私と9.11と世界旅行

https://youtu.be/FwTWkKSZNPA?si=qC0Wm1il-LNbBPBW

9.11の前日、大阪市内の夕日が赤すぎた
18時10分、生駒のほうにむいて赤すぎる夕日に戸惑った
夕方のニュースをつけていたから思わずテレビ局に電話しかけたがやめておいた


私は琉球の血を継いでいて、しかしまだその時は「ユタかカミンチュなのか」なんとなくの感覚だけだったから自分の不安に自信がなかった
よくも悪くも知らせはあたることばかりだ

翌日、担当させて頂いていたラジオの音楽生放送で、ラストにニューヨークザシティーを流した
その頃の私は洋楽を知ったかぶりすることが精一杯だった

ラジオが終わると仲間とファミレスに行った

普段は電車帰宅だがみんなで車帰宅することになった

その日の帰り道に事件は報道された

翌日、バイトのために大阪の環状線に乗ったが世間話をする人らのうち誰も海外の事件の話をしなかった

その頃から過呼吸が頻繁に起きて涙が止まらなくなりガクガク震える日々が続いた
しかし病院なんて行かなかった
当時は人生で精神科の病院に行くなんてあり得ないという感覚を持つほど私は強かった
私は強いと思い込んでいたかった

パニック障害になっていたのにスルーしたほど強かった

ある日の夕方、路上のコスモスを見ていたら
ふと自動販売機に「地球1周旅行」のポスターを見かけた

その世界旅行にはせっかく掴んだラジオパーソナリティーを降板してでも行こうと決意

なんでビルが倒壊したかもわからない無知な自分を戒めなければと思っていた

しかし船の中は予想以上にキツかった

朝まで平和について語るとか世界の紛争地区の勉強会などは全く知らないことだらけで濃すぎた

それでも「地球大学」というわかりやすいプロジェクトには参加できた

「地球大学」は自主企画の勉強会ではなくてもともと講師を招いての勉強会だった

何もわからないところからのスタートで、環境問題等について学んだが消化できずに苦しすぎた

私は真面目な性格で今風にいうと
ハイパーセンシティブゆえに他人の痛みを自分の痛みのように感じやすいからただただ苦しかった

その中のエピソードで
マーシャル諸島のおじいさんは子供の頃、軍人に島から連れ出され
核実験の瞬間を穴の中から顔を踏みつけられた状態で見せつけられたそうだ

漫画、ブラックジャックにも島の実験シーンがあったはずだけど
現地の人がそんなことをされたシーンはなかった気がする
私の精神は落ちるところまで落ちたし他の人もメンタルがキツそうな人だらけに思えた

それでも知ったことを伝えることは1万冊の本を読んで黙るより大事なことだと教わった

上記、エピソードは何回も削除してきたブログ等で書いてきたことですが
私自身が年齢を積み重ねたことで捉え方も変わってきました

日本に生まれ育つと基本的人権が当たり前のようにあり
「人を人と思わないのか!!」という人に出会う確率も少ないんだなと思いました

また、日本に生まれてラッキーならば社会保障法をコンプリートして困っている人に伝える仕事がしたいと考えるようになりました

帰国後はファイナンシャルプランナーや年金等の資格を取得

30代は社会保険労務士を勉強したのですが国家試験は1年に1回というプレッシャーで潰れて何年か勉強後、挫折しました

今は今の時代で新しい時代になろうとする中でより良く変わって欲しい
終末思想に踊らされず
集合無意識をプラス思考にしてゆくことしか思いつきません

私は歌を作りたい
私は歌を歌いたい

それだけで充分


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