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思い出の味。過去と未来を繋ぐ味。

りんごのチョコレートが好き。

子どものころ、クリスマスが近づくころに祖母から送られてくる荷物の中に必ず入っていたのがりんごのチョコレートだった。

子どものころは、毎年決まって届くので、「好き」と思ってもいなかったのだけれど。


癌が恐ろしい病気だと認識したのは小学校5年生のときだった。
キャスターの逸見政孝氏が、自分は癌であるということを記者会見で公表し、わずか3ヶ月でこの世を去った。
実際にはその前から分かっていて、手術・治療もされていたようだというのは、後に知ったこと。
小学生だった私は、逸見さんのことがあまりにも衝撃で、癌になったらあっという間なんだ……と、この世で1番恐ろしい病は癌だと思った。


数年後、祖母に乳癌が見つかった。
そのとき、私はとても悔やまれることを思い出した。
もっともっと幼かったころ。
まだ、死ぬということもよく分からないくらいのころだと思う。
「おばあちゃんは、いつ死ぬの?」と聞いた。
祖母は、大笑いしていた。
「いつ死ぬかは誰にも分からないけれどね、ひーちゃんよりも、お父さんやお母さんよりも、早く死ぬだろうね」と。

そうなんだーと、思いながら何にも分からない。

母が妹を出産するときには、「お母さんは赤ちゃんを産んだら死ぬんでしょ?」と聞いた。
自分も母から産まれているのに、人は子どもを産むと死ぬと思っていたのだ。
多分、そういう虫がいるとか、フランダースの犬とか、母をたずねて三千里とか、そんな童話の影響か。
母は自分の所には帰ってこないと思ったのだろう。

心配過ぎて、妹を出産したその日から私は毎日祖母と一緒に母の見舞いへ行った。
でも、母は死なない。母はそこにいる。
これは、祖父が医師だからだと思っていた。
じいちゃんがお医者さんだから、お母さんは生きていられるんだと。

今考えたら変な子どもである。

数年後、祖母も、乳癌になったが3ヶ月経っても1年経っても生きている。
じいちゃんがお医者さんだからか。と、妙に納得していた。
じいちゃんがお医者さんだから特別なんだと。
因みに祖父は小児科医であって癌の専門家ではないのだが……。


癌って何で治せないの?
癌ってどうして起きるんだろう?
死なない癌もあるの?

そう興味を持ったのは、逸見さんへの衝撃と、手術を経て命を落とさなかった祖母のことがきっかけなのは間違いない。

私は臨床検査技師の資格をとり、癌細胞を見付ける細胞検査士の資格をとった。
このころには癌は早期で見つけられれば治せる病ということが分かってきていたから。
早くに見つけてあげたい、見つけてあげて、治してあげたい! と。

癌になってしまう遺伝子変異、そんな遺伝子変異を未然に防ぐ方法、変異してしまった遺伝子を修復出来ないか……そんなことを研究したいという夢も持った。

持ったが、そう簡単には人生上手くいかない。
臨床検査技師の他に興味がある職業があり、最後の最後までフワフワしてしまった。
癌について知りたいという気持ちを裏切って、他のことに浮気心を持ってしまったので、勉強に身が入らなかった。
どこの大学にも引っ掛からなかった高校3年の受験。
祖母は「若いうちの1年や2年は大したことない。好きなことをやったら良いじゃない」と言ってくれた。


祖母も、祖父も、もうこの世にはいない。

私は今、好きなことをやれているだろうか? とふと思うときが増えてきた。
1年や2年どころではない。
20年、何だかずっとフワフワしている。
資格を取り、人の命を預かり、日々責任感を絶やさずに働き、後進の指導にも携わる立場になったが、何かが違う。
今年は細胞検査士の資格更新の年でもあるが、手続きを躊躇っている。
失うことの後ろめたさというものが、今年はまるでないのだ。
失えば再度取得するのは、初めて取ったとき以上に努力を要すると分かっていながら。



りんごのチョコレートが届かなくなって、すっかり忘れてしまった夢や希望。

食べなくなって初めて気がつく。

あのチョコレートが大好きだ。

今年は自分で買ってみようかな。

新しい夢や希望が見たいから。

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