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半世紀生きてみて、やっとラクな生き方が分かりました。Vol.1

たいていの悩みは「自分の価値観」に原因がある。


人生、半世紀を超えてようやく気付いたことがたくさんある。

50歳のことを「知命」というが、なるほどこういうことか、である。
40歳で「不惑」というのは「何言ってるの。惑いっぱなしですよ」と心の中で孔子に反発していたが、惑いっぱなしだった理由も、今ならわかる。

たいていの悩みは「自分の価値観」と「現実」が乖離していることに起因するのである。

例えば、「締め切りや待ち合わせの約束の時間などに遅れるときは、遅れることが分かった時点で一報、入れるべき」という価値観。ビジネスマナーでも「そうすべき」とされているし、実際、そうしたほうが人間関係も仕事も円滑に進む。しかし、この価値観を持ち合わせていない人も、世の中には存在する。

「一報、入れるべき」と思っていたとしても遅れをカバーすべく、必死に仕事をしていて時間を忘れてしまったり。待ち合わせ場所に向かって全力疾走していたために連絡ができなかった、ということも起こりうる。

待っている側としては、イライラ、じりじりするけれど。それは、待っている側が「一報入れるべき」という価値観を持っているからだ。

そして『遅れるという連絡がなかった』という事実をフックに『一報、入れてくれないのは私のことを軽んじているから?』とか『連絡もよこさないなんて、思いやりがない』などと、思考を発展させていく。さらに、その思考を燃料にしてどんどんイライラを募らせてしまう。

そうやって、私たちはどんどんストレスをため込んでいく。しかし、冷静に考えれば「連絡がなかった」という事実から先の「軽んじている」とか「思いやりがない」というのは「仮説」に過ぎない。自分で立てた仮説にイライラを募らせているだけなのだが、どういうわけかそのことになかなか、気づけないのだ。

一緒に仕事をしている年下の人たちが、そうやってイライラしているのを見ると『分かるわ。私も若いときはあなたと同じように、イライラしていたわ』と心の中で共感している。しかし、半世紀以上も生きている私がここで同調するわけにもいかない。

「何か事情があって、連絡できないのかも知れないわね」

と、「たいしたことじゃない」という声色でたしなめる。察しのいい若者はそこで自分の仮説にいら立っていることに気づいて「こちらから、連絡してみます」という。察しの悪い若者は「でも、連絡ぐらいできるじゃないですか」と言い返しながらイライラの矛先をこちらに向けてくる。

このやりとりは、私が半世紀生きた経験から編み出した「思い込み」の強さを図るリトマス試験紙だ。イライラが止まらない上に、八つ当たりも繰り出してくるタイプは、いろいろな「思い込み」を強めに持っている人が多いなあ、と感じる。

私も、かつてはいろいろな「思い込み」を持っていた。そして、自分の思い込みベースの仮説で、自分の感情を振り回していた。振り返ると、あれは精神的な自傷行為だったな、と思う。

今でも「思い込み」がゼロではないが極力、「事実」だけを見るように心がけている。

その結果、人生がグンとラクになってびっくり仰天だ。

そして、見回すとたくさんの人が「自分で立てた仮説」に腹を立てたり、悲しんだり、焦ったりしていることに気づいた。若ければ若いほどその傾向が強い、というわけではない。年齢ではなく「思い込みの強弱」が関係しているのだ。

この「思い込み」を最近では「アンコンシャスバイアス(無意識の思い込み)」という言葉で、よく聞くようになった。無意識なので「女性は話が長い」と言って大ひんしゅくを買った元総理大臣のようなことになるのである。

生徒がバタバタと倒れても、朝礼で話し続ける校長先生は男性でしたけれどね。

話を元に戻そう。

たいていの悩みは、この「アンコンシャスバイアス」と「現実」が乖離していることによって、発生する。

「私のことが好きなら、忙しくてもLINEの返信ぐらいできるでしょ!」
と怒る彼女は「好きなら返信するもの」「LINEの返信なんて1分あればできる」「返信くれないのは、好きじゃない証拠」といったアンコンシャスバイアスの持ち主である。

しかし、現実には彼氏からのLINEはこない。だから、悩んだり、怒ったりして感情を昂らせる。

しかし、LINEの返信がない、という事実に対して考えられる理由は山ほどある。

彼氏がスマホを忘れたとか、充電が切れたとか、壊れたのかも知れない。
それ以前に、この彼氏はLINEをマメにするタイプなのだろうか、という疑問も残る。
そもそも、この彼氏は今、元気なのだろうか? 病気になったり、事故に遭ったりしているんじゃないだろうか? 
彼女が送ったLINEに、返信する必要性を感じていないという可能性はないのだろうか?
彼氏が気分を害するようなことを書き送ったのかも知れない。

どれが事実か、知っているのは彼氏だけ、である。

冒頭で書いた「遅れる、の一報がない」というケースには、「遅れている」という事実が分かった時点で、こちらがイニシアチブを取るようにすれば精神的な負荷を背おわずに済む。

例えば、仕事であれば「お進み具合、いかがですか?」と前置きをしたうえで、「〇日には〇〇をしたいので、△日の△時までに頂戴できますとありがたいです」と、提出期限の目安をやんわりと、でも『これがデッドラインなんですよ』というニュアンスを込めて、相手に伝えればいい。

待ち合わせならば「近くの本屋さんにいるから、着いたら連絡して!」と、店に入るなりして、ぼうっと待っているのを回避すればよい。

不惑の頃の私はまだ、アンコンシャスバイアスにまみれていたし、さりげなくビシッとイニシアチブを取れるほど老成していなかった。だから、悩みもたくさんあったし、精神的な自傷行為もよくしていた。

年齢を重ねるのは、悪いことばかりじゃないないことも半世紀生きて、分かったことのひとつだ。

知命を迎えると、「老いるって、こういうことなんだ!」の体験が目白押しになる。

老眼と疲れ目が激しくなる。
閉経カウントダウンがいよいよ本格的になり、それに伴う体調不良が加速する。

それでも。

精神的な自傷行為をしなくなったことで、断然「生きるのがラク」になった。

今、体力の衰えを気力でカバーできるのは、精神的にラクに生きられるようになったからなのだとシミジミ思う。

#エッセイ部門 #創作大賞2023


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