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何より辛かった「生きる」ということ。そこから救ってくれたのはアトピー。「生き方を変えてくれたアトピーに感謝」ずっと自分を愛せなかった私が劇的に変化した理由【The Holistic講座】


自己紹介

38歳で「#脱ステ」にチャレンジして
現在は薬を使わない生活を手に入れた「はる」です。
#ステロイド長期使用 。(15年間) 
愛媛県在住シングルマザー 息子2人♡

アトピーで悩んでいるあなたへ伝えたい。
アトピー改善に向かう道のりは辛く耐えがたいもの。
しかし、その渦中での学びは計り知れない。
アトピーは生き方を変えるきっかけとなる最高のギフト


わたしは

19歳、17歳の息子を持つ
シングルママです。
今年で離婚して11年目を迎えます。

二人の息子とはとても仲良しで、何でも話せる仲。
長男なんて3時間とかずっと話してる(笑)
親友みたいな存在。
本当に大好きで
一生かけて
彼らの 「幸せ」 を叶えるためのお手伝いがしたい。
息子たちが小さかった頃、してやれなかった分は
今後の私の一生をかけて、していきたい。
恩返しがしたい。
今、そう思える自分になっていることが本当に嬉しい。

→長男小学校3年生、次男1年生のときに離婚。
 当時旦那の鬱の看病で子供に目を向けてあげられなかった。
 私も鬱状態。そんな中での子育て。
 子供たちに申し訳ない。といつも悲しみの中にいた。




会社員をしながら
副業で業務代行、物販などチャレンジ
→ 基本は週7で仕事。朝から晩まで。休みは年に数回。
私は人よりも社会に出るのが遅かった。だから他の人に追いつくためには
人が休んでいる間も仕事しないといけない!と必死で働いていた。
自信がない。私なんて。。自ら何かをチャレンジするなんて怖い。。
そんなマインドだった。


自己投資として
ビジネス、マインド、セールス、ライティングなど
さまざまなセミナーに入り日々学んでいます。
とにかく「自分にお金を使うのが勿体ない。」と思っていた。
自己投資でセミナー受けるなんて考えたこともなかった。
服も人から貰ったもの、おさがりの服を着て、インナーなど最低限いるものしか買わなかった。


住みたい家に住み
買いたいものを買い
行きたい場所へ行く
そんな幸せな生活をしています。
→ここに住みたい。と家を決めたことなんてなかった。常に値段重視。
安さ重視。不満があってもお金ブロックで引っ越すことができなかった。
1人で県外に行くのさえ怖かった。32歳の時、出張で初めて一人で県外へ。
行った先は大阪。梅田駅に行ったとき人の多さに本気で怖いと思っていた。
電車もどれに乗ったらいいか分からず不安と恐怖で怯えていた。小鹿状態。


そして、同じアトピーで悩んでいるみんなに
「アトピーは治る」ということを伝えたい
「希望を持ってほしい」という気持ちが溢れてきて
現在このようにSNS発信を始めました。
Instagramライブに挑戦もしました。
→人に何かを伝えたい。と思ったことなんてなかった。
自分が嫌いだった。そしてSNSが嫌いだった。
周りからの目を気にし、周りからどう思われるか。もの凄く怖かった。
だから発信するなんて考えたこともなかった。
自分が辛いとき画面越しで友達が笑っていることが辛かった。
自分だけ。。。なんでこんなに辛いの。と思っていた。



見た目も心も劇的に変わった

意志の弱い私が
あの辛い「脱ステ」を乗り越えられたこと、

何より自分を優先し、

「自ら治す」と

強く思う心を持てたこと。

自分自身一番驚いています。


私は「アトピー」だけでなく

「心」が病んでいました。

「身体」だけでなく、

「心」にも自らが

「毒」を溜めてきました。

私は

そんな「私」を

救いたかった。

自分自身で。

私は今まで自分を恨み、

命の期限を決めて生きてきた。

そんな自分を愛し、

アトピーを絶対治し、

身体の毒だしをし、

心を浄化し

生まれ変わりたい!!

自分の人生を生きたい!!

