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受験生向けには身も蓋もない話だけど、長い人生では少しだけ役に立つ話。

妹とわたし。

私には自慢の妹がいる。

5歳下の妹は、高校の教師だ。

卒業した高校は県内トップの公立高校で、一年浪人はしたが、国立大学に入学した。

対する私はといえば、県内トップの高校を目指したものの、中2のときにイジメらしきもの ・・・・・に合うとか授業をサボるとか色々あり(note初出し?)、内申点のノルマを越えられず。

2番どころか3番手の高校に進学した。

大学受験では国立大学の推薦を申し込んでから気が変わってしまい、これまた学校にも親にも飛んだ迷惑をかけた(これもnote初出しかなw)。

妹に対するわたしの劣等感

私は一方的に、妹に対して劣等感があった。

私たち姉妹は、就学前から公文式に通わせてもらった。

通うことになった最初のきっかけは、私の幼稚園年長時のクラスに、アメリカ人の男の子がいたこと。
その子と、英語でお話ができるようになりたいと私が言ったようなのだ(本人記憶なし)。

家から1番近いところにあった学習塾が公文式だったわけだが、当時はまだ英語教材を扱う教室が少なく、英語を選択できなかった。
それでも、体験学習の際の私が楽しそうに教材に取り組んだ様子から、通わせてみることになったようだ。

5歳離れた妹は、おそらく私が入った年齢より幼くして入会したのだろうと思う。
妹は非常にのびのびした性格なので、一緒に教室に行っても、私が課題をやり終えるまで教室の一角で昼寝をするほどマイペースだったことはよく覚えている。

公文式の学習スタイルは、習得と復習を反復しながら、個々のペースに合わせてレベルをアップさせていける。
私の場合で言えば、5年生のときには国語も数学も中学課程修了試験をパスしていた。
5歳の歳の差というと、10代以下では大きな差で、妹が解けない問題は私にはなかった。
ただし、それは私が15, 6才までの話だと思う。

冒頭のように、私は県内トップ校に入りたいという願望があったものの、公文では国語と数学しかなかったので他の教科が弱かった。

今思えば、私は与えられたノルマを達成しては復習して……という勉強は出来ても、自分で進んで勉強をするということが得意ではなかった。

公文だけではダメだと思った私は、5教科教えてもらえる進学塾に通うようになった。
当然、両立することはとてもハードで、公文は公文で通っていたものの、習得速度は遅くなっていった。

反抗期も相まって色々なことがうまくいかなくなり、自分の1番良いタイミングを捉えることが出来ないまま、希望とは違う高校に進学することとなった。

高校に入ってからは、公文も辞めてしまった。

妹については記憶は曖昧であるが、私よりも早い段階で中学課程の教材を修了していた。


私が18歳、妹が13歳のころだったと思う。
「お姉ちゃん、これどうしても解けない」
そう私のところに公文の数学教材を持ってやってきた。
どれどれ? と、見て度肝を抜かれたのだ。
おそらく数Ⅲの内容である。

18歳の私は自分が受験する分野は数Ⅲ・C(今はそう呼ばないのかな?)を必要としなかったので、理系ながら履修をしていなかった。

公文でもそこまで到達せずに辞めてしまっているので未知の領域。

どんなに頭を捻っても解けなかった。

「お姉ちゃんには解けないや」
そう戻したときの妹の残念そうな顔は忘れられない。

字の読み書きも私が絵本を読んで教えたし、ピアノが上手く弾けないときも、徹底的に教えた。

妹の中では困ったら、お姉ちゃん! 
なのに、お姉ちゃんにも解けないの?! 
そんな顔。

いや、オマエはオレを超えている……。
私の心の中に響き渡ったのは言うまでもない。

それ以来、勉強について妹から私に聞いてくることはなくなった。

これは出来損ないの姉と、優等生の妹の話?


……ではないんです。

妹は妹で、私が眩しく見えていたころがあるようなのです。

妹は、間違いなく頭がよろしいのです。
私のように学習塾に通うこともなく、公文だけをずっとやり通しました。
私とは違い、内申点がおおいに左右する中2の成績はオール5を取ってきました。

そんな頭の良い妹ですが、肝心なところで知恵が働かない子でした。

私の地域では、県立高校の受験当日だったか翌日の夕方に、地元テレビ放送にて解答が発表されます。

自己採点にておおよその合否が分かるという仕組みです。

「お姉ちゃんも採点手伝って」というので、
「いいよ、じゃお姉ちゃん答え読み上げる係するね」

いざ。テレビの前で2人並んでスタンバイ。

よし、始まった!
ひ「問1-1.a 2.c 3.a 問2…」
妹「待って待って! 早い早い!」

いや、このペースで行かないと無理よ? と、横を見ると! 
なんと妹、白紙にペンでいちいち

(問1)1.a
             2.c
             3.a

……えぇっ!! か、書き出してるの?!

ひ「バカっ そんなことしてたら間に合わないよ! 問題用紙に答え印つけて持って帰ってきたんでしょ? そこに丸付けしなさいよ! 」
妹「そっか! お姉ちゃん頭いいね」

ズッコケません?

