしか子どもを感化することはできないのだ。
一方で、個人がどんどん孤立していく現代社会の中で、子育てに関する親に対する責任は増していく一方だ。子どもは社会が育ててくれるので、親は最低限のことをやっていればいい、と言うような言説は現代においてはほとんど意味をなしていない。親なんて誰しもが子育て初心者なわけで、それなのに相談できる場所や人がいなくなっているのだから、本当に地獄のような状況だと思う。
今の子どもの傷つきやすさは、そんな地獄の時代における親の、声にならない悲鳴なのかもしれない。
そういう時代の中で、自分には何ができるのだろうか。教育という分野に足を突っ込んでしまった当事者として、自分にできることを考えていきたいなと思う。
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