人生で初めてそう思いました

身体も心も「毒だし」をして生まれ変わりました。



過去の私

私は、今年40歳。
私の命の期限をもうすぐ迎えます。

そう。数年前までの私は、生きるのが辛く、

今までどうやって生きてきたのか
この1分、1秒をどう生きていたのか
分からないほどに

「生きている」

ということが、何より辛かった。

期限を決めないと、

終わりが分からないと

生きていけない。。。。。

自分の人生は子どもが成人するまで。と思い生きてきました。
ここまで精神が参ってしまったのは
これからお話しする
旦那さんの「鬱」がきっかけでそうなった。と
以前は思っていましたが
私自身が元々持っていた

「心」に

大きな問題があったからだと
今は分かります。

そして、全て自分の

「決断」

自分の人生を作っている。と、

今は心から思っています。

過去の私は自分の人生に責任を持っていなかった。
自己肯定感がとても低く、自分の事が「好き」なんて
今まで一度も思ったことがなかった私。

だからいつも
「彼」のため
「子供」のため。
と、誰かの為と思い行動し
生きてきました。

「誰かの為」でないと頑張れない。

生きられない。

そんな私でした。


子供達の写真ずっと開くことができなかった。申し訳なさで涙が止まらなくなるから。
本当に可愛い子供達。


私が結婚した相手は
中学生の時からお付き合いしていた彼。
彼は当時、かっこよく女の子から人気があり、
成績も優秀。
そして、優しく純粋でした。

その反面、独占欲が強く、束縛が激しく
感情的になると豹変するような一面もありました。

スカートを着てはいけない
あの友達とは遊ぶな
男と話すな など。。。


そんな彼と中学生という幼いころからお付き合いしていたため、
相手を縛るという行為は

「愛」なのだと

無意識に思っていたんですね。
わたしは。

それに気づいたのは数年前です。

彼は私の事をいつも
「可愛い」
「大好き」
と沢山の言葉で伝えてくれました。

この頃から私は自己肯定感が低すぎるあまり

1年以上「好き」だと伝えられてやっと
この人は私の事を本当に愛しているのだ。と
信じられるレベルでした。

当時から依存傾向にあり

「私たちは特別な存在だよね」と

お互いが心からそう思っていました。


そんな私たちは19歳という若さで結婚。
8年間の結婚生活を送りました。


彼 20歳   私 19歳


彼はもともと家庭環境が複雑で
親子関係に問題を抱えていました。

経営者である父親は
「会社を継げ。」と、
幼いころから我が子に言い続けていました。

両親は仕事ばかりで、彼は祖父母に育てられました。
彼の父は、一度怒り出すと3日は家で怒鳴り続けている
ような人でした。
彼の母は、あの人は怒り出したら手を付けられない。
ただ怒りが治まるのを待つしかない。と
言い返すこともなく、いつも言いなりでした。