そんな妹ですが、ほとんど解答は間違っていないんですよね(笑)。

大袈裟ではありますが、頭が良くても、この先の人生、生きていけるのか心配になりました。

合格は、自己採点だけでほぼほぼ確定的でしたけれど……(笑)。

わたしに対する妹の劣等感

頭が良くても、抜けてるところは抜けてる人もいるし、人より努力家で、なんでもそつなくこなすのに、肝心なところで力を出せない人もいる。

いろんなタイプがいて当たり前なのに、なぜか人は、他人の自分にない部分に劣等感を持ってしまうのかもしれません。

妹が18歳で大学受験のころ、私は23歳の大学4年生になっていました。

県内トップの高校は、第3位の高校卒の私から見ても勉強が大変そうでした。
高校が違っても同じことを勉強するはずなのに、とにかく試験問題が難しすぎる。
平均点数が20点や30点(もちろん100点満点中)、クラスのほとんどが追試になり、夏休みもほぼ毎日補修で学校に行ったようです。

学校生活は楽しそうでしたが、勉強では苦しんでいた妹。

一方の私は、23歳、ノリに乗っていました。
卒業前の12月から3月までの4ヶ月の間に、資格試験(国家試験と認定試験一次・二次)に合格、当たり前ですが卒業試験も通って無事卒業も決まり、大学院入試も特待生で通っちゃって学費半額免除。
多分、一生分の努力と運を使い果たしたのではないかと思っています。

その様子に「お姉ちゃんはなんでもうまく行っていいな」って漏らしていたと、後に母から聞かされ驚きました。

私からすれば、塾にも通わずに高校受験も大学受験も挑める妹が凄いな羨ましいなと思っていたから。
大学院に行こうと思ったのも、社会人になるイメージが全くわかず、学生のままでいたかったのが本音かつ最も大きな進学理由だったから。

それでも妹にとっての私は、超えられない存在だったのかもしれません。妹が持ってきた問題を解けなかったときの顔も、「だよね、お姉ちゃんに解けないなら無理だよね」くらいに思っていた表情だったのかもしれません。

お互いにお互いの持ち合わせない部分に嫉妬していただけなのだと思います。

人には人のペースがある

兄弟姉妹、例えそれが双子や三つ子でも、得意なことや好きなことは少しずつ違う。
今、うまくいかなくても、違うときにベストチャンスがやってくる場合もあるし、ずっとうまくいっていたことが、ある日突然思うようにいかなくなる場合もある。

そんなときに、自分が今欲しいと思っているものやことを、自由に操っている人と比べてはいけません。

うまくいかないときは、今がそういうときだから。
うまくいっているからといって、ハメを外し過ぎてもダメ。

誰でも「あのとき ああしていれば」「あのとき あんなことしていなければ」と後悔しがちだけれど、「あのとき」は「あのとき」なんです。
あのとき ああだったから、今の自分に出会えているんです。
後悔したって過去には絶対に戻れないんだから。
だったら、あのときがあって、今の自分に出会えたんだよねと思うのみです!

私にとって、うまくいかなかった中学生時代は絶対に意味があって、抱いた劣等感すら何クソ根性で乗り越える力を生み出してくれました。

妹にとっても同じです。
国立大学に入った妹は、私に対する憧れから離れ、子どものころのようにのびのびと学生生活を送り、私の夢でもあった先生という職業に就きました。
先生というからにはずっと優秀で真面目なんだろうと思いましたか?
「お母さんには内緒だよ」と、大学をサボってバイト(塾講師)に行っていることを私にこっそり話していたことがあります(笑)
夜も帰ってこないことばかりでした(爆)

とはいえ、大学生といっても成人。
自分の行動に責任を持てる範囲で遊んでくださいよ?
何にもやる気が出ないよってときは、とことん、やる気スイッチオフで良いんですよ。
充電が溜まってからで大丈夫。

私は今、また違う分野で学校に通ってみようかなとか、違う仕事をやってみようかなとか考えています。
どの道を選択するか、今は思案を続けているところ。
何が今の自分にとって取り組むのにベストタイミングなのか、色々なことを調べて悩んで、考えています。

学歴なんて飾りです。
あって困ることはないけれど、なくたって立派な人は沢山います。
学歴が一人歩きして恥かくこともあるんです。
私個人は流れで学歴の道を通りましたけど、四十数年人生を歩んで、また違うことやってみたくなっちゃうなら、学歴にこだわる必要なんてなかったなと今は思います。
せっかく日本有数の大学に入っても、社会人として馴染めず仕事ができなくなってしまった友人もいます。
何が正解で、何が幸せなのか、そのために必要なものはなんなのか考えてみてください。
少なくともそれは学歴ではありません。

逆に! 高学歴者を目の敵にしている人にときどき出会います。いい大人になってから高学歴者に対して羨ましく思ったり妬んだり僻んだりするくらいなら、行けなかった高校や大学に今からでも挑戦したらよいと思います。

どうして劣等感がうまれるのか。
それは、自分にはできないと自分で自分に制限をかけているからです。
金銭的なことなのか、学力的なことなのか、家庭の事情的なことなのか分かりませんけれど、僻むくらいならやってやれ! です。
念願の学歴を手に入れたらいいと思います。
自分の力で。

被害妄想ならぬ僻み妄想に溢れた人に「塾に通わせて貰って、私立の学校に通わせてもらって、親のスネをかじってられるからだ」「女がなぜ大学院にきたんだ」と、私は言われたことがあります。

僻まれる筋合いは私にはありません。
私大に通わせて貰った私は、学費を授業一コマあたりで計算しました。その額に驚き、休まず通いました。奨学金も全部自分で社会人になってから返済しました。
実家にいたときは当然家に生活費を入れていました。

なんでもレールの上に乗って、
上手くいくことだけが正しいわけじゃない。

いつからだって始めたらいい。
それは、誰に頼るとかじゃない。
自分次第です。

「今からだって遅くない」って人生の先輩たちがおっしゃるのは、生きとし生けるものは皆、今この瞬間が1番若いときだからです。
私はそう解釈しています。


何度でも言います。

悩んでも迷っても遠回りしても
「あのとき」あの選択をしていなければ
「あのとき」あの状況を乗り越えていなければ
「今」の自分はいないのです。
だから
「今」出来る、「今」の精一杯を、
尽くしてください。


4,657文字


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