見出し画像

「心の中の母と仲良くする」ということ〜分離感を無くす

「分離感」という言葉を知っていますか?

心理学で使うこの言葉は、「他者と私が分離している感覚」と定義付けられます。

分離していないと「私である」という感覚は無くなります。

なぜなら他者との違いは、分離しているお陰で認識するから。


背の高い人がいるから、自分が背が低いと認識できる。

のんびりしている人がいるから、自分がテキパキ動ける人だと認識できる。


この世の中で生きていく上で、皆必ず分離感は持っているのです。

しかし、「分離感だらけ」だとどうでしょう。

「孤独」「悲しみ」が中心の生活になってしまうのではないでしょうか?

少しでも分離感を取ると、幸せを多く感じられると、私は考えます。

今回は「心の中の母との関係」と「分離感」について語っていきます。


「分離感」という感覚について


分離感というのは、先程書いたように、分離しているという感覚です。

実際には、体は別々に存在しているのだから、分離しています。

でも気持ちが通じ合っていると感じている時、共感しているときは、分離しているという感覚がないです。

「分離感を無くす」というのは、気持ちが通じ合っていると感じればいい、ということです。

実際に相手と逢って、気持ちが通じ合っていることを確認する必要はないのです。

要は、自分は相手に共感しているという感覚さえあればいいのです。


心の中の母について


心の中の母というのは、実際に今存在している母ではありません。

過去の記憶に基づいて、今はきっとこうだろう、と想像している母です。

今までの膨大な記憶、それは、意識的に覚えている記憶だけでなく、無意識の記憶にも私達は影響されています。

なにしろ、無意識な記憶(潜在意識)は1100万bitに対して、意識している記憶(顕在意識)は20bitしかないのです。

例えば、誰かと意識して仲良くしようと思っていても、なかなかできない。

それは、潜在意識が抵抗しているからでしょう。

過去の記憶になにかブレーキになることがある、ということです。

さて、話は戻ります。

その過去の記憶というデータベースに「心の中の母」というものが存在します。

今まで母との思い出を元に、いろんな感情も残っています。

してほしかったのに、してもらえなかったこと。

してあげたかったのに、できなかったこと。

されて嫌だったこと。

やってあげたのに、怒られたこと。


そういうネガティブなことばかりを思い出してしまいます。

しかし、そうすると、どんどん分離感は増してしまい、寂しく感じます。

そう。

分離感を無くすのは、「共感する」ことでした。

あのとき、こんなことしてくれて嬉しかった。

このときは、こんなことしたら喜んでくれた。

そういうポジティブな記憶を思い起こします。

それだけでも心がちょっと温かくなったりしませんか?

寂しさとは反対の感情が湧き上がってくると思います。


明け方観た夢


少し外が白み始めた頃、私は夢を観ました。

それは、母とどこかの部屋を大掃除している夢でした。

実際に今住んでいる場所ではありません。

私がパソコンデスクを動かし、母が裏に溜まっていた誇りを掃除機で吸い取る。

そんな作業を二人でしていました。

「年賀状で引っ越したことをみんなに知らせるんだ。」

そう私が言いました。

そうすると母が、

「年末なんだから、皆さんが年賀状を書く前に、引っ越しましたというお知らせを出したほうが良いんじゃない?」

と言いました。

「そうだね、そうするね。ありがとう、お母さん。」

夢の中の私は答えていました。

これから実際に引っ越しますし、11月中には引っ越しました、というはがきを出そうと思っています。

夢の中の母はそれを勧めてくれた。

元々やろうと思っていたことを、心の中の母も望んでいる

そう思ったら、自分の心が奥底からじんわりと温かくなりました

その後もうつらうつらと夢を観ましたが、その温かさをしばらく味わいました。

私は、自分の中の母と分離していない、母と仲良しなんだ、という気持ちで満たされていきました

恐らく、その「味わう」ということも大事なことなんだろうな、と後から思いました。

実際になにが起こっているか?

起きてから、私は母と逢っていないし連絡もしていません。

しかし、まだ心の奥では温かさが残っています。

分離感がない。

今回の場合だと「母と私はどこかで繋がっている、分離してないんだ」という感覚なんだろうと思います。

この感覚は、夢の中の体験と共にすでに過去の記憶として私のデータに書き込まれました。

脳は、「実際に行動したこと」と「想像したこと」の区別がつかないです。

だから、夢の中で体験したことも、実体験と変わらない記憶として書き込まれる、という訳です。

これから母に対して、前とは違う接した方をできるだろうな、と思います。

そして、そう思える自分が愛おしくなります。

今まで母との関係において、自分の中でギスギスしたものがありました。

それは分離感が原因でした。

それがかなり溶けていっている。

私にとって大きな前進を感じる出来事でした。


読んでくださり、ありがとうございます。

心からの感謝を込めて。








これからも発信していくので、応援お願いします。資料となる本の購入代に充てたいです♪