父が正しい。
従わなければいけない。
誰も言い返すことができない。
支配下の中での生活。

両親の事で悩んでいる彼に対し、
私は

「私だけは彼の理解者でありたい」
「私だけは彼の味方でいたい。」
「彼を幸せにしたい」

と強く思っていました。


成人式 この時長男がお腹にいました。


そんな家庭環境で育った彼は
結婚していた8年の間に何度も鬱を繰り返しました。

親に洗脳の様に「会社を継げ」と
言われ続けた彼は、
親の会社に就職しました。

が、親との意見の食い違い、頑張っても認められない。
仕事仕事で休みもほぼ取れず、朝から晩まで仕事。
家族で過ごす時間はほとんどありませんでした。

その頃の思い出は

睡眠時間も短い中
早朝出発する配達の仕事がたまにあり
事故を起こしてはいけない。と
心配だったので
私も同行していました。

幼い長男を毛布にくるんで車に乗り込み
帰りに24時間営業しているジョイフルで
朝ご飯を食べる。

それだけで「幸せ」を感じるような生活でした。

そんな生活が続き、

彼は
家族で過ごす時間はない。
何のために仕事をしているのか。
自分のいう事はいつも父親に否定される。

度重なるストレスで
仕事に行けなくなりました。

最初の鬱症状です。

私はとても心が痛みました。

一生懸命頑張っている彼に対し
心無い言葉をかける
義父と義母に強く怒りを感じることは
多々ありました。

私が彼の事を支えなければ。

そう強く思っていました。

子供を負ぶってでも仕事するし、
早朝でも仕事するし。

彼のため、子供たちのためなら
パワーが溢れてきて
頑張れました。

彼が仕事ができない間は、
穴埋めで私が仕事をしました。

まだ子供が授乳中だったため、授乳時間になれば
子供をつれてきてもらい、授乳させる。
そして仕事に戻る。

そんな状態でした。


仕事もしながらほぼ365日ワンオペ


あるとき、彼が全てを捨てて
誰も知らない「県外へ行く」と言い出しました。

彼にとってそれは、
大きな決断でした。

育ててくれた祖母を
彼はとても大切に思っていて
「ばーちゃんを置いてはいけない。」
「俺が出て行ったら親父がキレて家にいる
ばーちゃんがどんな目に合うか」
と心配で心配で
その選択をすることができなかったのです。

その気持ちも重々分かっていた私。

でもこんな状態から脱出したい!!
強く思っていました。

私の答えは勿論yesでした。

当時2歳の長男、生後半年の次男を連れ、
彼の両親には何も告げず
誰も知らない土地へ出て行きました。

小さな子を連れての
引越し、
子育て、
大変な事もあったと思います。

でも元々の生活が悲惨過ぎたので
何も苦ではありませんでした。

そこでは親に縛られることなく
週末は休みがあり
家族で沢山の時間を過ごすことができました。

私たちはやっと

「普通の幸せ」を手に入れました。


この頃は毎週みんなで遊びに行きました。
沢山いろんなところへ行きました。
お出かけの時は私が早起きしてお弁当作って持っていきました。


平凡で幸せな日々。


アトピーの発症


そんなある日
突如として現れた首への痒み。

掻かずにはいられない強い痒み。

そしてみるみるうちに

「アトピー」 と
言われている人の肌になっていきました。

私がアトピーを発症したのは24歳の時。

最初は首でした。

肌がひどい状態になり、私は皮膚科へ行きました。

そして処方された「ステロイド」

そこから私は
15年間ステロイドを使用することとなりました。

当初は塗り薬に対して全く知識や情報を私は持っていませんでした。
調べることもしませんでした。

まさに

「お医者さんが治してくれる」

「薬が治してくれる」

という考えでした。

内服薬に関しては、昔から警戒心が強く、
薬を飲むことはほとんどありませんでした。

それなのに、塗り薬に関しては

「別もの」と思っていました。

「身体の中に入れるもんじゃないから大丈夫」と。。。

「ステロイド」は良くないもの。

というのはよく聞くけど、
どのように良くないのか、明確な情報を
もらったことがありませんでした。

皮膚科でいつも言われるのは

「塗り続けると皮膚が薄くなる」

ということだけでした。

発症した時は、アトピーだと思っていませんでした。

だってアトピーって生まれつきのものでしょ?と

当時の私は思っていました。

だから

「私の場合は薬塗っとけば完治できる」

と、当時はそういう感覚でした。

疑問を持たずにステロイドを塗っていたのがこの頃でした。


発症したのが丁度この頃です。



「子育てして仕事して家事をして。」

生活の中で自分の事に目をやる余裕もありませんでした。

だからこの突如として現れた
「痒み」「アトピー」に関して
向き合うこともありませんでした。

そんな中、また家庭内がざわつきます。
彼が地元に帰って親の元で仕事をする。と言い出したのです。

彼には兄弟がいて、
「自分たちだけではやっていけない」
「戻ってきて欲しい」と言われたのがきっかけでした。

彼もまた、「雇われでこのまま仕事をしていていいのか。」と
自問自答していたそうです。

やっと手に入れた「普通の暮らし」。
戻るとどうなるか
もう想像はできていました。

ですが、

彼は帰ることを決め、
私や子供たちも
ついていきました。

帰って1週間で
彼はパニック状態になりました。

「帰ってきてほしい」と言っていた義兄が
出て行ったのです。

信じていた兄に裏切られ
大きなショックを受けたのはわかる。

分かるけど、


どんな覚悟で帰ったの?

