恋愛依存症の前に、そもそも「依存症」ってなんだ?

恋愛依存症について勉強するにあたって、参考とした文献は伊藤明さん著の『恋愛依存症』である。


もうこれで勉強するほかないよね!というタイトル。
この本では、恋愛依存症を「共依存」「回避依存」「ロマンス依存」「セックス依存」の4つに分類して解説している。


でも、待って。
その前に「依存症」ってそもそもなんだ?
何かを研究するときは、前提や定義が必要になるものである。


というわけで、今回は「依存症」についてまとめていく。
『恋愛依存症』では、ありがたいことに「依存症」についても説明してくれている。



全然関係ない話だけど、noteにまとめていると卒業論文を書いている気持ちになってきたなぁ。
大学の卒論を書いたのなんて、もうずいぶん前の話だけれど。
ちなみに卒論の内容は、とある小説に出てくるメンヘラ男の恋愛と、その心情を読み解こうとするものである。
…昔から、こんなことばっかり調べていてビックリしちゃうな。

四六時中そのことを考えているなら、それはもう依存症だよ

依存…他に頼って存在、または生活すること。
ネットで検索すると、このような検索結果が出てきたので、とりあえずこれを定義とする。


そのうえで考えてほしいのだが、依存しないで生きている人間なんているだろうか。
何物にも頼らず存在し生活する。そんなことが可能だろうか。


答えは否である。
人間、みんな何かしらに依存している。
家族、仕事、お金、友人、恋人、恋愛…
我々が頼っているものを上げたらきりがない。


つまり、依存していること自体は、普通のことなのである。
では、何が問題なのか。


“問題は、その依存の対象、あなたにとっての「なくてはならないもの」が何であるかということだ。そして、依存の程度がどのくらいかというだ。” 伊藤明(2015)恋愛依存症 実業之日本社 


つまり、依存する対象と依存具合で、依存症かどうか判断されるのである。

依存と依存症の文字上の違いである「症」の意味を調べてみた。
症…病気の性質。病気のようす。
とのことである。

依存症は、依存が病と呼べる領域に達している状態だと言い換えることができる。
 

まず依存する対象で依存症と判断される例だが、わかりやすいものが薬物だ。
法律的にoutなものを頼りに存在したり、生きたりしている状態は、明らかに病的である。
これはすんなり納得できる気がする。


でも、これが不倫だったらどうだろう。
不倫は犯罪にはならないが、していたことが発覚すれば慰謝料などの制裁を受けるものだ。

でも、不倫に依存していても、即依存症だとはなんとなく言えないような気がする。
感覚的なものだけれど…。


むしろ、不倫は恋愛依存症の一つの結果として表れやすい。
ちなみに、私もしっかりと経験済みだったりする。
恋愛依存症を勉強した今となっては、自分はあまりにも典型的な病人で、恋愛依存症の代表選手と呼んでもいいくらいである。


私の話は置いておいて。


依存する対象が違法でなくても、依存の程度によって依存症と言われるものは、例をあげればキリがないし、なんでもその対象となりうる。
「恋愛」もその一例であることは言うまでもない。


では、どの程度依存したら、依存症となるのか。
それは、肉体的・精神的に健康でなくなったり、社会生活を送っていけないような状態になったり、それがなくなったら生きていく力が極端に低くなる程依存した場合である。

言い換えれば、依存する対象だけがすべてで、自分の生活の中心となってしまい、それに取りつかれている状態である。


そう!


ご飯を食べていようが、仕事をしていようが、友人と遊んでいようが、風呂に入っていようが、なんなら夢の中でまで恋人のことを考えている、そこのあなた。
あなたのことである。


恋人に振られてから、ずっとご飯ものどを通らず仕事にも行けなくなり、元恋人に「死んでやる」と送り付けてしまうそこのあなたも


暴力を受けているのに別れることが出来ずに、むしろ自分だけが相手を理解しているという気持ちになってしまっているあなたも


不倫がバレて会社にもいられなくなり、慰謝料まで払ったにも関わらず、不倫することをやめられないあなたも


みんな、みんな、恋愛に取りつかれている「恋愛依存症」なのである。



次の記事では、恋愛依存症かどうかを判断するチェックリストを記載するので、気になる人は診断してみてほしい。

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