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お暇

「凪のお暇」あれめちゃくちゃ面白くないですか?私も無職だからなんか気持ち分かるんだよね。キャラは違うけどなんか空気の感じ方があんな感じ。外って気持ちいいなってつくづく思ったり。仕事してた時は「どうやって手を抜いて楽して時間短縮しようか」そればっかりで。朝から晩まで仕事して帰ったら育児してが当たり前だから当然なんだけれど。仕事も、「いかに効率よく」なんてことばっかりしていた。けれどそこから離脱して自分に向き合ってゆっくり予定入れて、外でのんびりストレッチしたり汗かいたり。筋トレとは全然違うじわじわと小さな動きを繰り返して普段意識してない部分をほぐす気持ち良さとか気づいちゃったり。きっと仕事していたら絶対しなかっただろうなと。

とにかく本も読み漁っていて、浜崎あゆみの「M」も読んだ。とても切ない。恋は本当に偉大なパワーだ。事実に基づくフィクション、そんな風にしたくなる過去の恋もみんなあるだろう。


あと、私の時間は余命が短い父との時間に充てている。


実家は自転車で10分のところにある。父は2月で70歳となった。その月、同時に末期癌の宣告をされたのだ。この時で余命2ヶ月。ほぼ全身に転移していた。父には告知せず家族で受け止めた。何年も前から体調が悪い日が続いたが病院嫌いの父は母の注意も聞かずどんなに体調が悪くても病院へ行くことはなかった。次第に弱りゆく父の姿に原因のわからない母は苛立ち、お互い辛く当たるようになっていた。母はコミュニケーションの取れなくなった父と離婚を考えていた。私もその方がいいと思った。母は私と顔を合わす度に父の愚痴を浴びせてきていたからだ。子供の頃からそうであったがここでは詳しくは記さないでおこう。母親が父親の愚痴を子供に言うこと、これは心理的虐待に当たる。大人になってからは人権感覚が問われる課題である。愚痴、これは口にしない方がいいし特に身内には言わないのが鉄則だと感じる。同世代なら話は変わるが。

父が自宅看護となった時、母は苛立ちが隠せず癇癪を起こしたので心療内科を勧めた。母は何も言わなくなったがそれでも時間が経てば容赦無く愚痴は続く。母は陽気で楽しいことが大好きな人だ。しかし愛想尽かした夫の世話はおろか同じ空気を吸うことさえも嫌な様子だった。健康な人さえも蝕んでいる空気に私もいたたまれなくなるが仏様ではないし自分の生活もあるので心のケアまでは到底できない。

気分転嫁にお酒が大好きな母を外食に連れ出している。

自宅では母が買ってきた総菜やコンビニの弁当をお皿に移して父の食事の用意をしている。父が病に伏してから手作りの料理を出したことは一度もない。父は母の用意した食事を食べなくなっていった。添加物だらけの食事は弱り切った体にはとても重い。食べない父の姿に母の苛立ちは募るばかりである。どんな環境であれ生きていくしかない。嫌な顔をする妻と口も聞かず、食事も一緒に取らず、それでも一緒に暮らして最期を迎える、父が不憫に思えてならないがどうすることもできない。しかし誰もいないよりは全然いいらしい。「料理を用意してくれるだけありがたいと思わなければならない」、確かに。

介護の世界もいろいろな事象があるのだなと他人事のように感じた。

幸せな老後とは。



父はよく言えば温厚、悪く言えば頼りない。なので一日中、暴れることなくボーッと過ごしている。

私は予定がなければ昼食を作って持っていく。父が食べやすい大きさに切り分けた生姜焼きはあっという間に完食していた。炊きたてのご飯、出汁からとったお味噌汁、その全てがやせ細った父をクシャクシャの笑顔に変えた。

「美味しくて泣けてくるよ」

死期を悟っているのか涙もろい父。

「大袈裟やな〜」

こんなやりとりもあとどれくらいできるのか。そう思ったら急に涙がこみ上げてきた。

「お前がおってお父さん幸せや」

そう言って父は笑いながらうつむいた。

「こんなくらいのご飯、いつでも作るよ!」

少し話を変えて私は言った。衰えていく体に不安を感じない人はいないだろう。私のように健康ニートならまだしも。内省の事情も格段に変わってくる。病気となるとネガティブになって当然だ。


だからその有り余る生に精一杯やり切るしかないのだと気づく。本当に大事なことは何か、楽しいこと好きなことは何か。


少し窮屈な家で過ごす父の気持ちが私と会うことで晴れになっていたらいいのにな。さて次は何を作ろうか。

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