親も兄弟も昔と変わっていない。
なんて承知の上だよね?

私や子供たちは彼を優先し
家族みんなで帰ってきたのに

なんと情けない。と

私は物凄く腹がたちました。

長男 入学式


長男は小学1年生になっていました。
その長男を転校させ、私たちは地元に戻りました。

長男はとても不安だったと思います。
それを思うと私は申し訳なくてしょうがなかった。

こんな小さな息子が頑張っているのに。。。

「やれないんだったらやらなくていい!!
私がやる!!」
と本気で切れてしまった私。

その言葉を聞いて
自分の言葉に責任を持とう。と
彼は仕事に向かいました。

それから半年。

また鬱の発症。。。。

彼はブツブツ呟きながら
狭い部屋の中を行ったり来たり
ずっとしています。

その異様な行動を見ている
こちらのダメージも大きい。

地元に戻って僅か半年。

私たち家族はまた引っ越しをすることとなりました。

「やっぱり俺は別の仕事がしたい」
ここではやっていけないと。。。

彼が弱ると私は必ず

「支えなくては」
「私は味方でいなくては」
「私がなんとかしなくては」

と、いつも強い自分が現れます。
そして彼をほっておくことはできません。


長男はわずか半年でまた転校。
次男も新しい幼稚園へ。。。


新しい小学校で「サッカーをやりたい。」と入部。
新しい幼稚園にも馴染んで笑ってくれている次男



そこからです。彼が本当に沼っていったのは。

引っ越して半年の間に3回仕事を変わり

「俺はこんな底辺の仕事もできない」と言い
どんどん鬱状態に入っていきました。

毎日「○にたい。」と口にし
部屋の中をうろうろ歩き回る。

そんな中での子育て。

いつ変な行動に出るかわからない状況の中
子供達が見ている前でへんな行動を起こしたら
どうしよう。。。

それが

怖くて怖くて

たまらず

彼から目を離すこともできず

仕事もできない。

貯金はどんどん無くなり

もう頭が真っ白でした。

もう身動きがとれず

「毎日この世からいなくなりたい。」と
言っている彼と同じように


私も生きるのが辛かった。

いっそ「一緒に。。。。。」と
思うほどに。


だから私は、やむを得ず地元に帰る決断をしました。


次男の卒園式を終えて引越し。
写真に写る「笑っている我が子」の顔を見て「笑ってくれてる。」とブログ作成しながら    涙がボロボロ。。。


そしたら義母から

「私は子育てをしていないから
この子の気持ちが分からない。
だからはるちゃんに診て欲しい
はるちゃんじゃないとこの子を理解できない」

と言われました。

全て私に投げられました。

看病に専念してくれと。

いままでずっと看病して
疲れ果てているのに
誰も助けてくれない。。。。

これは実際に
鬱の人を看病した事ある人にしか
わからない辛さ。
本当に辛く苦しい。

そんな彼の看病の日々は地獄でした。

毎日発するマイナスな言葉を
受け止め、

精神科への通院。

入院も検討し、
見学に行ったり

ここの心療内科がいい。と聞けば行き、

調子が良くなればジムに行って、
身体を動かしてみたり
色んな事をしました。


引越し後、次男は無事に入学式を迎え 1年生に
長男は1年前転校した学校にまた舞い戻り、兄弟同じ小学校へ仲良く通いました。




努力の甲斐があり、彼の症状が良くなってきました。

そんなときに実の父から次は助けを求められます。
私の父も自営業でした。
そのため、人手不足で困り、私に手伝ってほしいと
話をされました。
私は両方から腕を引かれて
物凄くしんどかった。

