2024/02/13

意思決定において最も重要なことは、「考えないこと」である。
今日が都立高校の出願取り下げ日ということで、昨日は合格ラインギリギリの生徒たちと志望校を下げるかどうかの緊張感のある会話をずっとしていた。

塾の先生の役割として、「志望校・受験日程の整理」がある。
「志望校の優先順位をつけること」「優先順位をつける際に必要な観点を与えること」「入試日程が被ってしまう場合の受験戦略」「合格・不合格の際の分岐の整理」などなど。
そこで行われているのは「切断」だ。ありとあらゆる高校・大学に、出願しようと思えばできる。ただそのありとあらゆる学校を受験するとしたら、そこで発生するのはカオスである。試験日が被り、合格発表が被り、入学手続きが被る。試験料だって無限に出せるわけではない。そこで、「お金」によって、「時間」によって、「偏差値」によってカテゴライズし、無限にある選択肢を「有限化」していく。

1人の教え子が、家計的に私立は厳しいから危ういA高校ではなく、確実に受かるB高校を受験してほしい、と両親に頼まれたそうだ。出願の前に一度「最後の過去問で350点に届いたらA高校に出願しましょう」と決めていて、最後の過去問では380点まで伸びたのに、である。その子は自分に言い聞かせるように「A高校にそこまでこだわりないから大丈夫です」と言っていた。
その後もう少し話していると「でもA高校のほうが大学の合格実績が良くて…」「目標点届いたしいけますかね…」と未練を残しているようだった。
でも、最後には「いやでもB高校の特進クラスに行けるように頑張ります」と、決意と諦めがちょうど半々の表情で語ってくれた。「ここまで頑張ったのに…」という落胆、「やっぱりこっちの高校にしておけばよかった…」という後悔、「なぜおれが諦めなければいけないんだ」という怒り、恨み。
自分の中から無限に湧いてくる思いを断ち切り、「考えないように」することで決断したのだ。

そんなことは綺麗事だと言われてしまうかもしれないが、このとき「考えないように」し、蓋をした思いの数々がその人間の厚みとなるのだ。

人は生きていく中で多かれ少なかれ、そういった数々の「やりきれない思い」をどんどん抱えていく。それは歳を重ねるにつれてどんどん増してゆく。その厚みがその人の歴史なのだ。
内田樹は『複雑化の教育論』のなかで、こう言っている。

僕が考える「成熟」というのは「複雑化」ということです。

内田樹『複雑化の教育論』

「やりきれない思い」の蓄積によって人間は複雑になってゆく。それこそが人としての成熟であり、大人になるということなのかもしれない。

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