見出し画像

アナタがやってる自己分析。俯瞰ですか? 偏狭ですか? 近視眼的になっていませんか?

ちょっと知ってる言葉や、覚えたばかりの言葉を使いたがりな私です。

俯瞰ふかん」という言葉。
字も小難しくて、なんだかカッコいい。
使っている人も、なんだかカッコいい。
見様見真似でやりたがりな私は、このような言葉をついつい使いたがります。
でも、残念な私は「俯瞰で見る」と間違えた使い方をして、知ったかぶっていたということに気が付いたのです!


俯瞰の使い方・対義語は?

「俯瞰」という言葉には「高いところから見下ろす」「物事の全体像を捉える」という意味があって、「俯瞰」そのものに「見る」という意味が含まれます。
すなわち! 「俯瞰で見る」とは二重表現となり、おかしな日本語となります。

使い方としては「俯瞰する」

これでOKです。

勉強とは「ついでに調べてみよう」の積み重ねから身につくもの! と、いうのが私の持論。
「俯瞰」の対義語が気になりました。

小難しい言葉の対義語も小難しいのだろうか? 

ここでは二つを例としてあげます。
まずは、「偏狭へんきょう」という言葉。「度量が狭い」「狭い考えに囚われていること」を意味します。
小難しい!(笑)
もう一つ、「近視眼的きんしがんてき」という言葉。こちらは「全体像を捉えられず、目先のことしか見えていない状態」をさす言葉です。簡単な言葉も対義語になるのですね。
「偏狭」と「近視眼的」……微妙にニュアンスが違うのかなと感じていたところ、このタイトルで記事を書いてみようと思い付きました。


自己分析をどのようにしていますか?

最近、私は自己を俯瞰できるようになりました。

物事を細かく分析しがちな私は、以前から自分のことすらも分析する傾向にありました。
「私って〇〇だから」という決めつけや、「私らしさとは何か」みたいなことを、殻に閉じこもって自分の心の中だけで分析をしてしまっていました。
そうすると、どうも「近視眼的」で、「偏狭」な考えに溺れてしまうのです。
こうして、狭くて自分の中だけの考えのまま自分を分析し始めると、沼から抜けられないのです。

沼から抜けられない自分を分析し、決めつけ、ますます鬱々としていました。

本来の自己に気が付かないまま、勝手に沼にハマっていました。


閑話休題

全然話が変わりますが、思い返せば私は子供のころから、あまり人に頼ったり、人に相談したりしてきませんでした。

側から見ると沼にハマった状態の私に「なんでも言ってよ」「聞くことならいくらでも出来るから」そう声をかけてくださる方もいました。

これはこれで、たいへんありがたいことなのですが、私は相談の仕方が分からなかったです。今も。

こんなやりとりは、いつの年代も、どの環境に身を置いても起きるので、ずっと「みんなはそんなに人に相談するのか?」と不思議に思っていました。
もちろん仕事上の「報・連・相」にあたる相談はします。
ここではあくまでも、自分自身の問題について語っております!

私が、どうして人に相談しないのか。
それは多分、最終的に悩んだ答えを自分で解決してしまうからなのだろう……。
沼にハマりながらも、もがいてもがいて次の策を練っている。
そう思うのです。

これが、俯瞰して辿り着いた今回のテーマなのです!


自分を俯瞰しよう!

近ごろ、私の身の回り、実社会においてもnoteにおいても、目まぐるしく新たな出会いに恵まれ、これまでの環境にはいなかった考え方の人と触れ合う機会が増えました。

この出会いがきっかけで、私の自己分析の方法が「偏狭」から「俯瞰」に変わったように思います。

なんだか分からないですが、私は自分は人に相談しないのに、やたらと他人の相談を受けるのです。
「親身にならないといけないな」というものから、「私にそれを言われても……。で? どうしろと?」みたいなものまで様々です。

その人にとって、いい答えを導いてあげられているかは分かりません。
でも、相談をしてくる方々からすれば、相談しても頼りにならない人には相談しないだろうと思います。
だから、私は少なからず頼られているのかなと思うと、しっかり向き合って、考えて、何かしらの答えを出してあげたいなとやり取りをすることになるのでしょう。

お気づきでしょうか。

俯瞰してるんですね。

私自身のことなのに、まるで他人事のように自分とは? を見ています。


ネガティヴを可視化してください。

私のメンタルバランスは、ときどき記事にあらわになることがあります。

誰の得にもならないネガティヴの羅列。

私は、自分が書いたネガティヴ記事すら俯瞰するようになりました。

まるで他人の記事のように。

すると、自分で自分に相談して、自分に自分で答えを出せるようになります。

以上はあくまでも、持論です。

でも、このnoteを始めたときに、誰の得にもならないネガティヴは出さない! と、決めましたが、他でもない自分のために出すネガティヴだったのだなと気が付いたのです。

それまでは、他人のネガティヴ記事を目にすると、気持ちを引っ張られ、一緒になって沼にハマりそうになっていました。

それを、とにかく俯瞰する! に、徹底してみると、他人のネガティヴ記事も、その人がもがいて、浮き上がってくる最中の記事に思えます。

自己を俯瞰できるようになると、他者へも広い心で寄り添えるようになります。

noteでいえば、例えば……
「この記事、誰に向けて書いてるの?」とは思わないでください。
その見方は「近視眼的」で「偏狭」です。
表現方法は人それぞれです。
誰か特定の人に対してかもしれないし、世の中全ての人に対してかもしれないし、書き手が自分自身に対して言ってるのかもしれないです。
俯瞰するとこのように感じ取れるようになります。
書かれていない部分を、勝手に読み手が作り上げないでください。
書かれてある部分だけ受け止めて、慮ってください。

HSPの方々も、日常生活の中で試しに是非!
目先のことに対して敏感に繊細に反応すると疲れてしまうでしょうから。
遠く遠くから、ぼんやりと眺める程度に見てみると良いのではないかなと思います。


自己も、他者も、宙から両手を広げて、受け止めてあげてください。

この記事が参加している募集

#私は私のここがすき

15,698件

#探究学習がすき

7,489件

ありがとうございます😊 小さくても沢山の幸せを届けられるように頑張ります!