それでも相手の事ばかり考えて考えて

自分の心はもうボロボロだったのに

自分に目を向けず

「しんどいことの後には必ずいいことがある」と

そう信じてずっとここまできました。



涙を流しながら父のお店へ出勤し、
笑顔で仕事をし、
家に帰ると
子供達に弱いところを見せてはいけない

父親はあんな状態。

私まで折れてしまうわけにいかない。

私がしっかりしなくては。

私が守っていかなくては。

泣く場所なんてない。


1人車を走らせ声を出して泣くしかなかった。



辛い中でも子供たちがいつも癒してくれた。感謝しかない。
この写真は「俺のお金でおごってあげるー」とかき氷をご馳走してくれたときの写真



空を見上げれば
真っ青な空に白い雲。

とっても綺麗で

私の頬には涙がボロボロ流れ落ちました。

こんなに空は美しく青く澄み切っているのに
私の心は、なんでこんなにも
晴れないのかと。。

悲しくて

悲しくて

たまらなかった。



子供からの手紙
ままパパいつもありがとう まませかいでかわいいよ すき



パパいつもやさしくしてくれてありがとう。びょうきなおってね。パパ元気になってね



そんな日々の中でやっと彼の調子が回復してきました。

彼はまた、親の会社で働くと
言い出しました。

なんで?
なんでなん?
もう私は無理。。。

もう、心身ともに疲れ果てていた私は

「次、鬱状態になったとき
私はもう支えていく自信がない」

と彼に告げ

「どうしても親の会社で働くのなら
離婚届を書いてほしい」

と伝えました。

「そして、次、鬱状態になったときには
離婚します。」と続けました。

私の中に離婚という選択肢はありませんでした。

「一度結婚したら離婚はしてはいけない」
当時の私はそんな固い考えの持ち主でした。

そして、彼の事をずっと

「特別な人」

思ってきた私。

彼と上手くいかなければ他の人とは到底無理だと
思っていました。

「私の事をこんなにも愛してくれるのは彼しかいない」と。。。。

私はずっと
小さな
小さな
世界で生きてきました。

自分に自信がなく、自分は愛されない。

そんな私が彼に「離婚届けを書いてほしい」と
伝えたのはよっぽどのことでした。

彼はだまって書いてくれました。

疲れ果てていた私は
精神が安定せず
彼との距離をあけたくて
このあと、別居をしました。


別居していた頃の写真


本当のどん底の始まり


ここからです。
私がどん底に落ちて行ったのは。

実は彼は鬱症状を安定させるために
薬を飲んでいました。

恐らく、薬のせいで気分が上がり過ぎたのだと思います。

派手な夜遊びをし、
私に何度も電話をかけ、怒鳴りつけてきて脅迫。

父のお店にまで電話をかけてきては
仕事中の私に怒鳴りつける。

私のすべてを否定され、私の親の事も全否定され

何度も何度も電話され

私を否定し続け 

私は電話の着信音を聞くと

寒気がして震えるほどの恐怖の中にいました。

話し合いの場を設けた時も感情的になり、
コップを壁に投げつけられ
「俺がどんな気持ちで離婚届けにサインしたか
わかっとんかー!!!」

凄い剣幕で怒鳴ります。

子供を連れて非難しないといけないような場面が
何度もありました。

わたしは一気に体重が10キロおち

食事を食べる気力もなく、

低血糖になり身体は震え、

だんだん力も入らなくなって、

生理もとまってしまいました。

そんな私を見て抱きしめながら母が泣いていました。

その頃の私は毎日1日が終わるとカレンダーにチェックをいれました。

今日も頑張って生きた。

また次の日も。

毎日がとんでもなく苦しく長かった。

この1分1秒を今までどうやって生きてきたのか。。
わからなかった。

そのあとの時系列をはっきり覚えていませんが

彼に彼女ができ

「お前なんかもう必要ないから」


と言われ

彼が離婚届を提出し、
離婚が成立しました。

こうして私たちの結婚生活は幕を閉じました。


実家で焼き肉をしてくれた時の写真。
この頃一番精神がやばすぎて両親にも迷惑をかけた。


子供が書いてくれた手紙
ままへ ままおてがみありがとう。 ままをたすけてあげるからね。だいすき
今読んでも涙が止まりません。



その時私は離れられる。という安堵の気持ちと、

今まで自分の積み上げてきたもの
すべてがなくなってしまったような感覚に襲われました。

わたしは彼と人生の半分以上一緒に過ごし、
彼を中心に私の人生は回っていました。


私の半分が彼でした。
そんな感覚でした。

彼に必要とされていることで自分の存在意義を感じていました。

誰かのためにしか生きてこなかった私は

心がからっぽになってしまったのです。

愛情ではなく「依存」している自分がいました。


その一方で強くこみあげてきたのが
「絶対に一人で子供を育ててみせる」という怒りの気持ちでした。

引っ越しを繰り返し、
看病が続いていたため、
貯金も0円の状態。

とりあえずお金!何があってもお金を稼がないと。

とにかくお金の稼げる仕事!!

怒りと悲しみと喪失感と
色んな感情が渦巻き
本当に自分の事はどうでもよかった。

稼げないのなら、寝ずに働けばいい。と
夜も週2回~4回働きました。

子供が成人するまで私は生きられたらいい。
それまで頑張ろう。
そればかりを思っていました。


自分のことを愛すことができず、
自分を痛めつけるような事ばかりしていました。

早く終わりがくればいい。
と思っていたし、
自分を痛めつけることで

自分の中の
苦しい気持ちを
取り除けるような気がしていました。

何とも言えない辛さと孤独。

そわそわして落ち着かず、

いつも寂しかった。

安定しない精神状態とずっと戦ってきました。

一人でいられなかった。

誰かそばにいてくれないと耐えられなかった。

自分の抱えている色んな気持ちを子供たちには隠し、
子供たちが寂しくないようにいろんなところへ行って遊び、
子供たちがやりたいことをたくさんしました。



家族3人。

3人というのがとても寂しく感じて
しょうがなかった。


「かけているもの」

埋めるために
子供達の友達を沢山連れて
よく遊びにいきました。

楽しいことだけしよう。

自分の気持ちをマインドを整えることを最優先しました。

時間の経過とともに

少しずつ

少しずつ

少しずつ

心が落ち着いてきました。


友達沢山呼んで野球大会
友達沢山呼んでボーリング大会
友達沢山呼んでバーベキューなど沢山しました。


3年経ち

5年経ち

それでも完全に抜けきれない。

7年経ち

いつになったら完全にここから逃れられるのか。

もうずっと怖かった。

人の事を心から信用できない

自分はどれほど寂しい人間なのか。。と
本当に独りぼっちだった。

人に本音を話せない。

安心できる場所がほしかった。

時間の経過とともに
少しずつ
いろんなものが癒えていくけど


完全には変われない。

私は変わりたいと強く願った。

こんなままの人生は嫌だ。

そして私は高額のセミナーに入りました。
初めての自己投資です。

そこで「自分を愛する」ということの
大切さに気付きました。

そのセミナーで私はある女性に出会います。


セミナーの卒業パーティーで生ユッティと初対面


ユッティとの出会い


「林 友理菜さん(ユッティ)」

ユッティはいつも明るく、キラキラしていて
誰にでも優しい。
お仕事はwebデザイナー。
そしてなんと

セミナー開催すると常に満員御礼
参加人数100名以上超え

常に結果を更新しているユッティ
私は遠くから見ているような
状態でした。

私とは世界が違う人だな。
と、思っていました。


キラキラ輝いているユッティ



ある日、そんな彼女の過去を知り、
私は衝撃を受けました。


なんとユッティは
0〜18歳まで壮絶な虐待家庭育ち
人が一生かけて食べる分くらいの
カップラーメンやコンビニ弁当を
食べて思春期は育ち、
殴る蹴るは当たり前の日々を送っていたのです。

え!!うそでしょ。

あんなに明るくて優しい人が
虐待育ちなんて信じられない。。。



それを知り、自分の過去色々あったことが
本当にちっぽけに感じました。

親からの虐待に

「勝る辛いものはない」

子供は親からの愛情を常に求めてる。

小さい頃は親が全てなのに。

産まれた時から愛情を受けていないなんて。。

聞くだけで心が張り裂けそうでした。

そして更に
幼少期から添加物まみれの物を食べていたため

重度のアトピー

脱ステしてゾンビ状態になり

1年半、何もできず動けず、寝たきり状態。

3年後も完治はせず

生活保護になり

そこから奇跡の復活を遂げていたのです。

え!!生活保護!!


あんなに可愛くて
今はバリバリ仕事して
お金を稼いでいるユッティが!!

まさかの過去を知って
衝撃すぎて
そこからユッティの事が
凄く気になっていきました。

彼女の事を知れば知るほど
魅力的で大好きになっていきました。

そして、ユッティとの出会いがきっかけで



ずっとほったらかしにしてきた

「アトピー」と

そして自分自身と

向き合う事となります。

The Holistic講座

人生の転機


重度のアトピーから復活した
ユッティと出会ったことで

「アトピーは治せる。」

ということ

アトピーはステロイドでは治らない」

ということを

私は初めて知りました。

今までは

医師に指示された通りの
量や回数を守っていなかったから

だから治らなかったのかも。

とか

ここの病院にかなり通ったけど
薬出すだけで全然治らない。

よし!評判の良い病院へ転移しよう。と
転移したり

ここでもまだ

「病院に行けば治る」

「薬で治る」

と思っていた私。

そんな私を根本から変えてくれたのが
ユッティ。


そして

ユッティが主催する「The Holistic講座」



アトピー改善の方法
食の歴史
私たちを取り巻く様々な毒

について知り

根本からアトピーを改善しました。



私はアトピーが改善しただけでなく
マインドも大きく変わりました。

今まで自分の事を愛せず、
自分の人生を生きていなかった私。

そんな私が今、
心から
自分の事を愛し、
大切に出来るようになりました。

自分の人生を良くしたい!!と
苦手なことにチャレンジし、
SNSで顔出しして、
自分の声で
自分の想いを伝える。

そんなことも出来るようになりました。

私自身もアトピーで苦しんでいる人たちの
光になりたい!!
心からそう思うようなりました。

人が怖い、
人にどう思われるか、
自分のこと見られるの恥ずかしい
私の話なんて聞きたい人いるのか。。。。

そんなことはもうどうでも良くなりました。


脱ステして
毎日毎日痒い、
夜も痒くて眠れない
お風呂でも痒い、
そして痛い。
見た目も醜い

【身体が頑張ってくれている】
その身体を全力でサポートし
食やあらゆる要因になるものを避け
自分で絶対に治すと心に決め
人生で初めて自分としっかり向き合い
劇的な回復を遂げ
それが自分の自信に繋がりました。

本当に良い経験ができました。

心から「アトピー」に感謝しています。

心からそう思えるまでに私を変えてくれました。

「生き方を見直しなさい」
身体からのメッセージ。

それに気付けたこと
それに気付かせてくれたユッティに
心から感謝しています。


そんなユッティの
セミナーが
遂に開催されます。
しかも無料です。

そしてなんと3日間も。

7月27日(土)28日(日)29日(月)
時間は全日 21:00~

完全無料の3日間なので、

  • アトピーでステロイド使用中だけど治っていない

  • アトピーでずっと悩んでいる

  • 1人で脱ステにチャレンジしているけど辛くて挫折しそう

  • 以前より回復しているけど完治できない

  • 本来の肌、本来の自分を取り戻し、自分の人生を生きたい

このような悩みをお持ちの方は
無料講座だけでも必ず受講をおすすめします。

無料でも中身は本物でしっかり内容が詰まっています。
必ずあなたに必要な情報があります。


最終日には
私の人生を変えてくれた
「The Holistic講座」の募集があります。


お申し込み時に、紹介者名に【はる】と
ご記入ください。

私は講座受講後もユッティの元で
学んでいます。


ご紹介者に【はる】とご記入下さった方には
私も講座中のサポートをさせていただきます。


私もアトピーで困っている方の力になりたい!!
一緒に理想の人生を叶えたい!!
心からそう思っています。


アトピーを治せるのは自分自身。絶対に治すという強い「意志」


最後に私からの音声メッセージです。

文字ではなく私の言葉で私の声で
気持ちを伝えたいので
聞いていただけると嬉しいです。


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そこから無料セミナーへ申込みができます。

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薬局屋さんで薬を受け取る際に

薬剤師さんに聞くと
「ステロイドのレベルでいうと強くないんで大丈夫ですよ」
という。
そうなんだ。

病院の先生もそういってるし、薬剤師さんも同じ意見だし
大丈夫なのかな。。。。

病院も当たり前のように薬を出し、塗り続けていう事に対し、
治ってない。という事を言われてことなんてありません。
むしろ、塗り続けるのが普通くらいな感覚。








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